機関誌『水の文化』61号
水が語る佐渡

水の文化書誌 51
ドナウ川 —— 黒い森から黒海まで

古賀 邦雄

古賀河川図書館長
水・河川・湖沼関係文献研究会
古賀 邦雄(こが くにお)

1967年西南学院大学卒業。水資源開発公団(現・独立行政法人水資源機構)に入社。30年間にわたり水・河川・湖沼関係文献を収集。2001年退職し現在、日本河川協会、ふくおかの川と水の会に所属。2008年5月に収集した書籍を所蔵する「古賀河川図書館」を開設。
平成26年公益社団法人日本河川協会の河川功労者表彰を受賞。

斎藤茂吉の歌

池上俊一著『森と山と川でたどるドイツ史』(岩波書店・2015)では、ドイツには日本の川とまったく違う、満々と水をたたえた大河がラインとドナウのほか、マイン、エルベ、モーゼルなど多数あり、それらはまさに大量の荷物を貨物運搬船で運ぶ大動脈になっているという。ライン、ドナウ、マインの三河川をつないで北海から黒海までの水運の網の目を張り巡らされたのは1992年である。ライン川は「父なるライン」と、ドナウは「母なるドナウ」と呼ばれ、ドイツ人の心の故郷でもある。

丹下和彦・松村國隆編著『ドナウ河——流域の文学と文化—』(晃洋書房・2011年)では、斎藤茂吉はドイツ留学の時にドナウ源流を巡り、詠んだ歌碑がある。1723年につくられたフェルステンベルク城の庭園脇の階段を降りると、円形のドナウ泉があり、そのそばに、〈大き河ドナウの遠きみなもとを尋(と)めつつぞ来て谷のゆふぐれ〉と、日本語とドイツ語で刻まれている。茂吉は1924年4月18日ミュンヘンから出発し、ドナウの泉を訪れている。

そのときの歌を掲げる。

〈ドウナウの岸の葦むらまだ去らぬ雁のたむろも平安(やすらぎ)にして〉

〈黒林のなかに入りゆくドウナウはふかぶかとして波さへたたず〉

〈なほほそきドナウの川のみなもとは暗黒の森にかくろひけり〉

この書では、ドナウ川の流れに沿った都市、ウルム(アインシュタインの生家、ウルム大聖堂)、レーゲンスブルク(レーゲンスブルクの石橋・グリム童話)、ウィーン(音楽都市ウイン・ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、ヨハン・シュトラウス㈼世、シューベルト、マーラー、思想家フロイト、シュニッツラー)、ブダペスト、べオグラード河口までの流域の歴史と文学と文化を追っている。

『ドナウ河——流域の文学と文化—』

『ドナウ河——流域の文学と文化—』

ドナウ川の流れ

ドナウの源流について、堀淳一著『ドナウ・源流域紀行—ヨーロッパ分水界のドラマ—』(東京書籍・1993年)がある。ドナウ川の最上流の支流の一つブリガッハ川の水源の池のほとりの説明版に、ケルト人の絵と写真があり、ケルト人がもっとも崇めたものに泉があり、泉の女神像が刻まれていた。ここは茂吉が詠んだシュワルツワルト(黒い森)に近い。

ドナウ川最上流のもう一つの主な支流はブレク川で、ここも泉が湧き出している。池には「この泉がドナウ川の地理的長さを測る時の原点。ドイツ国内の長さ647キロ」、また「ドナウの源。ここからドナウの筆頭源流支流ブレクが出ている。海抜1078メートル、河口から2888キロ。ドナウ—ライン間すなわち黒海—北海の分水界から100メートル」と書かれている。この書は、ドナウの源流について、他にいくつもの流れと分水界を踏査している。

C・A・R・ヒルズ著『ドナウ川』(帝国書院・1987年)は、ジュニア地理として川と生活シリーズのなかの一冊である。ドナウ川は、ドイツ、オーストリア、旧チェコスロバキア、ハンガリー、旧ユーゴスラビア、ルーマニア、ブルガリア、旧ソ連を流れている。ルーマニアではすべての川がドナウ川に合流し、オーストリアでもほとんどの川が、また旧ユーゴスラビアではほぼ3分の2がドナウ川に流れ込む。その支流は300以上にもなる。

ドナウ川の特徴に、野性的な姿を現し、水の量が急に増えたり、減ったりすることがある。それは、この川の本流や支流がさまざまな気候地帯を流れ、大洪水と渇水を引き起こす。

ジプシー(ロマ)は、インドからヨーロッパへやってきて、その長い旅の途中でドナウ川と出会い、「ドナウ川は、ほこりのない道路」と言っている。おもしろい的を射た表現である。

デイビッド・カミング著『ドナウ川』(偕成社・1995年)には、延長2860km、世界で25番目の長い川、ヨーロッパではボルガー川に次いで2番目で、流域面積81万7000km2、下流の広大なデルタ地帯の面積は、4152km2とある。

ドナウ川の源流、黒い森から、ドナウエッシンゲンを過ぎ、中流ブダペスト北部で急に曲がり、ハンガリー大平原を流れ、ベオグラードを後にして、やがてもっともスリルのあるカルパティア山脈とユーゴスラビア山脈に挟まれた鉄門と呼ばれる八つの峡谷を下る。ここには1971年にダムが完成し、小型船でも安全に航行できることになった。

さらに、ドナウ川はルーマニアとブルガリアの国境線を流れ、ルーマニア国内を通り抜け、ウクライナとの国境線沿いに流れ、デルタ地帯に入る。デルタ地帯は泥や砂、アシに覆われて多数の浮島がある。ここから三つに分かれ黒海へ注ぐ。

