機関誌『水の文化』46号
都市の農業

江戸東京野菜
江戸東京野菜でまち興し

江戸東京野菜 江戸東京野菜でまち興し

なぜ、小金井市で江戸東京野菜を?と、不思議に思う人もいるのではないでしょうか。小金井市を江戸東京野菜の新しい栽培産地にしようという仕掛人は元・市職員の内田雄二さん。パンチの効いた在来野菜の魅力を発信している小金井の農の実力をうかがいます。

内田 雄二さん

元・江戸東京野菜でまちおこし連絡会(江戸まち連)事務局長
内田 雄二(うちだ ゆうじ)さん

1948年静岡県下田市生まれ。1975年東京都小金井市入庁。2005年市民部経済課産業振興係のときに地域活性化施策として「幻の江戸野菜の復活栽培による産業振興」を提案。東京都の支援により「水湧く(みわく)プロジェクト構想」に結実(2006年3月)。以降は江戸東京野菜によるまちおこし事業実施のための実行委員会を市民団体等と立ち上げ、さらに推進体制強化のために農業者・商業者・市民・行政など関係者が連携した実行委員会(江戸まち連)に改組して事務局としてかかわる。2013年3月退職。


江戸の「衣食住」が体験できる町

小金井は、吉祥寺と立川という魅力ある都市に挟まれていて、なんとなく特色のない市というイメージがあります。好意的に評価してくれる人は、「水と緑が豊かな市」と言ってくださいますが、逆に言えば開発が遅れた地域だということ。もっと遠くに行けばより豊かな「水と緑」がありますから、あまり強いインパクトを与えられるイメージではありません。

そんな小金井市にある、江戸東京たてもの園(江戸東京博物館の分館。以下、たてもの園と表記)は20周年を迎えた現在も(2013年〈平成25〉)年間20万人の来場者が見込める施設です。せっかく小金井に来ていただいた来場者が吉祥寺や立川に流れて行かずに、小金井を楽しんでもらうにはどうしたらいいのか、小金井をもっと回遊してもらって、お金を使って地域の活性化につなげるにはどうしたらいいのか、と当時から考えていました。

実は小金井には、もう一つ特徴的な施設があります。それは、東京農工大学科学博物館です。この博物館は、東京農工大学工学部の前身である農商務省蚕病試験場の参考品陳列場として、1886年(明治19)につくられました。当初は、江戸時代からの繊維に特化した博物館だったのです。

この二つから、たてもの園では「住」、東京農工大学科学博物館では「衣」とくれば、あとは「食」です。

たてもの園に来た人に食べてもらう食材は何かと考えたときに、カレーやラーメンじゃないでしょう。江戸前の魚貝類は海がないので無理だけれど、野菜だったら小金井らしい。江戸東京の伝統野菜ならぴったりですよね。

2004年(平成16)に公民館セミナーでこのアイデアを聞いたとき「これは面白い。小金井市は江戸東京の『衣食住』が体験できるまちなんだよ、という切り口をまちおこし事業として盛り上げていけないか」と考えました。

小金井で江戸東京野菜

ただ当時は、江戸東京野菜としてはウドぐらいしかつくっていなかったのです。ウドは立川市が主産地ですから小金井でやるには、ちょっとはばかられる。それで、「栽培歴がなくても、小金井の農家さんに江戸東京野菜をつくってもらえばいいんじゃないか」と考え、東京都の農業試験場に江戸東京の伝統野菜にくわしい人がいらしたので、ご指導いただくことになりました。そのときに挙げてもらったのが、亀戸大根、伝統大蔵大根、金町こかぶ、しんとり菜、伝統小松菜の5種類です。

その人が言うには、こうした伝統野菜は絶滅危惧種。病気に弱いとか安定生産がしにくいという生産面での弱点があることからつくられなくなっているというのです。「それを小金井市で復活させて栽培するということは、農業試験場にとっても大変有り難いことだ」と言われました。それで、本場ではないし栽培歴もないけれど取り組むことに意義がある、と考えました。

それで2007年(平成19)11月のイベントに協力いただける農家さんを募ったのです。しかし、栽培した経験がないものをつくろうと思ってくれる農家さんはありませんでした。しかも病害虫に弱いとか日持ちがしないとか、リスクがあるじゃないですか。つくった野菜は小金井市が責任を持って買い取ってくれるのか、だいたいイベントにぴったりと時期を合わせて生産できるのかどうか、という話にもなりました。

しかし、最終的にはJA東京むさしが「まちおこしの一環ということであれば」と理解してくださって、新しいことに挑戦できる力を持った農家さんを説得してくれました。そのとき協力いただいた4軒の農家さんの内の1軒が井上誠一さんです。

4軒だった生産者も、今は9軒に増えました。研究会をつくって熱心に勉強しながら、江戸東京野菜に取り組んでくださっています。

江戸の小正月からフェアへ

最初は2007年(平成19)1月に、たてもの園の中に「江戸の小正月」というテーマで出店(でみせ)を出し、伝統小松菜と亀戸大根を使って、江戸の商家の雑煮を再現しました。

