機関誌『水の文化』54号
和船が運んだ文化

水の文化書誌 45
丸木舟から帆船まで

古賀 邦雄さん

古賀河川図書館長
水・河川・湖沼関係文献研究会
古賀 邦雄(こが くにお)さん

1967年西南学院大学卒業。水資源開発公団(現・独立行政法人水資源機構)に入社。30年間にわたり水・河川・湖沼関係文献を収集。2001年退職し現在、日本河川協会、ふくおかの川と水の会に所属。2008年5月に収集した書籍を所蔵する「古賀河川図書館」を開設。
平成26年公益社団法人日本河川協会の河川功労者表彰を受賞。

丸木舟の時代

3万年前に人類が沖縄に渡ってきた航海の実験について、与那国島から西表島までの75km間、草舟(くさぶね)漕ぎが行なわれたと、2016年(平成28)7月18日の朝日新聞に掲載されていた。当時は丸太を削る斧がなかったと考え、水生植物とツル性植物の草舟の航海実験となったという。

木を伐採する斧が発展すると丸木舟がつくられるようになる。須藤利一編・著『船』(法政大学出版局・1968)に、丸木舟の三形態として、竹筒を縦に二つ割りにしたような割竹形、その前後端を尖らせた鰹節形、鰹節形の前後端を直線的に切った箱形と分類する。丸木舟がその後の船つくりの原型となる。

川崎晃稔著『日本丸木舟の研究』(法政大学出版局・1991)は、南九州、南西諸島をくまなく歩き丸木舟の製作とその儀礼について論ずる。種子島の丸木舟について、原始林に自生する「ヤクタネ五葉松」を用材として、山主から払い下げを受けた船主は、伐採する前にお祭りをやる。大木は必ず神が宿っているから、お祭りは神に他の木に移ってもらう儀式である。おろそかにすると、危険な海の仕事に差し障りが生じる。供物は、米一皿、焼酎燗瓶二本、笹シュエイ(波打ち際のきれいな小石を笹で包み込んだもの)一対である。それから枕木を設置し、伐採、マルキブネの粗形をつくり、舟の底部カワラ、舟の上部ホリヅラを削り、胴部など削り、ほぼアラギリが出来上がると、神に報告し、参加した人でお祝いをする。舟を山から下し、山だし祝いがなされ、仕上げが終わると、縁起のよい日(丑の日)に舟おろしとなる。丸木舟つくりには、山・川・海の神々に敬意を表する日本の伝統行事が連綿と続く。

出口晶子著『丸木舟』(法政大学出版局・2001)では、丸木舟を海・川・湖から見た列島の歴史動態として捉え、物と人間の間に成立する技のことわりを知るものとして位置づけ、列島各地の丸木舟を踏査する。アイヌのチプ、近世琉球の刳舟(くりぶね)、種子島の櫓を持つ刳舟、美保神社のモロタブネ、中海(なかうみ)のソリコブネ、隠岐のトモド、若狭湾以東のドブネ型丸木舟、富山湾のドブネ、越中・神通川(じんづうがわ)のササブネ、越後・荒川のカワフネなどを論ずる。

(財)滋賀県文化財保護協会編『丸木舟の時代―びわ湖と古代人』(サンライズ出版・2007)は、昭和39年近江八幡市水茎内湖から発見された縄文時代の丸木舟を通して、琵琶湖と古代人とのかかわりを考える。縄文時代は移動生活から内陸部での定住生活へ変わり、沿岸部の食料資源を確保するために丸木舟を活用することになる。1988年(昭和63)1月、大阪市長原高廻り2号墳で船形埴輪が発見された。この古代船を復元、8人漕ぎで釜山まで就航した。このプロセスを大阪市教育委員会編・発行『よみがえる古代船と5世紀の大阪』(1989)に著す。