ドナウ川の航行の危険を取り除くために、18世紀から19世紀にかけて岩場が爆破され、また、ドナウ川流域には、イップス・ぺルゼンボイクにダムが建設され、鉄門ダムをはじめ多くのダムが建設された。ドイツに5基、オーストリアに9基、ルーマニアと旧ユーゴスロバキアの国境沿いに2基、スロバキアに1基完成。ダム建設は船の航行の安全のため、川の水量のコントロール、そして水力発電としたものである。一方、原子力発電所は原子炉を冷却するために利用されているが、工場などの汚水、環境破壊が問題視されている。

  • 『ドナウ・源流域紀行—ヨーロッパ分水界のドラマ—』

    『ドナウ・源流域紀行—ヨーロッパ分水界のドラマ—』

  • 『ドナウ川』

    『ドナウ川』

  • 『ドナウ川』

    『ドナウ川』

ドナウ川の紀行

ドナウ川の紀行に関する書を挙げてみる。

中村光夫著『ドナウ紀行』(日本交通公社・1978年)には、旧ソ連の乗客船でのドナウの川下りの様子が、ゆったりと、自由な気ままな旅を楽しんでいる。

加藤雅彦著『ドナウ河紀行—東欧・中欧の歴史と文化—』(岩波新書・1991年)では、ドナウ流域の諸民族であるゲルマン、スラーブ、マジャール、ラテン、ユダヤの背後にある一つの世界が数世紀にわたって存在してきたことを描く。ドナウ川流域の諸国間の複雑な交錯を著した書である。

オーストリアのヴァッハウには、古城が多い。ドナウ川の北にはボヘミア山地、南にはアルプスが立ちはだかって、東西の交通を遮っている。したがって、ドナウは東方民族にとっては、西へ進む唯一の通路であった。こうした要衝ともいうべきドナウ一帯は城で囲まれた。

ウィンナ・ワルツの誕生はダンスのみならず社会革命だという。メヌエットと対照的にワルツは最初から指定の男女がペアを組み、互いに相手と体を密着させて踊る。それは保守的な上流階級には不道徳そのものと映った。シュトラウスの時代に、ウィンナ・ワルツはあらゆる階層に行きわたった。

『ドナウ河紀行—東欧・中欧の歴史と文化—』

『ドナウ河紀行—東欧・中欧の歴史と文化—』

南ドイツの川と町

南ドイツの川と町について、次の書がある。

柏木貴久子・松尾誠之・末永豊著『南ドイツの川と町』(三修社・2009年)では、イーザル川、イン川、ドナウ川、ネッカー川を捉える。イーザル川は、オーストリアのチロルからドイツのバイエルンへ流れるドナウ川の支流である。その流域の多くをドイツ最大の面積を誇るバイエルン州の東南部に有し、ミュンヘンの中心を流れている。ミュンヘンの人々には「緑の川」と呼ばれている。イン川はスイスのエンガディンの山中を西から東へ貫流し、ドイツのバイエルン地方に入り、パッサウでドナウ川に注ぐ。ネッカー川はドイツの南西部のシュヴェニンゲン沼沢地を水源として、北へ流れて、バーデン=ヴュルテンベルク州のマンハイムの町でライン川に注ぐ。氾濫が多く、流域の人々に大きな被害をもたらし、暴れ川の異名をもつ。

鈴木喜参著『ドナウの南とエルベの東』(大学教育出版・2010年)は、ドイツ地誌入門となっている。

『南ドイツの川と町』

『南ドイツの川と町』

ドナウ川諸国の統合

ヨーロッパの統合の夢は、政治的にEUの連合でつながったと見えるが、現状ではまだ、模索が続いている。ヨーロッパの経済的な統合の夢は、1992年ドイツのケールハイムでドナウ川の支流アルトミュール川から始まったと言える。分水嶺を越えてレグニッツ川との間が運河化し、ニュルンベルグを経由して、バンベルグでマイン川とつながり、ビュルツブルク、フランクフルトを経て、ライン川と結ばれる。

ドナウとラインというヨーロッパの代表的な流れの統合で北海と黒海がつながった。その距離3500kmである。浜口晴彦編『ドナウ河の社会学』(早稲田大学出版部・1997年)は、ドナウ川流域の諸国について、ドナウ川を通じて論じる。

一方、クラウディオ・マグリス著『ドナウ—ある川の伝記』(NTT出版・2012年)は、ドナウ川をあらゆる角度から事細かく分析する。訳者・池内紀氏は次のように解説する。

歴史と文化を育んで、いかに生み出したのかを、160ばかりの短章に分けて検証する。例えばブルガリアのドナウ右岸流域にはさまざまな人が住んでいる。ブルガリア人、トルコ人、ギリシャ人、アルバニア人、アルメニア人、ユダヤ人らの行動、考え方を考察し、ドナウ川をたどりながら目に見えない地図を描くように広大な文化圏を点描する。

以上、ドナウ川の流れに沿い、茂吉が巡った黒い森から黒海まで、その歴史、文化を追ってみた。黒海の書としてチャールズ・キング著『黒海の歴史—ユーラシア地政学の要諦における文明世界—』(明石書店・2017年)がある。

〈黒海へ注ぐとも知らで冬ドナウ〉(吉永貞志)

  • 『ドナウ河の社会学』

    『ドナウ河の社会学』

  • 『ドナウ—ある川の伝記』

    『ドナウ—ある川の伝記』

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