機関誌『水の文化』65号
船乗りたちの水意識

船乗りたちの水意識
伝承

赤道を越えても腐らない水
──船乗りたちに好まれた神戸港

横浜港と並び、日本を代表する貿易港である「神戸港」。その名は世界各地の船乗りたちの間でよく知られていた。理由は「赤道を越えても腐らない」といわれた「水」にある。神戸市水道局の方々に解説していただいた。

神戸布引ロープウェイから見た布引貯水池。この日本最古の重力式コンクリートダムが神戸港の水源だった

神戸布引ロープウェイから見た布引貯水池。この日本最古の重力式コンクリートダムが神戸港の水源だった

天然の良港に通じた渓流由来の水道

兵庫県神戸市南部の海岸に設けられた神戸港は国際戦略港湾の一つに位置づけられている。この付近はかつて大輪田泊(おおわだのとまり)と呼ばれる港で、歴史は奈良時代にさかのぼる。かの平清盛が修築を行なったとも伝わる。

この地が大陸や朝鮮半島との交易拠点として賑わったのは、六甲山が港と平行に走っているので季節風を阻むこと、水深がもともと深いうえ、河川の流入がないため浚渫(しゅんせつ)の必要もないことなど、良港の条件が揃っていたからだ。

現在の神戸港は1868年(慶応3)1月に開港。船が寄港する際、その後の航海のために飲み水を補給するが、開港当時は水道がなく、外国人居留地(1899年返還)も井戸水だった。神戸に水道が誕生したのは1900年(明治33)。日本における近代水道としては横浜、函館、長崎、大阪、東京、広島に次ぐ7番目となる。

神戸市水道局計画調整課で専門官を務める松下眞さんはこう話す。

「船舶への給水は開港地として大事な役割です。水道ができる前の民間会社(神戸良水株式会社)が1898年(明治31)から船舶に給水していましたが、水道ができてからも神戸市と特約を結んで船舶用水を販売していました。その後、1905年(明治38)に『船舶給水事業』を市営として水道局が担当するようになります」

その水源は1900年に竣工した布引(ぬのびき)貯水池(注)だった。

「この段階では、生田川水系・布引谷川の水を湛える布引貯水池を水源とし、北野浄水場でろ過後、船舶用の水として港に送ったものと思われます」と松下さんは言う。神戸港の水が、船乗りたちの間で「赤道を越えても腐らない水」といわれるようになったのは明治末期以降のようだ。

松下さんは「はっきりしたことはわかりません。司馬遼太郎が『街道をゆく』で言及していますが、すでに伝聞となっています。口伝えに広まったのではないでしょうか」と推察する。

(注)布引貯水池
水道専用としては日本初となる重力式粗石コンクリート積ダム。正式名称は「布引五本松堰堤」。

布引貯水池

貯水池の上流で濁水を仕分ける

松下さんと神戸市水道局水質試験所の清水武俊さんのお二人に、布引貯水池を案内していただいた。

JR新神戸駅のそばから神戸布引ロープウェイに乗りこむ。ゆっくり動くゴンドラのなかで松下さんが「あれが布引貯水池です」と左前方を指さした。緑豊かな森の隙間に、水を湛えた池が見える。風の丘中間駅で降りて坂道を下っていくと貯水池の上流にある「分水堰堤(えんてい)」に着いた。

船乗りたちに好まれた神戸港の水は、布引貯水池の水質を維持する土木的なしくみ抜きには語れないと松下さんは話す。

「急峻な六甲山からは、大雨が降ると大量の土砂が流れ出します。土砂には植物などに由来する有機物が含まれていますので、布引貯水池を設計した佐野藤次郎は完成後に水質を観察し、雨が降ったあとの濁水を引き込まないしくみを上流につくりました。それが『分水堰堤』『締切堰堤』『放水路トンネル』から構成される『濁水仕分けのシステム』です。貯水池の水が常に清澄であるようにしました」

「分水堰堤」で布引谷川右岸から水を取り入れ、濁りはじめたら取水を止める。「締切堰堤」はきれいな水が上流に逆流しないようにつくられたもの。また、分水堰堤で取水しない水は「放水路トンネル」を流れ、貯水池の下流で本川に戻るようになっている。

