機関誌『水の文化』49号
変わりゆく養殖

カキとアマモのハーモニー
――人の手で育てる豊かな里海

高台から見下ろした岡山県日生町の海。

高台から見下ろした岡山県日生町の海。

赤潮の発生など海の環境悪化に悩まされてきた瀬戸内海。その沿岸部にある岡山県備前市の日生町では、30年前から「魚を呼び戻すカギはアマモにある」と考えたつぼ網漁師たちが、手弁当で再生プロジェクトを進めてきた。ようやくここ数年で急速にアマモ場が広がり、それと同時にカキの養殖が安定しつつある。「アマモの種まき」からスタートし、見事にカキの養殖とリンクした日生町漁業協同組合の取り組みは、人の手を加えて海を豊かにする「里海づくり」の理想的な姿だった。

日生町漁業協同組合

ブランド化した「日生(ひなせ)かき」

 岡山県の東南端に位置する備前市日生町。大小の島々が点在する穏やかな瀬戸内の海が眼前に広がる港町だ。水面にはたくさんのカキ筏(いかだ)が整然と並び、まるで海上の畑のようにも見える。岡山県はカキの養殖が盛んで、広島県に次いで全国第2位の出荷量を誇るが、特にここ日生産のカキは、身が大きく太っていて質がよいとして人気が高く、2013年(平成25)11月には「日生かき」として商標に登録されている。

 日生は「ひなせ千軒漁師町」と呼ばれるように、古くから漁業を生業として発展してきた。現在はカキ養殖が水揚高の約9割を占めるが、もともとは小型底びき網漁やつぼ網漁などによる漁船漁業が主流だった。つぼ網漁は日生で編み出された漁法で、ここから全国に広まった。魚が成長するに伴って移動する通り道に小型定置網を仕掛け、生態系に影響のない範囲で魚を間引くように捕獲するという海にやさしい漁である。

 この町で漁業に携わるすべての人は世帯ごとに日生町漁業協同組合(日生町漁協)に所属しており、地域全体として漁業に取り組む。島々に囲まれた閉鎖海域で水産資源が限られる環境のためか、海との共生を大切にする文化が根づいている。なかでも注目されるのが、30年前から漁師たちが地道に活動を続けてきたアマモ場の再生プロジェクトだ。

 日生の海は元来環境に恵まれ、多様な生物が繁栄する豊かな漁場だった。しかし、瀬戸内海全域に及ぶ戦後の干拓や高度成長期の沿岸開発、河川からの生活排水流入などの影響により、1940年代後半から80年代にかけて漁獲量が大幅に減少していった。その対策として人工的に育てた稚魚の放流を何度も試みたが、一向に魚の数は増えない。そんなとき、「かつて日生の海に繁茂していたアマモ場が再生しなければ魚は戻らない」と、つぼ網漁師たちが声を上げたのだ。


  • 沖合の筏で成長中の「日生かき」

    沖合の筏で成長中の「日生かき」

  • 沖合の筏で成長中の「日生かき」。


    沖合の筏で成長中の「日生かき」。おいしいと人気があり、遠方からも買いに来る

  • 沖合の筏で成長中の「日生かき」
  • 沖合の筏で成長中の「日生かき」。

漁師たちの熱い思いも成果は出ず

 アマモは沿岸部に自生する海草(うみくさ)の一種で、普段意識することのない雑草のような存在だった。だが、つぼ網漁師は常に魚の生態や海域環境を観察しながら漁をしているため、誰よりも海を熟知しており、長年の経験と知恵から、魚の産卵や育成にアマモ場が欠かせない存在だったと気づいた。実際に県が調査したところ、1940年代まで約590haあった日生のアマモ場は、80年代にはわずか12haに減少していた。

 魚を呼び戻すカギがアマモ場にあると見るや、日生町漁協前組合長の故・本田和士さん(当時はつぼ網組の組長)は県の水産試験場に直談判し、アマモの育成技術の開発を依頼した。そして試験場でアマモ種子の採取技術を開発すると、19軒(26人)のつぼ網漁師たちがアマモ場の再生プロジェクトを立ち上げ、1985年(昭和60)から種まきを開始した。

 NPO法人里海づくり研究会議理事の田中丈裕さんは当時、県の水産課職員としてアマモの種まきの相談を受け、それ以来、日生町漁協とともにアマモ場の再生に力を注ぐ。

「日生の漁師の方々は非常に先進的です。長期的かつ俯瞰的な視点で漁業の未来を考えておられる。私も何とか役に立ちたいという思いで活動を支えてきました」

 夏のうちにわずかに残るアマモから花枝を摘みとり、秋になるとそこから丁寧に種を採取して選別し、アマモ場を育てたいエリアまで船を出して種をまく。そんな地道で手間のかかる作業を漁の合間に手弁当で毎年繰り返した。だが、なかなか根づくことはなく、少し生えても翌年には消えてしまう。何年経ってもアマモが広がっていくことはなかった。