『日本丸木舟の研究』

『日本丸木舟の研究』

筏流し

現在では、筏(いかだ)流しは陸送にとって代わり、河川を利用することはほとんどなくなった。その筏流しの再現をはかり、写真で著した古田雅久撮影・編『木の旅長良川』(古川茂樹・2000)がある。岐阜県は「飛山濃水(ひざんのうすい)」と言われ、飛騨の秀れた山、美濃の清水と讃えられてきた。全長約150kmの長良川はその流域民に多くの恵みを与えてきた。その一つは木材という資源である。筏流しは、まず山小屋づくりから始まり、杉・桧等を伐採、小さい谷を利用してV字型に組み「修羅(しゅら)」をつくり、木出しをする方法である。修羅から川へ落とし、川堰をつくり、木馬での運搬、そして筏を組み、筏流しとなる。

木曽川の筏流しは名古屋城の築造、城下町の建設に欠かせなかった。(財)長野営林局作業課編『木曽式伐木運材圖絵』((財)長野営林局互助会・1954)、(財)林野弘済会長野支部編・発行『木曽式伐木運材図会』(1975)の2書は、江戸期における川狩り、筏流しを日本画で描く。同様に、富田礼彦著『飛騨運材図会』(住伊書店・1917、復刻版岐阜県郷土資料刊行会から1970年に刊行)は、天領飛騨の河川の利用を伴う官材運搬を描写する。益田川から飛騨川と木曽川を利用して、尾張白鳥湊へ出される。吉野川については、辻 隆道著『吉野川流域の伐出技術』(西 徹・1995)、筑後川については、渡辺音吉/語り・竹島真理/聞き書き『筑後川を道として 日田の木流し、筏流し』(不知火書房・2007)がある。1954年(昭和29)、水力発電用の夜明ダムが完成、筑後川の筏流しが途絶えた。

  • 『木の旅長良川』』

    『木の旅長良川』』

  • 『筑後川を道として 日田の木流し、筏流し』

    『筑後川を道として 日田の木流し、筏流し』

  • 『木の旅長良川』』
  • 『筑後川を道として 日田の木流し、筏流し』

琵琶湖の船

琵琶湖は、面積670.25km2を有する日本最大の湖である。古代から水運が発達し、さまざまな船が行き交った。日本海の物資が陸路で琵琶湖へ運び込まれ、京へ向かった。谷口嘉六・宮部義男共著『日本海と大阪湾とを結ぶ水運の聯絡』(寶文館・1935)に論じられているように、琵琶湖運河計画がなされた。織田信長は安土城を築き、琵琶湖の水運を図るために大型船を建造した。用田政晴著『信長 船づくりの誤算』(サンライズ出版・1999)では、1573(元亀4)年、大船建造(たいせんけんぞう)後すぐに早船に解体したという。信長は大船が琵琶湖では役に立たないと悟ったからである。琵琶湖の独自形態として発達した丸子船は、帆を付け、舳(へ)先は板を立て並べた構造で舷側(げんそく)には丸太を半裁し、取り付けた船である。江戸期には琵琶湖舟運の主役となる。

丸子船については、橋本鉄男著・用田政晴編『丸子船物語』(サンライズ印刷出版部・1997)、牧野久実著『琵琶湖の伝統的木造船の変容―丸子船を中心に―』(雄山閣・2008)がある。西廻り航路開通により琵琶湖の物資輸送は低下する。さらに明治期東海道線の開通に伴い貨客輸送が打撃を受け、それに代わって、観光遊覧船の航行となった。琵琶湖の船については、大津市歴史博物館編・発行『琵琶湖の船―丸木舟から蒸気船へ―』(1993)、滋賀県立安土城考古博物館・長浜市長浜城歴史博物館編・発行『琵琶湖の船が結ぶ絆―丸木船・丸子船から「うみのこ」まで―』(2012)、杉江進著『近世琵琶湖水運の研究』(思文閣出版・2011)がある。

