機関誌『水の文化』41号
和紙の表情

木版画を見立てる審美眼

〈もの〉を使う人と〈もの〉をつくる人と〈もの〉づくりをバックアップする人の三者がそろわないと、〈もの〉に命が与えられ、生き続けることはできない、とデービッド ブルさん。その原理はどんなものにも共通し、伝統工芸といわれる木版画や手漉き和紙の世界も同じ。〈もの〉の魅力を知る人は、〈もの〉づくりを支える人を増やして、愛され続け、使われ続ける〈クラシック〉にするための、努力をしなくてはなりません。

デービッド ブルさん

せせらぎスタジオ主宰 木版画家
デービッド ブル(David Bull)さん

1951年イギリス生まれ。国籍はカナダ。1986年拠点を日本に移し、東京・羽村で活動を始動。1989年から勝川春章の百人一首復刻を版画で製作開始し、1998年完成。2001年から東京・青梅に〈せせらぎスタジオ〉を構える。

木版画の美しさを知る

版画という技法は世界中にありますが、紙の表面に絵の具を載せているだけ。ところが日本の木版画は、和紙の特質のお蔭で繊維の中にまで絵の具が染み込んでいます。そのため、色に深みが与えられ、立体的な陰影が表現できます。

日本で木版画が過去の伝統工芸になってしまったのは、見る人も売る人も、このことを忘れてしまったからです。額に入れてガラスやアクリルで封をして壁に掛けたのでは、日本の木版画の魅力は理解できません。

私はカナダに住んでいるときに、小さなギャラリーで行なわれた展覧会で、初めて日本の木版画を見ました。ギャラリーのオーナーが木版画の魅力を引き出す〈見方〉を知っている人で、彼のお蔭で、私は木版画の魅力に取り憑かれたのです。

私が惹かれたのは、作品自体ではありませんでした。木版画の技法そのものに魅せられたので、すぐに自分でもつくってみようと思いました。手先が器用で、それまでたいがいのものはつくってきたので、木版画も簡単にできるだろうと考えたからです。

ところが、できたものはひどい出来映えでした。最初の作品は想像以上に下手で、木版画のミステリアスな部分に、一層、魅力を感じました。30年以上経った今、その直感が正しかったことを毎日思い知らされています。どんなに上手になっても終わりがないほど、木版画には奥行きがあるからです。

もちろん、このときは木版画家になろうなんて、夢にも思っていませんでしたが。

ピラミッドを支える裾野

しかし、ミステリアスな木版画はどんどん私を虜にしていきました。まずは休暇を取ってツーリストとして来日。版元を訪ねると、酔狂な外人が来たと思われたのか、「試してご覧」と版木をくれました。

そのうちに「勤めを辞めて版画家の路に進むべきではないか」という考えが頭をもたげてきました。当時の家庭事情もあって、1986年(昭和61)、とうとう日本にやってくることになったのです。日本の物価があまりにも高いことに驚き、当初住もうとしていた浅草界隈からどんどん離れ、結局、東京都下の羽村に腰を落ち着け、英会話を教えながら生計を立てました。青梅に〈せせらぎスタジオ〉という工房を構えることができたのは、2001年(平成13)になってからのことです。

日本にはたくさんの和紙産地がありますが、木版画に適した紙は越前の今立でつくられる越前奉書しかありません。越前奉書は、喜多川歌麿の時代から「こういう紙をつくってくれ」という要望の末に完成された紙なのです。木版画は、紙にギュウギュウギュウギュウとバレンを押しつけて、ときには何十回も摺りを繰り返します。それでも越前奉書は絶対に破けない。その紙を漉いてくれるのが、岩野市兵衛さんです。

市兵衛さんには、幸いなことに順市さんという後継者がいますが、全国には残念ながら絶えてしまった和紙産地もたくさんあります。つくる人がどんどん減ると、道具や材料をつくる人も絶えてしまう恐れがあって、実際に簀をつくる人がいなくなったために漉けなくなったサイズの紙もあります。

木版画も和紙と同じ状況で、まずは彫刻刀がなくなってきて、昨年から刃物をつくるプロジェクトを始めました。刷毛も、もう手に入りません。

版木には、よく乾燥させて狂いを直したヤマザクラの木を使います。絵の輪郭や細かな髪の毛を彫る主版(おもはん)には堅くて高密度の板が必要ですし、単色を均一に色付けしたい場合は柔らかく木目の目立たない木が必要です。そういう繊細な仕事を、東京では島野慎太郎さんが続けていましたが、最初に版木を買ったときと比べて良い材料は徐々になくなっていった。彼は、日本で最後の版木職人。私が百人一首の100枚目の版木を彫っているときに亡くなられ、今はもう版木をつくる人は誰もいません。仕方なく、合板の芯材にヤマザクラの薄い板を貼付けた版木を使っています。

〈もの〉を使う人と〈もの〉をつくる人と〈もの〉づくりをバックアップする人の三者がそろわないと、〈もの〉には命が宿りません。

江戸時代には彫師も摺師もたくさんいました。もちろん下手な人もいっぱいいたでしょうが、裾野が広かったから高いところに到達する木版画も生まれたのです。高いピラミッドをつくりたいと思ったら、広い裾野が必要なのと同じことです。