 あきらめそうになる仲間もいたが、前組合長の本田さんは「これは誰かのためのボランティアではなく、自分たちのためにやっているんだ。可能性があるならとことんやろうじゃないか」と励ましたそうだ。

 日生町漁協専務理事の天倉辰己さんは「本田前組合長の人柄と統率力がなければ、これほど結束することはなかったでしょう」と振り返る。

  • 日生町漁業協同組合専務理事の天倉辰己さんは「アマモ場の再生はうまくいかない時期が長かったので、周囲の目は冷たかったようです」と初期の苦労を語る

    日生町漁業協同組合専務理事の天倉辰己さんは「アマモ場の再生はうまくいかない時期が長かったので、周囲の目は冷たかったようです」と初期の苦労を語る

  • 1981年(昭和56)から日生町漁協とともにアマモ場の再生に力を注ぐNPO法人里海づくり研究会議理事の田中丈裕さん

    1981年(昭和56)から日生町漁協とともにアマモ場の再生に力を注ぐNPO法人里海づくり研究会議理事の田中丈裕さん

  • 図1 日生町地先におけるアマモ場面積の推移

    図1 日生町地先におけるアマモ場面積の推移
    緑色がアマモの繁茂場所。1970年代から80年代にかけて急速に失われていくのがわかる。2013年は1950年ごろの3分の1まで回復(約200ha)してきた。
    提供:NPO法人 里海づくり研究会議
    国土地理院基盤地図情報「岡山県」より編集部で作図
    この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の基盤地図情報を使用した。(承認番号 平26情使、第787号)

  • 日生町漁業協同組合専務理事の天倉辰己さんは「アマモ場の再生はうまくいかない時期が長かったので、周囲の目は冷たかったようです」と初期の苦労を語る
  • 1981年(昭和56)から日生町漁協とともにアマモ場の再生に力を注ぐNPO法人里海づくり研究会議理事の田中丈裕さん
  • 図1 日生町地先におけるアマモ場面積の推移

よみがえったアマモ場が日生のカキを育てる

 種をまいてもアマモが育たない原因が海の底質悪化にあることがわかると、改善のため思いつく限りのことを試していった。もっとも効果があったのはカキ養殖で身を除いた後の「カキの殻」だった。カキ殻を海底にまくとアマモの種が根を張りやすく、また底面のヘドロの巻き上げを防いでくれる。さらに、アマモ場近くにカキ筏を設置すると、カキが水中のプランクトンを食べることで水の透明度が増し、アマモの成長を促すこともわかった。

 こうした試行錯誤と地道な努力が実を結び、2000年(平成12)を過ぎたころから少しずつアマモが生えるようになった。現在、アマモ場の面積は200ha以上。1940年代後半の3分の1まで回復している。

 本田前組合長と30年間、アマモの種まきを続けてきたつぼ網漁師の藤生泰三さんは手ごたえを感じている。

「ここ4〜5年で急速にアマモが増え、何十年も見ることのなかったモエビなどが網にかかるようになりました。豊かな海を豊かなまま子どもや孫の代に引き継がなければ申し訳ないという思いで続けてきました」

 アマモ場が再生されたから、すぐに魚が元通りになるわけではないが、生物の多様性が広がり、海域の環境が改善されつつあることは間違いない。その証拠に、アマモ場が繁茂するようになった2008年(平成20)から、それまで不安定だったカキ養殖の生産量が安定しはじめた。

「カキがだめになる一番の要因は夏季の高温なのですが、アマモ場が直射日光を遮り水温の上昇を防ぎ、光合成によって大量の酸素をつくり出してくれるため、カキの大量死がなくなりました。また、アマモ場がカキのエサを増やしてくれるので、身入りもよくなっています」と天倉さん。日生を支えるカキ養殖の営みがアマモ場の再生を助け、一方、よみがえったアマモ場が日生のカキを守り育てる、そんな相互作用が生まれているのだ。

  • 故・本田和士前組合長とアマモの種まきを続けてきた藤生泰三さん。

    故・本田和士前組合長とアマモの種まきを続けてきた藤生泰三さん。「あきらめなくてほんとうによかったです」と笑顔を見せた

  • 日生町漁協が設置したカキむき場で働く人たち。


    日生町漁協が設置したカキむき場で働く人たち。収穫の最盛期に差し掛かり、忙しそう

  • 日生町漁協カキむき場と海の間にあるカキ殻の保管庫。


    日生町漁協カキむき場と海の間にあるカキ殻の保管庫。ここで粉砕したカキ殻を船で運んでまくことで、海の底質が改善する

  • 故・本田和士前組合長とアマモの種まきを続けてきた藤生泰三さん。
  • 日生町漁協が設置したカキむき場で働く人たち。
  • 日生町漁協カキむき場と海の間にあるカキ殻の保管庫。

