いったんは消滅した森を取り戻した天売島。海を挟んで見えるのは隣島の焼尻島(やぎしりとう)
江戸時代から明治時代にかけて森林がほぼ消滅した天売島(てうりとう)。観光客が押し寄せた昭和40年代後半には断水が繰り返され、島外から給水を受けるという深刻な水不足に陥った。その後、苛烈な気候を克服して育てた森が、間伐期を迎えている。たんに間伐するだけでなく、島おこしにもつながるようにと、島民と天売島を応援する関係者が動き出した。
初夏の太陽が水平線に沈んでから断崖絶壁の展望台に立つ。茜色の空に鳥たちの群舞。暗くなるにつれて数が増し、頭上近くを低空飛行する羽音まで聞こえた。「頭にぶつかるといけないので移動しましょう」。ウトウ帰巣見学ツアーガイドにそう促されて展望台を下りる。
ここは北海道の天売島。絶滅危惧種のオロロン鳥やウトウ、ケイマフリなどが多数繁殖し「海鳥の楽園」として知られる。札幌からクルマで3時間北上した羽幌港からさらに高速フェリーで西へ1時間。空が澄んだ日には北に利尻島を望める、人口約300人、周囲12kmの小さな離島だ。5~9月のシーズン中は2万人の観光客が訪れる。
大人の背丈ほどの野草イタドリすれすれにウトウの黒い影が舞う。地表近くを飛ぶのは、ヒナに与える魚をくわえ巣穴に戻るためだ。ウトウは海で暮らし陸で子育てする。3月上旬に島へ飛来すると、海に近い陸地に巣穴を掘って産卵。孵化する5月からヒナが巣立つ7月上旬まで、日没後に親鳥は帰巣する。
巣立ちのヒナがいた。よちよち歩いて道路を横切る。海の方向がわからず、逆に行こうとするのを見学客が「あっちだよ!」と声をかける。海へ出る前にカラスやオオセグロカモメの餌食になるヒナも多いとか。がんばれ、と応援したくなる。
ウミネコの大繁殖地の近くをクルマで通った。道路まで埋めつくし、のろのろ徐行しないと進めない。運転する齊藤暢(みつる)さんは運送業を営む傍ら「一般社団法人 天売島おらが島活性化会議」の代表理事を務め地域活動にも携わっている。
「海上にウミネコが集まっている光景を『鳥山』といって、その下にはイカナゴやカタクチイワシなどの魚群がいます。昔はそれがニシンでした。鳥山が見えると漁師が船を出したと聞いています」と齊藤さんは言う。
北海道の日本海側の例に漏れず天売島も昔はニシン漁で栄えた。かつて島が深刻な水不足に悩まされた遠因も実は漁業にある。齊藤さんによると「肥料として出荷するニシン粕をつくるのに薪が必要で、森林伐採が進みました」。
明治時代前期に森の多くは消滅し、さらに山火事が追い打ちをかけ天売の森はハゲ山に。その後、植林が試みられ、1954年からは公共治山事業による森林再生への取り組みが始まったが、表土が堅くやせた土壌、冬の強い季節風による寒風害や倒木など、厳しい自然環境ゆえ木が育たなかった。
水源涵養(かんよう)林が貧弱だと保水能力が劣る。1969年(昭和44)に水道が開通したが渇水期には慢性的に水不足。離島観光ブームに湧いた1973年(昭和48)にはしばしば断水し、自衛隊のヘリコプターや船が給水した。
天売の森が少しずつ健全さを取り戻したのは、1980年(昭和55)から6年間の水源林造成事業による。「土塁併用防風工」という独自の方法が採られた(図2)。土塁上に杭を深く埋設した防風柵を立て、さらに雨や雪を溜めて保水能力を高める水路を敷設。土塁と防風柵で護られたなかに、ヤナギ類、グイマツ、アカエゾマツ、ハンノキ類、カシワ、イタヤカエデなどを植林した。こうした取り組みにより、現在の森林面積は1956年の約20倍にあたる197haまで増加。水不足の問題は解消されている。
外から見ると豊かに緑なす天売の森だが、なかに入ると過密ぶりがわかる。森を調査した北海道留萌振興局森林室普及課主査の小林順二さんによれば「強風で倒れないよう高密度に植えられているため、樹冠が閉鎖して太陽光が差し込まず、下草が枯れ樹木も根が張れず貧弱な箇所が多いのです」。
放置すれば豪雨による土砂災害の原因になるうえ、森が健全な状態を保つことができない。間伐による手入れが必要な森林は全面積の46%に及ぶ。
一方、天売島では2012年ごろから「島おこし」の機運が高まっている。80年代の森林再生にかかわり、この島に愛着をもつ専門家たちによる「天売の応援団」は、島と海と森と水のつながりや水源林再生の意義を島民に伝えるセミナー・授業を開催。島の青年有志は「おらが島活性化会議」を発足。羽幌町はエコ観光と再生可能エネルギーの地産地消を目指すエコアイランド構想を策定した。
民間主体の島おこしの芽を大きく育てようと留萌振興局では2015年(平成27)から天売島応援プロジェクトを開始。「公共事業による間伐などの森林整備、島民と応援団による森づくり活動、木材の〈地材地消〉による利活用。この三方策を5年計画で進めています」と小林さんは言う。2017年(平成29)、おらが島活性化会議、羽幌町、留萌振興局の三者が「未来につなぐ木育(もくいく)の島づくり」協定を締結し、天売の応援団も連携することになった。
「おらが島活性化会議」発足のきっかけは、地域再生の成功事例で知られる島根県隠岐郡海士町(あまちょう)への研修旅行だった。遊び半分で出かけた齊藤さんら有志は「頭を叩かれたような衝撃」を受けた。
「人任せにせず自分たちで考える。その覚悟がなかった。北海道や羽幌町が何もしてくれないから島が衰退するんだと鵜呑みにしていました」
海士町のキーマンをワークショップに招いて「子どもが行きたい、親が行かせたい」高校魅力化プロジェクトに取り組んだ。結果、定時制の町立天売高校には東京や札幌から入学生があり、小中学校や保育所で働きながら学んでいる。在校生8人の学校に羽幌町は2000万円をかけて寮を建設した。
おらが島活性化会議でもUターンの若者と高校生を2名雇用。バードウォッチャー用に敷設したフットパス(注)の草刈りや、猫愛護団体と連携した鳥には天敵となる野良猫の保護活動を町から受託した。
「自分たちでやってみて相談すると役場の人たちとフラットなよい関係が築けます」
齊藤さんたちは、天売の応援団のセミナーで森林再生の苦闘の歴史を知り、水源林の大切さを痛感。子どもたちに森に親しんでもらおうとキノコづくり、間伐材を利用したキャンプ場のシャワー小屋建設や木炭づくりなどに、留萌振興局や天売の応援団の助力を得て取り組む。
今後、間伐によって産出される木材を、薪として利用するのも有効な手段だ。地域おこし協力隊に参加したのち移住しゲストハウス天宇礼(てうれ)を開業した宇佐美彰規(あきのり)さんも活性化会議のメンバーで、いち早く薪ストーブを導入した。
こうした取り組みを重ね、水源の森を守ることで森から栄養が海に流れる。「だからウニや魚が獲れ、海鳥が繁殖する。この豊かなつながりを後の世代に残したい」という齊藤さんの思いは島民共通だろう。
(注)フットパス
歩くことを楽しむために設けられた散歩道のこと。
(2018年7月25~27日取材)