  • 『琵琶湖の伝統的木造船の変容―丸子船を中心に―』

    『琵琶湖の伝統的木造船の変容―丸子船を中心に―』

  • 『琵琶湖の船―丸木舟から蒸気船へ―』

    『琵琶湖の船―丸木舟から蒸気船へ―』

  • 『琵琶湖の伝統的木造船の変容―丸子船を中心に―』
  • 『琵琶湖の船―丸木舟から蒸気船へ―』

和船・弁才船

石井謙治著『和船Ⅰ』(法政大学出版局・1995)は、江戸期から明治にかけての国内海運に重要な役割を担った大型木造船弁才船(べざいせん)を論ずる。海運・造船の中心地であった大阪と瀬戸内の船匠たちが、弁才船の積石数(つみこくすう)250石だったのを1000石と大型化して発展する。長い船首材を突き出した鋭角的な一本水押(みよし)形式の船首、反り上がった船首尾と全体的に直線的要素の多い船体形状、格子状に組まれた舷側の垣立(かきたつ)、そして1枚の大きな帆で受ける風が唯一の動力であり、船の中央に大きな帆柱1本を備えるのが弁才船の特徴である。筵帆(むしろほ)から白帆すなわち木綿帆に代わったこと、さらに航海・帆走の両技術の進歩に伴い乗組員の減少と航海日数の短縮化が図られた。海難と信仰の項では船魂(ふなだま)信仰、船絵馬(ふなえま)奉納、住吉神社信仰も論ずる。

同著『和船Ⅱ』(法政大学出版局・1995)は、造船史から見た著名な船として、秀吉の日本丸、巨艦安宅(あたけ)丸、水戸光圀の快風丸、紀伊国屋文左衛門の蜜柑(みかん)船、三浦按針の洋式船、伊達政宗の遣欧使節船、中浜万次郎と越進船などを捉えている。神奈川大学日本常民文化研究所編『歴史と民俗32特集《和船》』(平凡社・2016)の、昆 政明氏「船絵馬に見る弁才船の帆走」では、船絵馬に描かれた弁才船の船体は横位置、帆走は横風帆走がほとんどであったと分析する。日本海を帆走する弁才船の雄姿は美しい。

『和船I』

『和船I』

帆船讃歌

近代的な帆船も美しい。その帆走は乗組員の絶え間ない厳しい訓練によって培われている。横浜みなと博物館に保存・展示されている日本丸は、1930年(昭和5)建造された練習帆船である。定員138名、総トン数2278トン、全長97m、幅13m、平均喫水5.3m、総帆数29枚、最高マストの高さ水面から46mを誇る。大杉勇著『帆船讃歌―雲と波そして風 海に学ぶ―』(成山堂書店・2016)は、練習船日本丸船長の著者が、実際に航海訓練について述べている。1959年(昭和34)太平洋上で初期帆走訓練航海中伊勢湾台風と闘ったこともあった。航海を終えると実習生はたくましく成長する。中村庸夫(つねお)『帆船』(朝日ソノラマ・1976)は、世界の帆船を写真で紹介し、クリッパー・レース、練習帆船の建造、帆船レース、日本丸・海王丸の装帆図と一般配置平面図を載せ、帆船の魅力を論ず。

おわりに、児童書2冊を掲げる。柳原良平著『絵巻えほん 船』(こぐま社・1990)は、帆船発達と大航海時代から華やかな客船の時代の世界の船を描いている。ヒサ クニヒコ絵/文『人類の歴史を作った船の本』(子どもの未来社・2016)は、海でつながった縄文時代、ヨーロッパで発達した大型の帆船、蒸気船の誕生、地中海とヨーロッパの船、帆船の時代、ペリー来航と開国、第二次世界大戦と船について、丁寧に描く。有史以来、草舟、丸木舟、筏から豪華客船まで船の変遷をたどり、人類の発展には、船の進化があったと位置づける。以上、いくつかの書を挙げてきたが、船は、山と川と湖と海をつなぎ、広々とした世界を魅了させてくれる。

さて、これからの草舟の航海実験が、3万年前に人類が沖縄に渡ってきたことを解明できるだろうか。時空を超えた大いなるロマンを感じざるを得ない。

〈花筏本流に出て解散す〉
(塩川雄三)

  • 『帆船』

    『帆船』

  • 『人類の歴史を作った船の本』

    『人類の歴史を作った船の本』

  • 『帆船』
  • 『人類の歴史を作った船の本』


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