このときは一つのお店に協力していただいたのですが、その年の11月には「江戸東京たてもの園・住と食文化フェア〜江戸東京野菜を味わう」を開催し、14店舗出店してもらいました。井上さんをはじめ小金井の生産者さんに江戸東京野菜をつくっていただくようになったのは、このときからです。翌年の春には、お花見の時期に合わせて江戸東京野菜を使った「春うららのお花見弁当フェア」も企画し、弁当を予約販売しました。

現在のような形式で、市内の飲食店で江戸東京野菜を使ったメニューを提供していただくようになったのは2008年(平成20)11月からです。それぞれの店を訪ねてもらえば、一過性のイベントで終わらずにお店とお客さんがつながる可能性が高くなります。

期間限定のイベントですから、生産者さんや飲食店さんにはご苦労をかけていますが、毎年楽しみに待っていてくださるお客様もいて、定着してきた感触を持っています。今年は32軒の飲食店さんに協力していただきました。

小金井の農業

小金井の畑は、一区画を細長く縦割りにしているのが特徴です。井上農園のように連雀通りに主屋がある場合は、中央線に向かって北向きに同じ幅の土地が並んでいる、という土地割りです。小金井市の農地は、ほとんどが生産緑地になっています。

野川から北は土地が高いので、畑地。野川沿いは田んぼでした。かつては玉川上水から引いた用水路が、毛細血管のように張り巡らされていたんですが、今は使われなくなって遊歩道になっています。水道を使ったら大変な金額になってしまうので、みなさん今は井戸を掘って対応しているようです。

少量多品種が特色で、ほとんどが地元で消費されています。江戸東京野菜のような在来種は、通常栽培されているものより葉の色が淡く変わりやすいため新鮮でないと売りものになりませんが、究極の地産地消ですから問題にならないようです。移動距離は本当にわずかですから、フードマイレージ(食料の輸送に伴って排出される二酸化炭素が、地球環境に与える負荷に着目した指数)の観点から見ても優等生ですよ。

オール小金井でまち興し

私は60歳でいったん定年退職し、小金井市商工会産業振興プラン推進室〈黄金井(こがね)の里〉に移り、今年の春、完全退職しました。ただ、今まで行政側で市民のみなさんにお願いしていたのに、退職した途端に活動をやめるわけにもいきません。小金井市に採用になって以来、自分もみなさんと同じ目線で市のことを考えることが大切だと思い、ずっと小金井に住んできました。これからは私も、協力する側として活動に参加させていただくつもりです。

小金井は文教都市と大型自然公園、個人商店の町でして、大きな産業や工場があるわけではありません。それでも何とか産業と結びつけて、商店振興に結びつけられないか、と考えてきました。

やっと今、たてもの園、東京農工大学科学博物館、農業生産者さん、飲食店さん、市民のみなさん、とオール小金井でまちづくりに取り組める態勢づくりが始まった気がします。江戸東京野菜の産地として、新しい伝統をつくっていきたいと思います。

(取材:2013年11月18日)

江戸東京野菜をつくる
生産者

井上誠一さん

井上農園 東京都小金井市
井上 誠一(いのうえ せいいち)さん

井上誠一さん(左)とお父さんの鋹明(としあき)さん。井上家では誠一さんのお兄さんの忠明さんがお父さんと組んで栽培にあたり、誠一さんは江戸東京野菜など、主に栽培経験のない品種に挑戦して差別化を図っている。

お父さんの金長明(としあき)さん
在来種〈江戸東京野菜〉に挑戦

2007年(平成19)、小金井市が11月に「江戸東京たてもの園・住と食文化フェア〜江戸東京野菜を味わう」を開催しました。それに間に合うように江戸東京野菜を復活させてほしい、という話があり、引き受けたのが私を含めた小金井市の4軒の農家です。

今の農家が普通につくっているのは、F1種(交配種)と呼ばれる野菜です。F1種は父と母の良い形質だけが一代限りで表われるようにつくられた雑種です。甘いとか虫や日照りに強いとか均一に育つといった形質を持つので、生産者は効率よく農産物をつくることができます。

それに対して江戸東京野菜は在来種。先祖の持つ形質が突然表われることがあったり、育ち方や形が不ぞろいだったり。日持ちも悪く、生産効率が大きく劣ります。そのため、在来種はだんだんつくられなくなってきたのです。

土づくりにも独自のノウハウで取り組んできましたから、初めてつくる在来種の野菜でもなんとかなるだろう、と思い引き受けたのですが、失敗もありました。

  • 秋の黄金丼フェアが始まった当初から協力している〈割烹 真澄〉の渡邉忠さん。

    秋の黄金丼フェアが始まった当初から協力している〈割烹 真澄〉の渡邉忠さん。

  • 馬込三寸人参、しんとり菜、伝統大蔵大根、金町こかぶ、亀戸大根、伝統小松菜、東京長かぶの7種類の江戸東京野菜を昆布締めして、敷き詰めた。卵の月ときのこが、秋の風情を添える。

