機関誌『水の文化』52号
食物保存の水抜き加減

坂本クンと行く川巡り 第9回 Go ! Go ! 109水系
「数」×「連携」×「継続」の
「民の力」で守る天竜川
(長野県、静岡県、愛知県)

川系男子 坂本貴啓さんの案内で、編集部の面々が全国の一級河川「109水系」を巡り、川と人とのかかわりを探りながら、川の個性を再発見していく連載です。

坂本 貴啓さん

筑波大学大学院
システム情報工学研究科 博士後期課程
構造エネルギー工学専攻 在学中
坂本 貴啓(さかもと たかあき)さん

1987年福岡県生まれの川系男子。北九州で育ち、高校生になってから下校途中の遠賀川へ寄り道をするようになり、川に興味を持ちはじめ、川に青春を捧げる。高校時代にはYNHC(青少年博物学会)、大学時代にはJOC(Joint of College)を設立。白川直樹研究室『川と人』ゼミ所属。河川市民団体の活動が河川環境改善に対する潜在力をどの程度持っているかについて研究中。

【天竜川流域の地図】
国土交通省国土数値情報「河川データ(平成20年)、流域界データ(昭和52年)、ダムデータ(平成17年)、鉄道データ(平成26年)」より編集部で作図



109水系
1964年(昭和39)に制定された新河川法では、分水界や大河川の本流と支流で行政管轄を分けるのではなく、中小河川までまとめて治水と利水を統合した水系として一貫管理する方針が打ち出された。その内、「国土保全上又は国民経済上特に重要な水系で政令で指定したもの」(河川法第4条第1項)を一級水系と定め、全国で109の水系が指定されている。

川名の由来【天竜川】

そもそも、天から降った雨が峰から諏訪湖へ流れ出ることから「天流(アメノナガレ)」と呼ばれていた。「流」に「竜」の字が使われたのは、水の流れが速く、竜が天に昇っていくように見えるからとか、諏訪湖そばの諏訪大社に祀られている竜神に由来するなど諸説ある。

天竜川
水系番号 : 50  
都道府県 : 長野県、静岡県、愛知県  
源流 : 諏訪湖(759 m)  
河口 : 太平洋  
本川流路延長 : 213 km 9位/109
支川数 : 332河川 10位/109
流域面積 : 5090 km2 12位/109
流域耕地面積率 : 5.9 % 82位/109
流域年平均降水量 : 2301.40 mm 30位/109
基本高水流量 : 1万9000 m3/ s 3位/109
河口の基本高水流量 : 1万9818 m3/ s 11位/109
流域内人口 : 71万7892人 20位/109
流域人口密度 : 141人/ km2 55位/109

(基本高水流量観測地点:鹿島〈河口から25.0km地点〉)
河口換算の基本高水流量 = 流域面積×比流量(基本高水流量÷基準点の集水面積)
データ出典:『河川便覧 2002』(国際建設技術協会発行の日本河川図の裏面)

信濃の良材を大坂・江戸へ

天竜川は、長野県の諏訪湖を源流として中央アルプス・南アルプスの間を流れ、愛知県と静岡県を通って太平洋の遠州灘に注ぐ長さ213km(全国9位)の大河川です。天竜川沿いには信濃(長野県)と三河(愛知県東部)を結ぶ伊那街道があり、信濃、遠州(静岡県西部)、三河の物流と文化をつなぐ重要な役割を果たしました。そして天竜川も中世末期から運搬路として使われていました。良材が豊富な信濃伊那の山々から材木を伐り出し、当初は1本ずつバラバラに流して下流で集める「管(くだ)流し」、その後は材木を筏に組む「筏流し」という方法で流していたのです。1608年(慶長13)には京都の豪商・角倉了以(すみのくらりょうい)が鹿塩(かしお)・大河原(大鹿村)の松を伐採して河口の掛塚(かけづか)湊から大坂まで運びました。1612年(慶長17)には江戸城天守閣の築造のため、下伊那遠山(飯田市)の材木を江戸まで運んだという記録があります。