里海づくりが海を豊かにする

 こうした日生におけるアマモ場再生の取り組みに注目し、機会があるごとに国内外へ紹介している人がいる。里海研究の第一人者、九州大学名誉教授の柳哲雄さんだ。柳さんは、10年ほど前に田中さんの紹介で日生のアマモ場再生プロジェクトを知り、以来、日生の人々との親交を深めながら活動を見守り続けてきた。

「日生では、ほとんど壊滅状態だったアマモ場を地元の人々の手によってよみがえらせ、それが海域全体の生物環境の改善につながっています。まさに里海づくりの理想モデルです」と柳さんは評価する。

 里海とは柳さんが提唱している概念で、「人手が加わることにより生物生産性と生物多様性が高くなった沿岸海域」のことを指す。

「海の環境保全については、人の手を加えず自然のままであることが重要だという考え方がいまだに根強い。しかし現実的に沿岸海域は人間の生活圏に隣接していてその影響を受けており、何もせずに完全な自然を保つことは不可能なのです」

 里山と同じように、人々の生活に近い海には積極的に人の手を加えて、里海として守り育てなければ海洋環境は悪化するばかり。そこで大切なのが、地元の漁師の存在だ。

「漁師は海の守人(もりびと)です。彼らがいなくなったら海はあっという間に荒れてしまう。ですから、養殖を含む漁業によって漁師がきちんと利益を得られるしくみをつくることが海の環境保全にもつながるのです」

 日生町漁協では30年以上前から、底びき網にかかる海のごみの回収を続けている。また、カキのふんや死がいで海が汚れないよう、収穫後にカキ筏の下の海底を耕運し、使用済みのカキ筏の廃材を竹炭にして再利用するなど、さまざまな取り組みを行なっている。それは、自分たちの海を自分たちの手で守るという漁師たちの覚悟でもある。

 里海づくりは「SATOUMI」として海外からも注目され、国際大会も開かれている。世界各地でアマモ場を育成する試みが始められ、インドネシアでは放棄されていたエビの養殖池でエビ、魚、天草などを組み合わせた複合養殖の実験を行ない、本格運用に乗り出すところまできた。

 水産資源の絶対量が限られるなか、食糧の安定供給のためにも、養殖は今後ますます重要な存在になるだろう。柳さんは里海とこれからの養殖のあり方について次のように述べた。

「養殖は、海に人が手を加えるもっとも直接的な行為ですから、やり方を間違えば環境破壊につながりかねません。しかし、つぼ網漁から始まった日生町漁協の『アマモを植える』取り組みは、カキの養殖ととてもうまくリンクしていると思います。これからは全国でこのような取り組みを進めてほしいですし、私たち研究者はそれに対してどれくらいお手伝いできるかが問われています」

 里海の理想的な姿は多様だ。それこそ浜ごとによって違うと柳さんは言う。人の手をかけて生態系全体をゆっくり大きくする里海づくりは、漁師たちを中心に、住む人たちも一緒に模索することが大事なのだ。その過程では日生のように養殖が果たす役割もかなり大きいのではないか。そう考えると、養殖に対する眼差しがまた少し変わったような気がする。

  • 日生におけるアマモ場再生の取り組みを国内外に紹介している九州大学名誉教授の柳哲雄さんは「カキの養殖とリンクしている日生の取り組みは里海づくりの理想と言っても過言ではないです」と語る


  • 図2 日生藻場造成推進協議会(通称:アマモ倶楽部)の構成図
    提供:NPO法人 里海づくり研究会議

  • 日生町漁協前組合長の故・本田和士さんが先頭に立ち、1985年(昭和60)に初めて種をまいたときの写真


    日生町漁協前組合長の故・本田和士さんが先頭に立ち、1985年(昭和60)に初めて種をまいたときの写真
    提供:日生町漁業協同組合

  • 日生中学校の生徒や生活協同組合コープおかやまの組合員なども種まきに参加。活動は広がっている

    日生中学校の生徒や生活協同組合コープおかやまの組合員なども種まきに参加。活動は広がっている

  • 夏のうちに刈り取ったアマモは保管袋に入れて筏に吊るす。

    夏のうちに刈り取ったアマモは保管袋に入れて筏に吊るす。秋に海水を用いて種を取り出して、質のよい種だけを船からまく

  • 密生して繁茂するアマモ。

    密生して繁茂するアマモ。30年もの取り組みが実りつつある。

  • 再生したアマモ場は水中でもしっかり根を張っている様子がわかる
    提供:日生町漁業協同組合

  • 日生町漁協前組合長の故・本田和士さんが先頭に立ち、1985年(昭和60)に初めて種をまいたときの写真
  • 日生中学校の生徒や生活協同組合コープおかやまの組合員なども種まきに参加。活動は広がっている
  • 夏のうちに刈り取ったアマモは保管袋に入れて筏に吊るす。
  • 密生して繁茂するアマモ。


(2014年12月5日取材)

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