このしくみは、貯水池竣工の8年後に完成した。以降は貯水池の水が濁ることはなくなり、さらに貯水池の下流にあった浄水場の砂ろ過層の閉塞、それに伴う断水も防いだ。驚くのは、完成して1世紀以上経つにもかかわらず定期的なメンテナンスが必要ないこと。さらに佐野藤次郎がつくったこのしくみは、ダムに溜まった砂を排出して寿命を延ばす「排砂バイパス」に先んじるものとして、いま再び注目されている。

  • 布引貯水池

  • 水を湛えた布引貯水池。「分水堰堤」「締切堰堤」「放水路トンネル」による濁水を仕分けするシステムで水質が保たれている

    水を湛えた布引貯水池。「分水堰堤」「締切堰堤」「放水路トンネル」による濁水を仕分けするシステムで水質が保たれている

  • 「分水堰堤」で微笑む神戸市水道局計画調整課専門官の松下眞さん(左)と同水質試験所の清水武俊さん(右)

    「分水堰堤」で微笑む神戸市水道局計画調整課専門官の松下眞さん(左)と同水質試験所の清水武俊さん(右)

少ない有機物と適度なミネラル

布引貯水池を源とする神戸港の水が長もちした理由について、松下さんは「腐るべきものが水中に存在しないから」と語る。

「人間が『腐っている』と感じるのは不快な臭気や味のもととなる物質が生成されるためですが、基本的に水(H2O)は腐りません。腐るのは水のなかの有機物。布引貯水池の水は有機物が少ないので、多少時間が経っても船乗りたちは『腐っていない』と判断したのでしょう」

水そのものがおいしいという定評について清水さんはこう話す。

「水のおいしさは、適度なミネラル(マグネシウムやカルシウムなどの硬度成分)といわれています。布引貯水池の水は1L当たり約30mgの軟水です。おいしいと感じるのは、適度なミネラル含有率であるためです。有機物が少ないのは、過去数十年間の水質データで一目瞭然です。1970年代から1980年代は日本中で水質汚染が進んでいましたが、布引貯水池の水の有機物は増えていません」

濁水仕分けのしくみに加えて、理由はほかに二つある。一つは流域に大きな工場や民家、田畑など水の汚染源がないこと。もう一つは布引渓谷が急流で、有機物との接触頻度が少ないこと。

「有機物量は四万十川や十和田湖、屈斜路湖並みです。そしてまろやかな味をもたらすミネラルの少なさは、六甲山の急峻さゆえ。水が山の表層を流れ、岩石と接触する時間が短いからと考えられます」

  • 神戸市水道局が販売する布引貯水池のボトルドウォーター「神戸 布引渓流」

    神戸市水道局が販売する布引貯水池のボトルドウォーター「神戸 布引渓流」

  • 清水さんが用意してくれた「紅茶飲み比べ」セット。左から布引貯水池の水、神戸市の水道水、海外のミネラルウォーター(硬水)、蒸留水。もっともおいしかったのは全員一致で布引貯水池の水だった

    清水さんが用意してくれた「紅茶飲み比べ」セット。左から布引貯水池の水、神戸市の水道水、海外のミネラルウォーター(硬水)、蒸留水。もっともおいしかったのは全員一致で布引貯水池の水だった

市民が集まる布引貯水池周辺

「赤道を越えても腐らない」と称された神戸港の水は、1942年(昭和17)以降、阪神上水道市町村組合(現・阪神水道企業団)から琵琶湖・淀川を水源とする水道水の供給を受けるようになった。神戸市はもともと自己水源が乏しいため、安定給水のために布引貯水池の水を阪神水道の水に混合しはじめたのだ。ただし、阪神水道もオゾンと活性炭を用いた高度処理を施した布引同様の清澄な水である。

清水さんは、遠洋航海士だった叔父の言葉を時折思い出すという。

「捕鯨船に乗っていた叔父は『神戸の水はおいしくて、寄港したときはいつも船に積み込んだものだ』と懐かし気によく語っていました。船乗りにとって神戸は特別な港で、寄港すると船内に残っていた水を全部抜いて、神戸の水で満たして出航したそうですよ」

布引貯水池からJR新神戸駅に向けて下っていくと、平日にもかかわらず多くの人とすれ違った。豊かな森、連続する滝、水を湛えた静かな貯水池が市街地からこれほど近いのは珍しい。人々は自然と人の営みが調和したこの空間に惹き寄せられるのかもしれない。

(2020年7月1日取材)

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