それを可能にしたのは、天竜川が全国でも有数の急流河川だから。通常、川は下流になるにつれ勾配がゆるむものですが、天竜川は急勾配のまま海へと注ぎます。しかも、上流域は急峻な地形で崩れやすい地質。いったん大雨が降ると、多くの支流から大量の土砂を含む水が流れ込み、さらに氾濫原(はんらんげん)と狭窄部(きょうさくぶ)が交互にあるため水害が生じやすく、「暴れ天竜」と呼ばれ、恐れられていました。

1961年(昭和36)には「三六災(さぶろくさい)」(注1)と呼ばれる大災害も起きています。東京ドーム2.5杯分の土砂と岩石が直撃し、一瞬にして39戸が潰された大鹿村のような被害もありました。

河川・砂防事業などで近年は水害は減りましたが、新たな課題も抱えています。それを自分たちの力で解決し、美しく豊かな天竜川を未来へ残そうと保全活動に力を注ぐ人たちがいます。今回は「住民の力」に着目して、天竜川を巡りました。

(注1)三六災
1961年(昭和36)6月の大雨で発生した大規模災害のこと。「三六災害」ともいう。特に天竜川流域一帯に河川災害や土砂災害をもたらした。降りはじめからの雨量は多いところで500mmを超え、天竜川上流域の各所で河川氾濫、大西山で大規模崩壊が発生した。この一連の災害によって死者・行方不明者130名、浸水戸数1万2452戸、被害総額250億9000万円(当時の長野県予算の85%に相当)に及んだ。

三六災の最高水位の碑(天竜峡)。

三六災の最高水位の碑(天竜峡)。普段の川は谷底を流れており、当時の出水の大きさを物語っている

「継続」の力―35年の湖岸清掃

天竜川の源流域にあたる諏訪湖は糸魚川―静岡構造線の断層が動いたことでつくられた「窪み」。巨人「デイダラボッチ」が腰を下ろしたとの伝説もある諏訪湖ですが、31の河川が流れ込んでいるのに流れ出るのは天竜川のみ。そのため、諏訪湖も昔から氾濫を繰り返してきました。

昭和30年代、それまで諏訪地方の主産業だった製糸業が精密業に転換し、工場排水や家庭の雑排水で水質が悪化。さらに「三六災」などにより治水計画の見直しが図られ、コンクリート護岸が整備されました。下諏訪町諏訪湖浄化推進連絡協議会(湖浄連)の小口(おぐち)智徳さんは「1960年代は湖面がこんもりとアオコで盛り上がり、大量のゴミや魚の死骸が浮いていたんですよ」と言います。

汚いうえ、近づきにくくなった諏訪湖から人々の心は遠ざかり、ゴミを捨てる人も増えました。そこで「自らの責任」と感じた小口さんたちの親世代が立ち上がったのです。「やったことはシンプルです。35年間ひたすら清掃活動を続けました」と小口さん。こういう活動は長く続けることが難しいので、湖浄連は次の四つの工夫をしています。

①会長を1年交代にしてリーダーの負担を軽減、②役場が事務局を担当し、住民は活動に集中、③団体会員を募り、各組織から常に誰かが活動に参加、④清掃当番を地区ごとに決め、同じ人に負担を集中させない――これらには「誰に対しても無理なく」継続するためのしくみがうまく取り入れられています。

組織が発足して20年近く経つとメンバーの高齢化、活動のマンネリ化で衰退する「20年問題」が生じますが、湖浄連は無縁のようです。「みんなが『お母さんに手を引かれてやっていたあれか』というイメージをもっているし、『今月当番だから行くか』という気軽さ、身近さが長続きした理由です」と話す小口さん。会長の河西徹さんは「子どもを連れて行くと湖岸のゴミが気になります。子どもと楽しめる水辺を残したいという意識が、若い世代にも芽生えてきたと思います」と言います。

