くさやを炭火で焼くと香ばしい匂いが周囲に立ち込める
水と風土が織りなす食文化の今を訪ねる「食の風土記」。今回は東京都新島村の「くさや」を取り上げます。香りが強いことで知られるくさやは、新島の特異な風土で生まれて以来、300年もの間、変わらずあり続けています。くさやの食文化はどのように受け継がれ、守られてきたのでしょうか。
「くさや」をご存じだろうか。魚の干物の一つで、身を開いた魚を「くさや液」と呼ばれる発酵液に浸け込み乾燥させたものだ。くさやは300年以上前の江戸時代中期からつくられる伊豆諸島の特産品だが、新島が元祖とされる。
新島のくさやは島の人々の知恵と、地形や気候、自然環境などが重なったことで生まれた。
とりわけ新島のような小さな離島で、生活用水の確保は極めて困難だ。ところが火山島である新島は、昔から水に苦労することがなかった。
新島は火山岩に関連した地下資源が多く、抗火石(こうかせき)(注1)を中心とする大地で形成されている。抗火石はスポンジ状の構造をもつため、雨水が地層に滞留しやすい特性がある。しかも新島は温暖多雨な気候のため雨水の地層への浸透率が高い。つまり、自然にろ過されたミネラル豊富な水が地下に溜まっているのだ。地下水に恵まれた新島は、たとえ干ばつの年でも水が枯れることはなかったという。
(注1)抗火石
火山岩である流紋岩(りゅうもんがん)の一種。現在は新島・式根島・神津島と伊豆半島の天城山、シチリアでのみ採掘される。コーガ石とも呼ばれる。
一方、平野の少ない火山島は稲作に向かない。そこで江戸時代から漁業が村の経済活動を支えていた。伊豆諸島では珍しく、新島には長く幅広な砂浜がいくつもある。そこで地引き網漁が盛んに行なわれた。
漁で獲れたムロアジ(注2)などの魚を塩水に浸し天日干しにすることで、保存食として各家庭で食べるほか、江戸にも出荷された。当時、魚の保存性を高める工夫として、魚にじかに塩をすり込む方法もあったが、新島では塩水に浸すやり方をとった。これがくさやにつながる。
新島水産加工業協同組合代表理事・組合長であり、くさやの製造販売業を営む菊孫(きくまご)商店の藤井栄作さんは、「稲作のできない新島では、島でつくった塩を年貢として幕府に上納していました。つまり貴重品である塩の無駄使いは許されなかったのです」と言う。
新島の人々は塩の倹約のために魚を浸した塩水を捨てることなく、水と塩を継ぎ足しながら大事に繰り返し使っていた。
「その間に長い年月をかけて魚の肉質(たんぱく質)が溶け合い、偶発的に菌が発生することで液が熟成され、珍味であるくさやが偶然出来上がったのです」(藤井さん)
また、地下水が豊富だったおかげで、魚を良質な流水で何度も洗うことができた。今もくさやの加工に使われる水は、すべて地下水だ。
加えて、天日干しの際の白砂からの照り返し、海からの爽やかな風もくさやづくりに好都合だった。
(注2)ムロアジ
アジの一種でマアジよりも細長く体長は40cm前後。暖海に生息し、干物として珍重される。
くさや液の熟成法は、秘伝として代々その家に伝えられた。昔はぬか床と同じように各家にくさや液があり、嫁入り道具の一つとしてもたせたという。
「今でこそ魚は一年中手に入りますが、昔は魚の獲れない時期もあり、そのときはくさやもつくりませんでした。しかし液は使わないと醗酵が止まってしまうので、つくらない時期も魚の切り身を入れて、液を活性化させたのです」と藤井さん。
くさや菌の学名は「コリネ・バクテリウム・クサヤ」。まだはっきりと特定には至っていないが、防腐・抗菌作用があり、わずかな塩分で長く保存できるそうだ。
くさや菌液の塩分濃度は変動するのでこまめに濃度を測り、海水と同等の約4%に保つ。気温の上がる夏場は、過度な温度上昇も防ぐ必要がある。連綿と受け継がれてきた液を絶やさないためには、こうした管理が欠かせない。
新島のくさや加工の拠点となっているのが、加工場や組合の施設が集まる「くさやの里」だ。
くさやは、新鮮な魚を2枚に開き、地下水で丹念に水洗いしてからくさや液に一昼夜浸ける。そして液から取り出した魚をまた三回ほど水で洗って乾燥させる。昔は天日で干していたが、今は天候に左右されない冷風乾燥機が主流だ。
訪れた日は、前日に液へ浸け込んだ魚を取り出して干す工程だった。液は温度の低い地下で、大切に保管されている。浸け込みを終えた液は捨てずに地下のタンクに流し込む。さらに、一回目の水洗いで出た水も大事に集めてタンクに戻す。
「地下タンクは2槽あります。液は交互に使うのです。続けて使うと菌の働きが鈍くなるので、一度使った液は少し休ませなければいけない」
工場で働く方々は「くさやは毎日食べても飽きません」と口をそろえる。皆、1歳にならないうちから食べつけているそうだ。基本的にどんな魚でもくさやにできるが、代表的なムロアジのほか、トビウオやサメ、ウツボなどもお勧めだという。
藤井さんが懸念するのはつくり手の高齢化。「島で働き手を募るにも限界がありますし、外から人を呼び込むとしても移住しなければならないのでハードルが高いと思うのです」
だからこそ藤井さんは東京・お台場で「くさや試食会」を開くなど島外にもくさやをPRする。
「日進月歩の世の中で、くさやはいまだに添加物を一切加えず300年も食べ続けられている。これは驚異的なことですよね」と藤井さん。
加工段階では独特な臭いがあるものの、焼いたくさやは香ばしい。今も新島の人々の食卓に欠かせないくさや。一度は味わいたい逸品だ。
参考文献
『新島村史(通史編)』(新島村 1996)
『大江戸万華鏡(人づくり風土記13・48)』(農文協 1991)
(2017年4月27~28日取材)