湿原を蛇行しながら滔々と流れる釧路川を細岡展望台から望む。かつて弟子屈で採掘した硫黄を釧路川の舟運で太平洋の河口まで運んだ
人口減少期の地域政策を研究し、自治体や観光協会などに提案している多摩大学教授の中庭光彦さんが「おもしろそうだ」と思う土地を巡る連載です。将来を見据えて、若手による「活きのいい活動」と「地域の魅力づくりの今」を切り取りながら、地域ブランディングの構造を解き明かしていきます。その土地ならではの魅力や思いがけない文化資産、そして思わぬ形で姿を現す現代の水文化・生活文化にご注目ください。今回は、釧路湿原、阿寒湖、摩周湖という道東の観光資源を広域化し、自然共生型の国際滞在観光地づくりを目指す「水のカムイ観光圏」です。
多摩大学経営情報学部事業構想学科教授
多摩大学研究開発機構総合研究所副所長
中庭 光彦(なかにわ みつひこ)さん
1962年東京都生まれ。中央大学大学院総合政策研究科博士課程退学。専門は地域政策・観光まちづくり。郊外や地方の開発政策史研究を続け、人口減少期における地域経営・サービス産業政策の提案を行なっている。並行して1998年よりミツカン水の文化センターの活動にかかわり、2014年よりアドバイザー。主な著書に『オーラルヒストリー・多摩ニュータウン』(中央大学出版部 2010)、『NPOの底力』(水曜社 2004)ほか。
「手つかずの自然、というよりも、手がつけられなかった自然ですね」。釧路観光コンベンション協会の福田充宏さんは、釧路湿原のことをそう説明する。
多くの日本人は「水文化」というと湧き水、さらさら流れる川、水田などを思い浮かべる。ところが、釧路湿原にはそれらとはまったく異なる風景が広がっている。何しろ土壌は泥炭なので、水田にもできず、土地改良のためには水を抜かねばならない。そうしてできたのが牧草地だが、土地を活用しようとすれば排水が欠かせない。このことを福田さんは話したのだ。
とはいえ、この日本一の広さをもつ湿原はまさに水がなければできなかった。泥炭とは、低温の状態で枯れた植物が水に浸かったために腐らず積み重なったものだ。スポンジのような土壌は釧路湿原として残り、ここに棲む動物や育つ植物に魅せられて観光客が集まる。
手がつけられなかった自然が、大きな観光資源となっているのだ。このため、釧路市と弟子屈町は「水のカムイ観光圏」を設けることとした。カムイとはアイヌ語で「神」の意味。
水といっても、高度成長期ならば排水=悪水と表現された。そのような土地に地元の人々はどのような魅力を見いだそうとしているのか。
絶滅したと言われていたタンチョウが見つかったのは釧路湿原。現在は1600羽が確認されている。その研究・保護拠点である阿寒国際ツルセンター館長の河瀬幸さんは地元阿寒町生まれ。タンチョウとの出会いは阿寒中学校の学校行事で一斉調査にかかわってからのこと。「湿原なんか、あんな土地誰が使うか、と嫌われていた場所にタンチョウがひっそり棲んでいたのです」という。
阿寒中学校のツルクラブは、タンチョウ保全活動を語るうえで欠かせない存在だ。創立は1957年(昭和32)のこと。当時の校長だった大井健次氏が保全に熱心で、幸さんの父も創立メンバーだった。大井氏の野帳を見せていただいたが、丹念に生息場所が書き込まれたノートからは当時の熱気が伝わってくる。当初は、生徒それぞれがトウモロコシをもってきて給餌する「一人一握り運動」を行ない、ドジョウの養殖池をつくってエサとして撒いていたという。
河瀬さん自身がタンチョウの魅力に気がついたのは、このセンターに入ってからのこと。なぜなら、学生のころから生活の場で普通に見かけていたからだ。