吐く息が白く光る早朝、私も湖浄連の清掃活動に参加しました。感じたのは「日常感」でした。湖面でボート競技の練習をしている人もいれば、湖岸を走っている人もいて、清掃する人もいる。いろんな目的の人が諏訪湖を自分の庭のように使っているこの風景から、世代を超えた「継続」の力を感じました。

  • 下諏訪町諏訪湖浄化推進連絡協議会(湖浄連)会長の河西徹さん

    下諏訪町諏訪湖浄化推進連絡協議会(湖浄連)会長の河西徹さん

  • 湖浄連総合研究部会の小口智徳さん

    湖浄連総合研究部会の小口智徳さん

  • 立石公園(諏訪市)からは諏訪湖の全景を見渡せる

    立石公園(諏訪市)からは諏訪湖の全景を見渡せる

  • 毎月1回早朝に下諏訪町の諏訪湖湖岸を清掃。35年継続してきた活動だ

    毎月1回早朝に下諏訪町の諏訪湖湖岸を清掃。35年継続してきた活動だ

  • 下諏訪町諏訪湖浄化推進連絡協議会(湖浄連)会長の河西徹さん
  • 湖浄連総合研究部会の小口智徳さん
  • 立石公園(諏訪市)からは諏訪湖の全景を見渡せる
  • 毎月1回早朝に下諏訪町の諏訪湖湖岸を清掃。35年継続してきた活動だ

「連携」の力―外来植物駆除

諏訪湖から天竜川の出発点となる「釜口水門」を経て下ると伊那盆地に出ます。天竜川では今も食べるために水生昆虫を捕獲する「ざざむし(注2)漁」が行なわれています。昆虫食も扱うお店にはざざむしの佃煮が売られていました。防災拠点と体験学習施設を兼ねた「天竜川総合学習館 かわらんべ」では、この風習を伝えようと伝統漁法や調理・実食の親子体験を行なっています。久保田憲昭さんは冬に漁をする理由を「蛹になれない幼虫はエサを摂りつづけるので大きいし、数も多いのです」と明かします。

そうした貴重な河川文化を流域連携で残そうと取り組むのがNPO法人天竜川ゆめ会議(以下、ゆめ会議)。代表理事の福澤浩さんは天竜川を「普段は遊んでくれる穏やかな川だけど、荒れると手のつけられない温厚短気な川」と表現します。

ゆめ会議発足のきっかけは、天竜川の河川整備計画を策定する前段階の「天竜川みらい計画」をつくることになった天竜川上流河川事務所からの呼びかけでした。2000年(平成12)に官民協議会が発足し、治水、利水、環境に加えて、「住民の意識のもち方」という新たな柱を加えたみらい計画を策定しました。

「2002年(平成14)3月に私たち住民は任を解かれるはずだったんですが『自分たちでつくった計画を自分たちで実現していこう』と、その年の7月に住民団体としてゆめ会議を設立しました。天竜川シンポジウムの開催、上流の人を連れて下流へアカウミガメ放流ツアーに出かける、随想録づくり、簗(やな)(注3)づくりなどを行ない、上下流の連携づくりを心がけています」

注力している活動の一つが、天竜川沿いに繁茂する外来植物の駆除活動。天竜川夏の陣・冬の陣と銘打って行なうこの活動を、事務局長の倉田正清さんはこう説明します。

「夏の陣はアレチウリ(注4)、冬の陣はハリエンジュ(注5)を駆除します。これらがはびこると在来種を駆逐し、もとの礫(れき)河原(注6)の風景を変えてしまいます。毎年、各地で住民が一斉に駆除しています。源流域の諏訪湖でも始まりましたので、連携の効果が出てきました」

