日本の芸術文化において雲はどのような存在だったのかを紐解くため、平安・鎌倉時代に盛んに制作された「絵巻」に着目した。絵画を含む史料の分析を通して中世社会・文化を再現する研究を続け、『絵巻で読む中世』などを著した歴史学者の五味文彦さんに、絵巻における雲の用いられ方についてお聞きした。
インタビュー
東京大学名誉教授・公益財団法人
横浜市ふるさと歴史財団理事長
五味文彦(ごみ ふみひこ)さん
1946年山梨県生まれ。東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。東京大学大学院教授、放送大学教授を経て現職。日本中世史専攻。院政期・鎌倉期の研究で知られる。1991年『中世のことばと絵』でサントリー学芸賞、2004年『書物の中世史』で角川源義賞、2016年『現代語訳 吾妻鏡』(本郷和人らと共編)で毎日出版文化賞を受賞。
絵巻とは、詞書(ことばがき)と呼ばれる文章と絵とを交互に配列したもので、その始まりは奈良時代とされています。仏伝経典の一つ『過去現在因果経(いんがきょう)』の写本『絵因果経』が嚆矢(こうし)で、仏教の教えを伝えることを目的に生まれました。
私の研究の中心は中世の院政期(注)ですので、『源氏物語絵巻』『伴大納言(ばんだいなごん)絵巻』『信貴山(しぎさん)縁起絵巻』『鳥獣戯画(ちょうじゅうぎが)』などこの時代の有名な絵巻も読み解きました。これらは読み手によって見方が異なります。例えば、当時の貴族は『源氏物語』を全文暗記していたので、絵巻では「どうしてこの風景なのか?」と読み解く楽しさを与えるものでしたし、『鳥獣戯画』は僧が稚児を大切にする風潮から、彼らが飽きないように、と擬人化した生きものが描かれています。
鎌倉時代になると、『石山寺(いしやまでら)縁起絵巻』や『春日権現験記(かすがごんげんげんき)』が登場します。これは各々のお寺が「わが寺に願い事をするとこんなご利益がありますよ」と伝えるもので、貴族は願い事を絵巻に託しました。また、時宗の開祖・一遍を描いた『一遍聖絵(いっぺんひじりえ)』は自分たちの信仰を世に広めるために生まれました。このように、鎌倉時代後期には、楽しみ、願い事、信仰といったさまざまな意味合いで絵巻は使われるようになるのです。
(注)院政期
白河上皇が院庁(いんのちょう)で政務をみるようになった1086年(応徳3)から平氏一門が滅亡した1185年(寿永4)までを指すことが多いが、後三条天皇から始まるという見方もある。
その絵巻において、雲はいろいろな使われ方をしています。
まずは「時の流れ」です。雲が流れる=時間が経つことなので場面転換で用いられます。『春日権現験記』の仏様(お地蔵様)が地獄を案内する有名なシーンもそうです(図1)。
また、「天や神仏とのかかわり」にも雲は関係します。例えば阿弥陀様などの仏様が雲に乗ってやってくる、もしくは一緒に浄土へ連れて行ってくれる「聖衆来迎(しょうじゅらいごう)」の重要なモチーフとして用いられます。『信貴山縁起絵巻』には病を患った天皇を祈祷で治すために童子が雲に乗って現れます(図2)。また、『春日権現験記』の讃岐守俊盛が往生する夢のシーンでは、仏様と雲に乗って天に行きます(図3)。
さらに、雲に乗らないのであれば、「紫雲(しうん)」がたなびきます(図4)。紫色の雲を描くことで、めでたいことの前兆として起こる「奇瑞(きずい)」を表すのです。逆に、不吉なことのときは黒い雲に鬼や龍が乗ってくる。これで事件が起きる不穏な空気が醸し出されます。私たちも朝起きて空に黒い雲があると、ちょっと不吉な感じがしますよね。
雲にはもう一つ重要な役割があります。周囲を雲で覆い隠すことによって、ある部分を目立たせる「クローズアップ」の手法です。親密な関係を匂わせる、あるいは重要な協議をしていることを示唆するものです。先ほどの『春日権現験記』の地獄のシーン(図1)にも見られます。
時代が下って『洛中洛外図屏風』になると、金箔などで雲を金色に塗る「金雲(きんうん)」が登場しますが、これは技法や意味というよりも華やかさの演出です。雲は、時代や身分を問わず使いつづけられてきたのですね。
個人的な話ですが、4年前に病で2ヵ月ほど絶対安静を命じられたことがあります。体がなまってしまったので朝夕歩くことにした。すると、それまでなんとも思わなかった自然の息吹を感じるようになったのです。
朝起きると日の光に照らされて雲が動いている。夕方になると雲に朱色の光が差し込む―。そうした雲のある美しい光景は、私に「生きる」という日々を実感させ、また考えさせるものでした。風も草木も心地よいものですが、時間の流れをいちばん強く感じさせてくれる自然は、やはり雲だと思います。
(2017年4月25日取材)