    2013年(平成25)のテーマは、「小金井の小さな秋」。馬込三寸人参、しんとり菜、伝統大蔵大根、金町こかぶ、亀戸大根、伝統小松菜、東京長かぶの7種類の江戸東京野菜を昆布締めして、敷き詰めた。卵の月ときのこが、秋の風情を添える。 撮影協力/割烹 真澄

  • 秋の黄金丼フェアが始まった当初から協力している〈割烹 真澄〉の渡邉忠さん。
  • 馬込三寸人参、しんとり菜、伝統大蔵大根、金町こかぶ、亀戸大根、伝統小松菜、東京長かぶの7種類の江戸東京野菜を昆布締めして、敷き詰めた。卵の月ときのこが、秋の風情を添える。

チャレンジ精神の血が騒ぐ

なにせ、つくったことのない野菜でしたから、最初は手探りです。

通常の青首大根と同じ感覚で、フェアの2カ月前に亀戸大根の種を蒔いたところ、1カ月でできてしまったのです。育ち過ぎると〈す〉が入ってしまうので、最初に蒔いた種はほとんどダメにしてしまいましたが、試行錯誤を重ねて、今ではコツをつかんできましたよ。

私は以前、電子機器の開発設計をしていました。兄が農家を継いで父を手伝っていたのですが、20年ほど前に転職して家族で農業をやっています。そういう経歴のせいか、工夫するのは苦にならない。それで、フェアを終えてからも江戸東京野菜をつくり続けています。

うちは養鶏をやっていたのですが、住宅が込み入ってきたので父の代で野菜をメインにするようになりました。こことは別に、もう1カ所畑があって、母が体調を崩したので今はやめてしまいましたが、そちらでは沢庵用に大根をつくっていました。

母と私が組んで大根を樽に漬けて、アメリカのロサンゼルスまで輸出していたこともあります。先代も在来種の伝統大蔵大根をつくっていましたから、チャレンジ精神は井上家の血なのかもしれませんね。

井上農園では、亀戸大根をハウス栽培している。「葉っぱがおかめの顔みたいな形でしょ。それでおかめ大根とも言われていたんですよ」と誠一さん。

井上農園では、亀戸大根をハウス栽培している。「葉っぱがおかめの顔みたいな形でしょ。それでおかめ大根とも言われていたんですよ」と誠一さん。おかめは江戸時代の美人の代名詞。

在来種をつくり続ける

その後も金町こかぶ、東京長かぶ、のらぼう菜など、江戸東京野菜の種類を増やしています。2009年(平成21)に小金井市農業祭に出品した伝統大蔵大根が最高賞である東京都知事賞をいただき、在来種の受賞は珍しいですから評判になりました。

在来種は栽培に手間がかかりますが、どれも味が濃くて野菜本来の味がするんです。子どもの食育のお手伝いもしていますが、子どもの舌は正直です。食べ比べさせると、ちゃんと違いがわかるんですよ。

新しい江戸東京野菜の栽培を始めるときは、つくば市の〈農業生物資源ジーンバンク〉へ種の保管がないか問い合わせます。自分で種取りするときは、ほかの種と交配しないようにハウスの中で丁寧に育てています。

黄金井江戸東京野菜研究会という会をつくって、本場、江戸川・亀戸の生産者さんに亀戸大根のつくり方をうかがったり、失敗の解決方法や工夫のさまざまなことなど、意見交換をしながら学んでいます。

野菜づくりのプロとして

私は、野菜の姿形の美しさを常に心掛けています。ですから一番美しくおいしいときに収穫するように、一つひとつの生長度合いに気を配っています。もちろん、荷姿も野菜が引き立つように工夫しています。商品に泥がつかないように、配送用の軽トラックも毎日洗車してピカピカにしていますよ。

見ただけで「おいしそう!」と思って手に取ってもらわないと、味わってもらうところまでたどり着けませんからね。

うちのトマトは評判がよく、JA直売所で1日約100袋(50kg)のトマトがあっという間に売れてしまうほど。小金井市内で全部売れてしまうので他所には出回りません。新鮮でおいしいことが、東京の地場産野菜の最大の魅力です。

同じ種でも生産者の工夫で品質に違いが出てきます。だからこそ、工夫して良いものをつくることが楽しいのです。江戸東京野菜に惚れ込んだ東京の一流のシェフにも使ってもらっていて、やりがいがある仕事です。

  • 荷姿も大事、と丁寧に水洗いして出荷している

    荷姿も大事、と丁寧に水洗いして出荷している

  • 肌の肌理が細かく色白なところも、美人たる所以

    肌の肌理が細かく色白なところも、美人たる所以

  • 荷姿も大事、と丁寧に水洗いして出荷している
  • 肌の肌理が細かく色白なところも、美人たる所以


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