住民が行なうこの川づくりについて、天竜川上流河川事務所の植田隆一さんは「本来は河川管理者が取り組むべき課題ですが予算も限られるので、民の力で補ってもらえるのはありがたいです」と話しています。ゆめ会議をはじめ、さまざまな団体・地区が駆除や保全に取り組んでいます。まさに「流域連携」です。

(注2)ざざむし
トビケラやカワゲラなどの水生昆虫の総称で、天竜川の流れの速い場所(「ザザ」と音がするところ)で採れることからこの名前がついたといわれる。貴重なたんぱく源が得られるざざむし漁(虫踏み)は日本唯一の昆虫漁。
(注3)簗
川の1カ所に水を流すようにして、竹や木でつくった板面の上に魚が打ちあがるようにして魚を採る伝統的漁法。
(注4)アレチウリ
ウリ科の一年生草本。北アメリカ原産。生育速度が非常に速いつる性植物で、長さは数mから十数mになる。群生することが多く、果実に鋭い棘を密生する。日本では1952年(昭和27年)に静岡県清水港で輸入大豆に種子が混入しているのが確認されたのが最初。特定外来生物に指定。
(注5)ハリエンジュ
落葉性の高木。北アメリカ原産。成長は非常に速く、高さは25mに達する。耐暑性と耐乾性を備える。日本には1873年(明治6)に侵入したとされる。
(注6)礫河原
礫とは粒の大きさが直径2mm以上の砕屑物(さいせつぶつ)のことで、礫が一面に露出し、植物が生えない河原のこと。

  • 諏訪湖の流出口付近に設置されている釜口水門。

    諏訪湖の流出口付近に設置されている釜口水門。これより下流から天竜川となる

  • 伊那付近の天竜川。平成18年水害時に大きな被害を受けた

    伊那付近の天竜川。平成18年水害時に大きな被害を受けた

  • 水生昆虫のトビケラやカワゲラ

    石の裏にいる水生昆虫のトビケラやカワゲラを採集し、佃煮にして販売している。

  • 石の裏にいる水生昆虫のトビケラやカワゲラを採集し、佃煮にして販売している。左は昆虫食も扱う「塚原信州珍味」

    昆虫食も扱う「塚原信州珍味」

  • 昆虫食も扱う「塚原信州珍味」

    石の裏にいる水生昆虫のトビケラやカワゲラを採集し、佃煮にして販売している。左は昆虫食も扱う「塚原信州珍味」

  • 事務局長の倉田正清さん

    お話をお聞きしたNPO法人天竜川ゆめ会議の皆さん(事務局長の倉田正清さん)

  • 代表理事の福澤浩さん

    お話をお聞きしたNPO法人天竜川ゆめ会議の皆さん(代表理事の福澤浩さん)

  • 副代表理事の橋爪和也さん

    お話をお聞きしたNPO法人天竜川ゆめ会議の皆さん(副代表理事の橋爪和也さん)

  • 駒ヶ根付近の天竜川。伊那盆地を流れ、遠くに駒ヶ岳を望むことができる

    駒ヶ根付近の天竜川。伊那盆地を流れ、遠くに駒ヶ岳を望むことができる

  • 国土交通省天竜川上流河川事務所調査課長の立松明憲さん

    現場をご案内いただいた皆さん(国土交通省天竜川上流河川事務所調査課長の立松明憲さん)

  • 駒ケ根出張所長の角清正さん

    現場をご案内いただいた皆さん(駒ケ根出張所長の角清正さん)

  • 保全対策官の植田隆一さん

    現場をご案内いただいた皆さん(保全対策官の植田隆一さん)

  • 天竜川総合学習館かわらんべの久保田憲昭さん

    現場をご案内いただいた皆さん(天竜川総合学習館かわらんべの久保田憲昭さん)