「すごい鳥だと気づいていないし、スズメやカラスと同じような感覚です。地元の人はみんなそうなんです。釧路市民にとってもツルは特別な存在ではないので、魅力に気がつかないで過ごしているのがもったいない」
河瀬さんは解説員としてツルの魅力を伝えるだけではなく、今は釧路のバードウォッチングの魅力をブログで毎朝発信している(注1)。釧路は湿地が多く川もあり森が多い。その結果、鳥が多くなる。「やはり水が大事」と河瀬さんは話す。
(注1)「タンチョウ&ミキィ」ブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/aicc_grus
さて、ツルの魅力も聞いたしと腰を上げると「カヌー乗りました?」と河瀬さん。「いいえ」と答えると、その場で仲間に電話をしてくれた。
翌朝、塘路湖(とうろこ)からJR細岡駅までの釧路川を2時間かけてカヌーを漕いだ。風の香り、オジロワシやシカに見られている感じ、そして静けさ。気持ちいいなぁ。堤防はないし、勾配が低いから流れはほんとうにゆっくり。蛇行した川のほとりには草しかない。途中、沼に入ろうと思ったらカヌーの底がつかえてしまったほど河床が浅い。
1920年(大正9)8月に釧路川が市内であふれ大洪水となり1週間水が引かなかったということは後で知ったが、それも実感できた。
私たちは、酪農で豊かな鶴居村を経由して、弟子屈町の川湯温泉に伺った。釧路から車で約2時間。ここでお会いしたのが株式会社ツーリズムてしかが代表取締役の中嶋康雄さん。そして社員でネイチャーガイドの山崎雄哉さん。中嶋さんは川湯温泉の老舗である川湯観光ホテルの三代目社長でもあるとともに「水のカムイ観光圏」を引っ張る主要メンバーとなっている。
この会社は弟子屈町や屈斜路湖(くっしゃろこ)・摩周湖の観光アクティビティを企画するためにつくられた会社だ。今、観光地は名所旧跡だけでは人を集められない。その土地ならではの心に残る体験プログラムが求められている。それは大手旅行代理店では企画できず、観光地側で企画しなくてはならない。こうした理由で、中嶋さんは、川湯ならではの体験プログラム企画会社をつくったわけだ。
「摩周・屈斜路湖雲海ツアー」「摩周湖星紀行」「釧路川源流川下り」などのプログラムがあり、私自身も山崎さんに硫黄山(アトサヌプリ)と摩周湖をガイドしていただいた。あいにく星は見えなかったのだが、静けさに浸れるのが貴重だ。
中嶋さんは言う。「豪華でおしゃれな環境はお金をかければできる。この静けさをいかに価値に転換するかが、われわれには試されています。難しいが、川湯温泉がやらねば誰がやるのかという思いです」。
摩周湖は「霧の摩周湖」と呼ばれる。「この霧は、太平洋の上で発生する海霧(うみぎり)が南風で摩周湖に流れ込み、それが放射冷却で下がると雲海に見えます。そして霧は蒸発して雲になり雨を降らせるのです」と山崎さん。海霧がミネラルを含み牧草にもよいというのは、福田さんからもお聞きした話で、この水循環のイメージが「水のカムイ」のネーミングには込められているのだろう。
ところで、弟子屈町川湯温泉は近代釧路の発祥の地を象徴する近代化遺産と言ってもよい。川湯にある硫黄山からは、多数の水蒸気が吹き出し、黄色の山肌がむきだしになっている。
この山の硫黄採掘は松前藩により幕末・慶応年間から始まっている。アイヌの人々は硫黄を焚きつけに使っていたともいう。1876年(明治9)に釧路の場所請負人だった佐野孫右衛門が採掘を開始した。当時、硫黄は対米輸出品の花形であった。
