時計企画室コスタンテの純国産ブランド「SPQR(スポール)」。右が文字盤を藍色の漆塗りで仕上げた「SPQR urushi kiso」。
竜頭にも文字盤と同じジャパン・ブルーを埋め込んでいる。左は有田焼の名門窯元「しん窯」とコラボレーションした「SPQR arita 400」。
藍色のアラビア数字が印象的
藍色が活かされているのは、何も衣服に限ったことではない。長野県の時計企画室コスタンテの純国産ブランド「SPQR(スポール)」の主要シリーズには、欧米で「japan」と称されるほど評価の高い漆塗りの技術を活かした「手描き濃紺漆加工」や、藍色を染め付けた有田焼などを用いた文字盤・竜頭(りゅうず)がある。漆器といえば朱や黒を連想するが、藍の色粉を用いる漆塗りもある。匠の手業(てわざ)を見るために信州を訪れた。
文字盤や竜頭に、漆塗りや有田焼の「ジャパン・ブルー」すなわち藍色をあしらった限定生産の高級腕時計がある。年月を経て使い込むほどに愛着が湧くシンプルなデザイン、日本の伝統工芸とのコラボレーションを旨とする国産ブランド「SPQR(スポール)」ウォッチのアイテムの一つだ。
長野五輪のメダルも手がけた木曽平沢の漆塗り職人・蒔絵師、荻上文峰(おぎうえぶんぽう)さんの手業による漆塗りの文字盤と竜頭が特徴の「SPQR urushi kiso」。2015年(平成27)末発売の新商品には、漆といえば連想する朱色のほかに藍色、黒紅梅、深緑の4色があり、とりわけ人気が高いのは藍色だという。
SPQRブランドを生んだ時計企画室コスタンテ代表取締役の清水新六さんは「青というより初めは黒っぽいのですが、2年ほど経つと本来狙ったジャパン・ブルーの藍色に落ち着いてくるのです」と、漆塗りならではの経年変化の魅力を語る。
また、天保年間創業の有田焼の名門窯元「しん窯」とコラボレーションしたのが「SPQR arita 400」。日本初の磁器が有田でつくられてから2016年で400年となることを記念したモデルだ。文字盤、竜頭、裏蓋が白磁。ひときわ目を引くのが、裏蓋に描かれた豊穣を意味する稲穂の藍色。作陶家、橋口博之さんの手描きによる極細の平行線に職人技が光る。
「有田焼はもともと藍色の世界。いくつか窯元を紹介されたなかで、藍色の染付を専門に手がけるしん窯さんに決めました」と清水さんはここでもジャパン・ブルーにこだわった。
SPQRは日本の精密機械工業が発展した信州・諏訪の地を拠点に企画・製造されている。清水さんは諏訪精工舎(現・セイコーエプソン)に入社して商品企画から製造工程、アフターサービスまで全般的な技能を身につけ、ミラノや香港に駐在し、日本製の腕時計を世界に広める事業に尽力した。いつしか大企業の制約を離れ「自分で身につけたい時計をつくりたい」との思いが強くなり、15年前に独立して立ち上げたのがSPQRブランドである。
「卓越した精緻さと品質を約束する」(Superiore Precisione Qualita Riservato)という商品コンセプトを表すイタリア語の頭文字がブランド名。流行を追わず、時代を超越した飽きのこない定番商品を30〜150個程度の小ロットで生産している。木曽漆や有田焼以外にも、箱根の寄木細工や柿渋染めなどをデザインに取り入れ、日本の伝統工芸の知恵と融合した商品を海外にも紹介。日本で唯一の馬具メーカー、北海道のソメスサドル株式会社(以下、ソメス。注1)と提携し、馬具用の頑丈で腕にもよくなじむブライドルレザーを時計バンドに使うなど、新しい素材も採用している。「誰もやっていないことをしないと意味がない」。これが清水さんのポリシーだ。
諏訪湖に近い岡谷市の自宅兼オフィスを拠点に、デザインから素材、部品、組み立てに至る製造工程で約40社、販路では約30社と協力関係を結んでいる。海外も含め会社員時代からの仲間が多い。
(注1)ソメスサドル株式会社
北海道歌志内市に本社を置く馬具製造・販売企業。鞄やポーチ、ポシェット、財布、ベルトなども手がける。
