神山町の中心部を流れる鮎喰川(あくいがわ)。
人口減少期の地域政策を研究し、自治体や観光協会などに提案している多摩大学教授の中庭光彦さん。ミツカン水の文化センターのアドバイザーも務める中庭さんが「おもしろそうだ」と思う土地を巡る連載です。将来を見据えて、若手による「活きのいい活動」と「地域の魅力づくりの今」を切り取りながら、地域ブランディングの構造を解き明かしていきます。その土地ならではの魅力や思いがけない文化資産、そして思わぬ形で姿を現す現代の水文化・生活文化にご注目ください。
多摩大学経営情報学部事業構想学科教授
多摩大学研究開発機構総合研究所副所長
中庭 光彦 さん なかにわ みつひこ
1962年東京都生まれ。中央大学大学院総合政策研究科博士課程退学。専門は地域政策分析・マネジメント。郊外や地方の開発政策史研究を続け、人口減少期における地域経営・サービス産業政策の提案を行なっている。並行して1998年よりミツカン水の文化センターの活動にかかわり、2014年よりアドバイザー。主な著書に『オーラルヒストリー・多摩ニュータウン』(中央大学出版部 2010)、『NPOの底力』(水曜社 2004)ほか。
今、徳島県名西(みょうざい)郡の神山町という人口5903人(2015年6月)のまちが全国から注目を集めている。スダチの生産量日本一というまちで、見回すと四方が山という、一見するとどこにでもある山里だ。
このまちの古民家を改装し、都市部の企業がサテライトオフィスとして使ったり、素敵なフレンチレストランが営業している。平成23年度は転入人口が転出人口を上回った。また、若い人々の交流が生まれている。いわゆる「増田レポート」(注1)では「消滅可能性都市(注2)20位」と書かれながらも、一方で神山町はこれからの過疎地を蘇らせる1つのモデルになると期待が寄せられているのだ。
では、実際はどうなのか。
この集落のほぼ中心部にあるのが「カフェオニヴァ」。われわれ取材チームはここで夕食をとることにした。造り酒屋を改装したビストロで、最初に出されたチーズからおいしく、ディナーを楽しんだ。
シェフにお話をうかがうと、毎年1カ月は営業を休みフランスに逗留し、いいワインを楽しんでくると言う。オーガニック野菜にこだわっていて、これから神山町の農家と協力して栽培も始めるという。お客さんは近くから来る方が多いようで、近隣の方々で話が弾んでいる。
豊かな暮らし。森の香りがするなかでほっとできる場だ。
このコーナーは「魅力づくりの教え」だが、魅力といってもいろいろな表現がある。
このビストロでは、一流のフランス料理を神山町の風土のなかで味わった。すると気持ちがフワッとゆるんでくる。ここならば長逗留してもいいかな。そんな魅力について考えたくなった。
(注1)「増田レポート」
民間研究機関「日本創成会議」人口減少問題検討分科会(座長・増田寛也氏)が「2040年までに全国のおよそ1800市町村のうち、896の市町村が消滅する恐れがある」と2014年5月に発表した試算。
(注2)消滅可能性都市
2010年の国勢調査をもとに試算した結果、今後30年間(2040年時点)で若年女性(20〜39歳)人口の減少率が5割を超えると推計された自治体のこと。
なぜ移住者やサテライトオフィスを探す企業に、神山町は選ばれるまちになっているのか。
「四国には八十八カ所巡礼の文化があるのですよ。民泊のお遍路さんには手厚いサービスをする」
こう語ったのは神山町産業観光課主事(2015年3月末)の北山敬典さん。27歳、地元出身の行政マンだ。お遍路文化があるので、外からやってきた人をやさしくおもてなしする素地があるというのだ。
「小学生は1学年10人くらい。実際、普通の過疎地ですよ。ここで生まれた人は、地元に高校が1つしかないので徳島市内の高校に出ます。どんどん転出します」という。
たしかにデータを見てもこの四半世紀で世帯数の若干減少に比べ、人口は半減している(図1)。
人口は出生、死亡、転入、転出の4つの要素の組み合わせで決まる。内訳を見てみると図2のようになる。
この25年、たしかに出生数は若干の減少傾向だが、だんだんと転出数と転入数の差が小さくなってきていることがわかる。
平成16年度より神山町は国の補助金により光ファイバーが使えるようになり、オフィスも増えはじめている。これが直接影響したかどうか定かではないが、平成15年度あたりより転入数減少が底を打ち、平成23年度は一時、転出者数を転入者数が上回り、26年度にはまた減少した。
町は移住促進政策を引き続き進めているが、移住交流支援センターが受け入れた移住者は平成24年で14世帯・25名、平成25年21世帯・32名、平成26年10世帯・14名だ。毎年の転出者が150〜200名のなかでのこの数は決して少なくない。しかも定着率が高いのが神山町の特徴で、おおよそ8割程度という。
町の移住交流支援センターを引き受け、移住者・企業の受け皿となっているのがNPOグリーンバレーだ。アーティスト・イン・レジデンス事業や、神山塾という若い人たちのための職業訓練の場を運営している。
私は今を生きる若い人の気持ちが知りたかったので、このNPOのサテライトオフィス担当である若手の木内康勝さん(27)にお話をうかがった。
木内さんは徳島大学卒業後、県外の企業勤務を経て、今ではこのNPOに徳島市内から通ってきている。グリーンバレーで学んでいる場の価値を高める方法論やサテライトオフィス誘致の手法を、自分の暮らしている徳島市内でも展開したいという。
木内さんが神山町に惹きつけられた魅力は何だったのか?
