機関誌『水の文化』49号
変わりゆく養殖

文化をつくる
「適魚適食」が広まる日

編集部

養殖の価値に目を向ける

 このところ、魚介類の養殖に対する注目度は上がっているように見える。水産資源の枯渇が問題視されるなか、クロマグロの完全養殖に成功した近畿大学、ニホンウナギに取り組む独立行政法人水産総合研究センターなどがメディアに取り上げられる機会も多い。知恵と情熱、創意工夫によって完全養殖の道を切り開いた人たちには敬意を表したい。

 しかし、それをニュースとして取り上げる側、視聴する側は「天然ものが獲れなくなったけど、代わりは養殖でなんとかなりそうだ」と思っていないだろうか。

 そう、私たちは無意識のうちに「養殖は天然の代替品」と見ているようだ。目の前の切り身にとらわれて、その向こう側にある生産や流通の現場まで思いが至らないからかもしれない。養殖について知らないことばかりだからかもしれない。

 養殖には「天然種苗」「人工種苗」「蓄養」があることすら知らなかったが、実際に現場に足を運び、話を聞くと、天候に左右されない養殖は安定した量を水揚げできるうえ、味もエサによってコントロールできることを知った。なによりも現場の人たちは試行錯誤を繰り返し、よりおいしくしようと努めていた。

 養殖ものの価値を天然ものよりも下に見てしまう障壁は、実は私たちの無意識がつくり出しているのかもしれない。

固定観念にとらわれない

「養殖vs天然」とつい対比させてしまいがちだが、そもそも私たちが毎日口にする食べ物のなかで、完全な天然ものはそうはない。養殖は別の価値を持ったもう一つのジャンルと捉えれば可能性はグッと広がる。

 食材によって料理法を変えることはみんなが普通にやっている。サクサクした衣に包まれたトンカツを思い浮かべると、脂身の多いロースカツを好む人もいれば、脂身の少ないヒレカツしか食べない人もいる。それは、部位によって肉質が異なることをきちんと知っているからだ。

 同じことをなぜ養殖魚でやらないのだろう。養殖魚の弱点としてしばしば挙げられるのは、天然魚との比較による「脂っぽさ」。とすれば弱点を補うように料理すればよい。そう教えてくれたのは水産庁の上田勝彦さんだ。「焼きしゃぶ」と「湯煮」は養殖ブリ(ノンブランド)の脂っぽさを見事に消し去った。

 変えるべきなのは私たちの意識かもしれない。固定観念を捨てて、食材として養殖ものに向き合ってみる。人には適材適所、農業には適地適作という考えがあるように、養殖を指す「適魚適食」という言葉が浸透する日がくるかもしれない。(「適魚適食」は編集部の造語です)

魚食文化の新しい芽

「日本の魚食文化は養殖によってさらに深まったのです」。近畿大学の有路昌彦さんがそうおっしゃったときはハッとした。回転寿司の隆盛に「魚食文化が壊れていく……」と嘆く向きも少なくないが、見方を変えればこれほど多くの人たちが高級魚を気軽に味わえるとは幸せだ。エサとなる魚や魚粉がどこから届いているのか、環境への負荷などを忘れてはいけないが、もっと楽しんでよいのではないだろうか。

 なぜなら文化とは時代によって変わっていくものだから。ご存じの方は多いと思うが、かつてマグロは赤身が重宝され、脂肪の多い腹身(トロ)は腐りやすいので捨てられていた。トロが重宝されるようになったのはごく最近のことだ。

 その背景には、日本人の嗜好が変わったこともあるが、冷蔵技術の発達も大きなファクターとなった。

 文化が変わるその裏には、技術の進歩があり、それを支える科学がある。柑橘類をエサに採用したかぼすブリ・かぼすヒラメや、温泉とらふぐの味をよくする「味上げ」などは、まさに科学がその有効性を立証して生まれたもの。もちろん常識にこだわらない突破者の存在も欠かせない。

 日本の養殖はたしかに変わりはじめているし、今後はさらに大きく変わる予感もある。海外への輸出も含めて、これからも注視したい。



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