佐野が経営を手放したしばらく後、1887年(明治20)、安田財閥の創始者である安田善次郎の手に経営が移る。安田は蒸気精錬に使う水を得やすい標茶(しべちゃ)に精錬所を造り、アトサヌプリ・標茶間に鉄道を敷設。精錬された硫黄は標茶から釧路へ汽船で輸送された。そのルートが釧路川。そう、私たちがカヌーを漕いだ川だ。
硫黄は釧路から積み出され大きな富をもたらした。この過程で汽船、鉄道、蒸気精錬それぞれに石炭が必要となる。そこで安田は釧路郊外の春採(はるとり)炭山の採掘を同年開始する。
この春採炭山は後年、三井、そして太平洋炭礦株式会社へと再編された。太平洋炭礦は2002年(平成14)に幕を閉じたが、釧路市も出資する釧路コールマイン株式会社に引き継がれ、現在も採掘を続けている日本唯一の炭鉱となっている。(注2)
釧路市内には「旧太平洋炭礦 炭鉱展示館」があるが、これがなかなか魅せる。展示ホールの下には広い模擬坑道が再現され、展示されている実際に使われていた大型の採炭機械は大迫力だ。
(注2)硫黄山と太平洋炭礦について
石川孝織編著『阿寒国立公園と硫黄鉱山』(釧路市立博物館 2015)、釧路市立博物館『釧路のあゆみと産業』(釧路市立博物館 2014)がくわしい。本稿もこれを参考にした。
今回は「水のカムイ」という名前に惹かれて釧路市と弟子屈町を訪れた。お会いした方は皆「水がこの広い地域をつないでいる」と言う。
たしかにタンチョウを通して自然・湿原の価値を知り、雲海を通して水循環を感じ、釧路川でのカヌーを通して川辺の生態を満喫した。まさに「水のカムイ」を感じた旅だった。
しかし、私はこの地にもう一つの魅力を見つけてしまった。バードウォッチングの魅力をブログで発信する河瀬さん。酪農で潤っている大規模農家。牧草にも恵みを付加する水循環。その水循環から新たな観光商品を開発しようとしている中嶋さん。そして、地元の方はあまり意識していないようだったが、川湯温泉から標茶を経由して釧路市に至る硫黄・石炭ルート。これらは、近代から現在に至る産業観光地の資格十分である。
この産業観光ルートも水が結んでいる。といっても、水そのものではない。「水を利用して新たな活動を生み出した人々」が歴史とともにつながっているのである。私はこれを「社会的水循環」と呼んでいる。
バードウォッチングを通してアメニティを生む、酪農を通して付加価値の高い乳製品をつくる、アクティビティ開発を通してハイグレードの観光サービスを開発する、近代化産業遺産・文化を通してシビックプライドを生む――これらはすべて水を資源とした活動だが、単なる水循環ではない。
こうした水循環の連鎖には「水を資源に、活動や歴史を通して満足したい、幸せになりたい」という人間の社会的なエネルギーも伴っていることが多いのだ。この二つが重なり合うことで、そこには新たな水文化が生まれる。
こうした「社会的水循環」にまで視野を広げたとき、「水のカムイ観光圏」は地元の人々も驚くような魅力あるエリアとなるであろうことを実感した旅だった。
最後に、水産業も主要産業だった釧路の観光スポットを紹介したい。「和商(わしょう)市場」という仲卸市場だ。入り口の食事屋でごはん丼だけを買い、あとは仲卸を巡り、いいネタがあればそれを買って丼に載せてもらうのだ。ウニ、イクラ醤油漬けは言うに及ばす、八角やホッケの刺身まである。これを「勝手丼」という。各店をまわっているうちにどんどんネタを載せたくなり、財布のひもも緩む。味も商売もうまい。
ここも実は社会的水循環の一コマだ。水のカムイの懐は、思いのほか広く深かった。
水循環を、水を利用して、満足や収益を得たいという人々の活動の連鎖にまで広げ、アクティビティ開発をしている人がいる観光圏は強い。なぜなら、社会的水循環は、そのまま旅行者のトラベルストーリーになるからだ。
(2015年11月19〜21日取材)