木曽漆と有田焼を使ったジャパン・ブルーの腕時計は、2009年(平成21)からスタートした藤原和博さんプロデュースの「japanシリーズ」の一つ。都内では義務教育初の民間企業出身の校長として教育改革を成し遂げた藤原さんが、中学校での任期を終えた「自分へのご褒美」としてSPQRを購入したことからコラボレーションが始まった。
ソメスの鞄を愛用していた藤原さんは、SPQRの時計バンドがソメス製だったことに目を引かれ、「デザイン基調がベーシックで品がよく、ホンモノ志向が見て取れる」(藤原和博著『つなげる力』文藝春秋 2008)と気に入って、つくり手の清水さんに会った。たちまち二人は意気投合する。藤原さんは自分の求める腕時計になかなか出合えないことから、オリジナル時計をプロデュースできないかと提案。これに清水さんがこたえた。
世界中のフォーマルな場でも恥ずかしくない風格と気品を備え、日本の職人の技が結集され、ネオジャパネスク(新しい日本風)なデザイン。そんなコンセプトのシリーズだから、色合いとすれば当然ながらジャパン・ブルー(藍色)が浮かび上がった。藍色の漆文字盤を使った第一弾から、有田焼文字盤を際立たせた薄型の37mmモデルに小秒針文字盤を搭載した「arita ism small second」の第九弾までがリリースされている。
長野県塩尻市の木曽平沢は明治初期から漆器の生産地として栄えた。中山道沿いの南北に長いまちなみには、漆器づくりの作業場である塗蔵(ぬりぐら)が90棟以上現存し、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。
40年以上、漆器づくりに携わっている荻上さんを清水さんとともに訪ねた。この日はちょうど、山加荻村(やまかおぎむら)漆器店の工房でSPQRの文字盤に藍色の漆を塗っていた。漆塗りといえばふつう朱か黒だが、他の色粉を使えばそれ以外の色も出せるのだ。
とはいえ荻上さんによれば「漆に混ぜるときれいに直らない(均一になりにくい)のが色粉のクセ」なのだという。「藍色や緑色などの色系統の粉は、朱色の粉と違って塗ったあと刷毛目が目立ちやすく、結構難しいんです」。
塗っては研ぎを繰り返し、何層にも刷り重ね、艶を出していく。1回塗ると2日ほど乾かす。漆は空気中の水分と化学反応して硬化するので、梅雨時は急激に乾いて縮み、皺が寄りやすくなる。逆に冬は湿度が足りず乾きにくいため、常に75%程度の湿度に保つ必要がある。漆塗りは全10工程ほどに及ぶという。小さな文字盤とはいえ、手間と時間のかかる手業だ。
「塗りたては少し黒っぽいでしょ?これは茶褐色で半透明の漆が、その時点では色粉に勝っているから。しかし2年ほど経つと透けてくるので、もとの藍色が浮き出るんです」と荻上さん。経年変化でジャパン・ブルーが鮮明になるしくみをこう説明してくれた。
荻上さんはかつて時計の文字盤工場とともに金属に漆を塗る技術を確立し、長野五輪のメダルにもそれを活用した人物だ。会社員時代から荻上さんを知っていた清水さんは「漆塗りなら荻上さんに」と即決した。
2016年にある大手企業の会員制コンテンツにプレゼント用として提供した腕時計は、200年前の有田焼の破片を裏蓋に埋め込み、荻上さんによるプラチナの粉の蒔絵をベゼル(注2)にあしらった超豪華な一品物だ。今後は、文字盤に旧中山道の宿場の風景を荻上さんが描いたシリーズも予定されている。
「藍染めは土着の色、日本古来の色。愛着を感じますね」と荻上さん。清水さんも「藍はほかの色より気持ちが落ち着きます」と話す。しかし、ことさら藍色を狙った商品開発に特化してきたわけではない。「ネオジャパネスク」の価値を腕時計に盛り込もうとしたら、おのずと藍色が前面に押し出された。その事実こそ、連綿と受け継がれてきたジャパン・ブルーの真価を、雄弁に物語っている。
(注2)ベゼル
時計の表示部分や内部を保護するために設置されたガラスやプラスチックなどの周囲に取り付けられる円状のパーツ。
(2016年11月30日取材)