「ゆるさ……ですかね」
巡礼文化があるので、神山町は人付き合いのしやすいまちだという。
ゆるさ、か。
カフェオニヴァで感じたフワッとした雰囲気を一瞬思い出した。この雰囲気、東京のビジネスシーンでは感じない空気でもある。東京で若い社会人から「ゆるいのがいい」と言われると「それではビジネスでは通用しない」と言ってしまう自分がいる一方、同じことを自然があふれ時間がゆっくりと流れる集落で聞くと、「それが本来の生活というものかな」と思ってしまう。
実は「ゆるさ」というのは、気持ちを回復に誘う魅力で、これなしでは日常生活は送れない。「巡礼の気持ち」「もてなされるありがたさ」が「ゆるさの魅力」という言葉に重なり合った気がした。
木内さんは、この神山町だからこそ感じられる大事な価値を気がつかせてくれた。
今、神山町で営業しているオフィスを4つ挙げてみよう。
これら企業に共通しているのは、通信基盤が整っていれば高度なサービスを提供できることで、国内・海外の商圏を区別していない点だろう。
この一つ、「えんがわオフィス」を実際に見せていただいた。外から見るとリニューアルされガラス張りにされた古民家・蔵だが、なかにはサーバやPC、映像機器が並んでいる。仕事はデジタルコンテンツ制作と書いたが、例えば、家でテレビ番組を録画するときに番組表が映る。あれをつくっているのがこの会社だ。
ご案内いただいた谷脇研児さん(46)はここでの勤務が楽しくて楽しくてしかたがないという風。昼は縁側で弁当を食べたり、ちょっとした料理をする。隣の敷地には寄井座(よりいざ)という芝居小屋が今も残っている。ちなみに、このあたりに鮎喰川(あくいがわ)の船着き場がかつてはあり、そのために盛り場になったとのこと。
本来の仕事が忙しいのかどうか、私には窺い知れなかったのだが、少なくとも多くの地元社員の皆さんがゆったりとした気持ちでディスプレイに向かっているように見えた。
自然に触れることで発揮できる創造性とゆるい環境。そのナマの現場の空気を吸うことができた。
こうした「ゆるさ」「ゆったり」といった言葉で表現される魅力ならば、神山町をはじめとして、どこにでもあるような山里で味わえるのかもしれない。でも実際には神山町が一頭地を抜いている。
その理由として、早期の高速通信回線の導入や、NPOグリーンバレーの戦略的活動が成功したという側面もあるのだろう。企業は、過疎地の強みである「自然」という価値に惹かれて誘致され、サテライトオフィスをつくっている。しかもそれはたんなる企業誘致ではない。ゆったりとしたワークスタイル、職住近接、ワークライフバランスの実践を伴うもので、おそらく東京のようななんでもそろっているように見えながら、実はモノカルチャー色が強く多様性に薄い場では味わえないものだ。その強みをNPOのリーダーは自覚しているのだろう。
とはいっても、人間はお人好しではない。自分のものさしで合理的な選択をし、仕事がない、不便なところからは流出していく。
ならば、神山町にはなぜ人が流入してきているのか?
それは神山町が自然の魅力にあふれているだけではなく、便利な場所になったからだ。
実際に徳島空港から市内を経て神山町にアプローチするとわかるが、徳島ほどクルマのための生活基盤が整っているところはない。言い方を変えると、醜悪な景観と嫌がられるロードサイドショップがそろっているのだ。イナカの生活者は歩いて買い物になど行かない。
このため徳島市中心市街地はシャッター通りとなり壊滅状態だ。
でもそんな徳島市の中心地から、吉野川沿いに伊予街道をクルマで上流に向けて走ると、意外なことに気がつく。美馬(みま)市までの約40km、1時間ほど走っていたが、いつまでたってもロードサイドショップが途絶えないのだ。
スーパーマーケット、各種量販店、コンビニエンスストア、銀行、病院、ドラッグストア、100円ショップ、レストランなど、おそらくこの道を20分ほど流していれば、ほぼ日常の用事は済んでしまう。都市研究者の誰もが眉をひそめるロードサイドショップ、すなわちクルマ社会での生活基盤が非常に発達しているのが徳島で、これが吉野川流域に回廊のように延びて中流域までつながっているのだ。
神山町はこの伊予街道沿いの石井町からクルマで20分ほど鮎喰川沿いに上った場所にあるし、県道のトンネルもここ数年で整備され「便利な過疎集落」になっていたのだ。
ロードサイドショップの回廊が内陸まで帯状に発達したため、徳島市中心市街地は壊滅したが、逆に、吉野川を取り囲む山中集落がいわば郊外化していったともいえる。郊外化といっても大都市周辺のようにびっしりとベッドタウンが広がっているのではなく、山のなかに出現した郊外が神山町なのだ。
ロードサイドショップ回廊という流域観は、今後の地域政策を変えていくかもしれない。
こういう現象に遭遇すると、仕事第一で働いてきたこれまでの常識を問い直すきっかけになる。私のような都市居住者の多くは、これまで働くところと寝る場所は別で(職住分離)、互いに離れ、休養のために自然に触れにいくためには時間をかけて山中や海に行かねばならなかった。
こんな常識でできあがってきた日本の国土だが、職住近接エリアが山のふもととその奥でつながったらどうだろうか。いわば、東京でいえば勤務先の新宿に吉祥寺から通っている人、その吉祥寺が山のなかにあるイメージだ。しかも、山奥の方には新たな働き方の、ローカルとグローバルを区別しないおもしろい企業がある。
「ゆるさ」で体現された価値が、そのような魅力ある場だとすれば、神山町のような郊外の山のなかもなかなか悪くない。
ロードサイドショップ回廊の流域山中で、ICTを武器にした企業が地元の生活に寄り添って活動する時、ゆるさの魅力は生まれる。
(2015年3月29〜30日取材)