人や荷を積んで水上を船で行く――これは世界中のさまざまな民族がもつ昔からの「知恵」である。日本も例外ではなく、一本の木を刳(く)り抜(ぬ)いた丸木舟は縄文時代から、しかもかなり大きなものが使われていた。
江戸時代の経済・文化の隆盛を海運で支えたのは弁才船(べざいせん)、いわゆる千石船(せんごくぶね)だ(※)。これに代表されるように、幕末以降に洋式船舶が導入されるまで、移動や物流、漁業などに用いられた船を「和船」と呼ぶ。日本の主要な都市が大きな河口や海岸沿いに多いのは、海運や河川の舟運なしには成立しにくかったからだ。
船による交易で賑わい、独自の文化をもつに至った港町・湊町は枚挙にいとまがない。なかでも今回は、和船で人やものや技が伝わったことで生まれた、あるいは変容した文化に着目した。意外な結びつきのある複数の地域を巡ると、時空を超えて今日(こんにち)にも続く壮大な人の営みが見えてくる。
桃崎浜文化財収蔵庫の船絵馬 胎内市教育委員会蔵