  • 礫河原再生工事現場。天竜川の昔ながらの礫河原の風景を取り戻す試み。治水面でも流れやすい河道になる

    礫河原再生工事現場。天竜川の昔ながらの礫河原の風景を取り戻す試み。治水面でも流れやすい河道になる

  • 河川敷に繁茂し、他の在来植物の生息を脅かすアレチウリ

    河川敷に繁茂し、他の在来植物の生息を脅かすアレチウリ
    提供:天竜川総合学習館 かわらんべ

  • 諏訪湖の流出口付近に設置されている釜口水門。
  • 伊那付近の天竜川。平成18年水害時に大きな被害を受けた
  • 水生昆虫のトビケラやカワゲラ
  • 石の裏にいる水生昆虫のトビケラやカワゲラを採集し、佃煮にして販売している。左は昆虫食も扱う「塚原信州珍味」
  • 昆虫食も扱う「塚原信州珍味」
  • 事務局長の倉田正清さん
  • 代表理事の福澤浩さん
  • 副代表理事の橋爪和也さん
  • 駒ヶ根付近の天竜川。伊那盆地を流れ、遠くに駒ヶ岳を望むことができる
  • 国土交通省天竜川上流河川事務所調査課長の立松明憲さん
  • 駒ケ根出張所長の角清正さん
  • 保全対策官の植田隆一さん
  • 天竜川総合学習館かわらんべの久保田憲昭さん
  • 礫河原再生工事現場。天竜川の昔ながらの礫河原の風景を取り戻す試み。治水面でも流れやすい河道になる
  • 河川敷に繁茂し、他の在来植物の生息を脅かすアレチウリ

「民」の力―私財を擲(なげう)った偉人

伊那盆地からさらに下ると、両岸に山が押し迫り、河道も狭くなる「狭窄部」となります。中流域なのに源流域のような峡谷風景に変わるので、不思議な感覚にとらわれます。

急流で水が豊富、そして多くの狭窄部をもつ天竜川流域には、ダムが多数つくられています(注7)。特に佐久間ダムは着工当時(1953年)の最高峰の技術で建設されました。住民が恐れてきた「暴れ天竜」の地形が、今の暮らしと産業を支える電力を生み出しているのです。

下流域の遠州平野も川が縦横無尽に流れる水害の常襲地域でした。国が治水工事を行なう以前から自治組織で堤防を築き、暮らしを守ろうと努めてきました。浜松河川国道事務所の吉田光則さんに下流域の治水についてお聞きしました。

「大水害を憂いて立ち上がったのが安間(あんま)(浜松市東区)で育った金原明善(きんぱらめいぜん)(注8)です。明善は『村を救うには堤防を築く治水工事を行なうこと』と考え、先祖代々の私財のすべて(5万6000円=現在の10億円近い価値)を擲って、ほぼ自費で7kmもの堤防工事を進めました」

堤防は当時とほぼ同じ場所にあり、洪水による災害の発生防止または軽減に向けた整備を進めるほか、日常的な堤防点検や河道内の樹林の伐採など維持管理にも努めています。

私は、金原明善の生家を訪ねてその功績を知り、志の高さに感動しました。堤防そのものを築く「治水」を「民」の力でやってのけたのは驚くべきことです。公のために尽力した人がいた歴史からも、天竜川の「民」の力の強さが窺えます。

(注7)天竜川流域のダム
大部分が発電用に使われていて、15の発電用ダムと55の発電所がある。
(注8)金原明善
1832年(天保3)-1923年(大正12)。明治時代の実業家。生家は代々名主を務め、質屋や造り酒屋も営んでいた。天竜川の治水事業、植林事業、北海道の開拓など数々の事業を興し、近代日本の発展に貢献した。