魅力を伝える仕掛け

頒布会形式で木版画をシリーズ化したときに、空摺り(凸版に絵の具を塗らず、摺り圧だけで紙面に凹凸模様をつくり出す技法)とか、ぼかしとか、擦(かす)れ彫りとかいった、木版画のさまざまなテクニックを盛り込みました。お客さんからすると脈絡のないシリーズだ、としか思えないかもしれませんが、自分にとってはトレーニングの意味もあったんです。

100年の間に、今の日本人が木版画の楽しみ方を忘れてしまったことは、今さら愚痴っても仕方がない。だから、私は楽しみ方を思い出してもらおうとしています。問題解決の糸口は、木版画を知らない人ではなくて、木版画をよく知っている人が握っているんですね。

斜光によって木版画は深い色調を見せるので、ガラスやアクリルで封印して壁に掛けたのでは、魅力がちっとも発揮できません。それで、桐で飾り箱をつくり、見せ方を工夫しました。中に収納することもできる箱です。

芸術品ではなく

しかし、私の木版画はアートではありませんから、摺り番号も入れていません。番号というのはエディションナンバー、つまり〈限定枚数〉のことです。

版画は絵画と違って、版をつくったら一度に何枚も摺られるものですが、本や雑誌のように売れれば売れるだけ印刷するわけではなく、一般には決められた限定部数だけ摺られているのです。限定出版物としての数量を管理する手段として、1枚1枚に記入されるのが限定番号です。

版画は、大量生産できる美術品です。そのことだけが、唯一の存在理由と言っても過言ではない。言い換えれば、作品のメッセージをできるだけ多くの人たちに伝えるようにするのが目的なのです。ですから、限定番号によって財産としての価値を維持しようとする現代版画の考えは、不誠実だと思います。

私の版画は限定版ではありません。だって、版木を彫るのには、長い長い時間がかかるんです。摺り終わったからといって、版木を処分するなんて、とてもできることではありません。

そもそも、日本の版画には限定番号なんてありませんでしたし。江戸時代に遡ってみれば、木版画は浮世絵と同じ、日常の楽しみですから、投資の対象になることもあり得なかったのです。私は毎日当たり前のようにパンを焼く、実直なパン焼き職人のような版画職人になりたいのです。

木版画は、伝統的に版元(つまり出版社)の指示のもとに、彫師と摺師が分業で制作してきました。しかし、私は両方の作業を一人でします。企画運営を担う版元も、自分自身。一切を一人でやってきました。

しかし、摺りをほかの人にお願いする〈木版館〉の事業を立ち上げて、リーズナブルな価格を実現。伝統木版画の美しさを一人でも多くの人に知ってもらいたいという思いから、復刻版と現代作家のオリジナル版をつくっています。

(木版館HPアドレス)
http://mokuhankan.jp/index.html

  • 小川に開けた窓からの自然光を使って仕事をする。

    小川に開けた窓からの自然光を使って仕事をする。

  • 中国製、日本製を経て、とうとう〈版画玉手箱〉の桐箱も自作することに。

    中国製、日本製を経て、とうとう〈版画玉手箱〉の桐箱も自作することに。どんなことも工夫と仕組みづくりで乗り切ってきたデービッドさん。

  • 彫り上がった版木は、デービッドさんの宝物だ。

    彫り上がった版木は、デービッドさんの宝物だ。

  • 小川に開けた窓からの自然光を使って仕事をする。
  • 中国製、日本製を経て、とうとう〈版画玉手箱〉の桐箱も自作することに。
  • 彫り上がった版木は、デービッドさんの宝物だ。

現代に意味があるものとして

こんなに素晴らしい、美しいものなのに、なぜ廃れようとしているのでしょうか?見ると欲しくなるのに、どうして和紙を、木版画を、つくる人が少なくなったのでしょうか?

もちろん、明治になって印刷様式が変わったために、昔のようには木版画の出番はありません。問題はそこにはなくて、当時、木版画に携わっていた人たちが、観光客が買うような歌川広重や葛飾北斎といった過去の遺産だけに頼ったことにあるのではないでしょうか。そのために、時代がそこで止まってしまったのです。

確かに素晴らしい木版画ですが、欲しいと思う現代人がどれぐらいいるでしょうか。トヨタやニコンが元気なのは、人が欲しいと思うものをつくっているから。私も、今生きている人たちが欲しいと思うような木版画をつくろうとしています。

今、生きている人が自分で買える〈もの〉、欲しくなって買いたくなる〈もの〉でなければ意味がありません。伝統工芸だから残さなくては、と補助金を注ぎ込んで無理矢理残したんでは意味がないんです。本当に木版画を守りたいと思ったら、自分で買わなくては。税金で守るのは間違いです。

私は木版画が好きだからつくっているだけ。日本の伝統工芸を、カナダ人が守っているわけではありません。私のお客さんは、私のつくるものが好きだから買う。答えは一つしかない。良いものをつくって、社会の人に必要とされること。残るためには、この方法しかありません。

音楽の世界がお手本ですよ。モーツァルトの曲を聴きにいくのは、クラシック音楽を守るためですか?演奏家はモーツァルトの伝統的音楽を守るために弾いているのでしょうか?違いますね。みんなモーツァルトの曲が好きだからです。モーツァルトの曲には、まだ意味がある。和紙も木版画も同じはずだと思います。

(取材:2012年5月11日)

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