  • 国土交通省浜松河川国道事務所調査第一課長の吉田光則さん

    国土交通省浜松河川国道事務所調査第一課長の吉田光則さん

  • 金原明善像。浜松の偉人として敬われており,自家を提供してつくった現在の浜松市立和田小学校にも明善像が建立されている

    金原明善像。浜松の偉人として敬われており,自家を提供してつくった現在の浜松市立和田小学校にも明善像が建立されている

  • 天竜峡。ここから下流は狭窄部となり、発電ダムが連続して立地している

    天竜峡。ここから下流は狭窄部となり、発電ダムが連続して立地している

  • 国土交通省浜松河川国道事務所調査第一課長の吉田光則さん
  • 金原明善像。浜松の偉人として敬われており,自家を提供してつくった現在の浜松市立和田小学校にも明善像が建立されている
  • 天竜峡。ここから下流は狭窄部となり、発電ダムが連続して立地している

「数」の力―遠州灘海岸の保全

天竜川が遠州灘に流れこむ河口の中州に、かつて掛塚湊がありました。室町時代中期につくられ、江戸時代には天竜川流域の材木を江戸や大坂に積み出す廻船(かいせん)の湊として栄え、「遠州の小江戸」といわれたほど。江戸時代後期にはお茶や繰綿(くりわた)(精製していない綿)、椎茸などの産物も天竜川を下って掛塚湊から江戸に運ばれます。流域の村々と江戸を結ぶ生活物資の集散地でしたが、1889年(明治22)に東海道線が開通、材木は鉄道で輸送され、掛塚湊は衰退します。

今、その河口の右岸に広がる中田島砂丘はアカウミガメの数少ない産卵地です。しかし遠州灘海岸はゴミの投棄、海岸の浸食などの課題も抱えています。アカウミガメをシンボルに海岸を守る活動を30年間続けてきたサンクチュアリN.P.Oの馬塚(まづか)晴之さんは「砂浜に乗り入れた車の轍(わだち)やたくさんのゴミがあるのは、産卵にふさわしくありません。ウミガメが落ち着いて産卵できる環境を守ることは海岸全体の保全につながるのです」と言います。

約115kmにわたる遠州灘海岸で車の立ち入れが禁止されているのは、中田島砂丘をはじめ浜松市内の18km。そこで馬塚さんたちは、環境の悪い砂浜で産みつけられた卵を中田島砂丘に集めて孵化させています。この活動が共感を呼び、賛同者は毎年1万名を超え、天竜川の上流域からも多くの人が訪れています。

  • サンクチュアリN.P.Oの事業部長の馬塚晴之さん。

    サンクチュアリN.P.Oの事業部長の馬塚晴之さん。

  • 馬塚さんたちの活動拠点となっているサンクチュアリネイチャーセンター

    馬塚さんたちの活動拠点となっているサンクチュアリネイチャーセンター

  • 中田島砂丘に設置されているアカウミガメの保護柵。

    中田島砂丘に設置されているアカウミガメの保護柵。周囲に産卵した卵を安全に孵化させ、海へ戻る個体数を増やす取り組みを行なっている

  • サンクチュアリN.P.Oの事業部長の馬塚晴之さん。
  • 馬塚さんたちの活動拠点となっているサンクチュアリネイチャーセンター
  • 中田島砂丘に設置されているアカウミガメの保護柵。


天竜川を巡って私が強く感じたのは、流域住民の「数の力」、「連携の力」、「継続の力」です。投じられるマンパワーが大きくなるとその場所は格段によくなっていきます。さらに「上流は下流のため、下流は上流のために」と連携することは活動をより強固にします。長く継続することで活動は成熟し、より大きな力になります。この三つが天竜川の市民活動の実力を表しています。

少子高齢社会に突入した日本では、河川管理も「官」の力だけでは限界があり、地域のことは「民」の力を活用することを真剣に考えていかなければなりません。そういう意味でも多くのヒントを得ることのできた天竜川巡りでした。

  • 天竜川河口そばの右岸から眺めると、うっすらと砂州が見える。沿岸流の影響で普段は閉塞気味だが、大きな出水の後は消える

    天竜川河口そばの右岸から眺めると、うっすらと砂州が見える。沿岸流の影響で普段は閉塞気味だが、大きな出水の後は消える



(2015年12月13〜15日取材)

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