平成27年9月関東・東北豪雨によって鬼怒川・小貝川流域は浸水被害を受けた。そこで市町や茨城県、国が「鬼怒川・小貝川下流域大規模氾濫に関する減災対策協議会」を立ち上げた。今、「タイムライン」を個人レベルで作成する「みんなでタイムラインプロジェクト」や、小・中学生向けの防災学習教材セット「逃げキッド」の配布などを進めている。同じことを繰り返さない「逃げ遅れゼロ」への取り組みとは?
鬼怒川・小貝川の流域全体で取り組みが進む「みんなでタイムラインプロジェクト」。宇都宮市上河内東小学校の様子
(提供:国土交通省関東地方整備局下館河川事務所)
「タイムライン」といえば、SNSなどで投稿を時系列に並べた表示を意味する言葉として一般化しつつあるが、防災の世界でも同じ言葉が急速に広がっていることをご存知だろうか。こちらのタイムラインは、災害に備えてすべきこと、起こった際にとるべき動きを時系列で整理し、誰が、いつ、何をすべきかを明確にしようというもので「事前防災行動計画」などの和訳もある。
タイムラインは国や地方自治体、公共団体、交通機関といった災害対応が求められる組織でつくられているが、各自が整理したものを付き合わせ調整を図ることでスムーズな連携が可能になることが利点とされている。
この言葉が広く知られるようになったのは、2012年10月に米国の東海岸を襲ったハリケーン「サンディ」での事例だ。ニュージャージー州やニューヨーク地下鉄などがタイムラインを運用し大きな成果を挙げたことから注目を集めた。日本でも2014年より国土交通省が普及に向け動きはじめた。
このタイムラインだが、これまで主に公的機関など組織を対象に導入が進められてきたが、「マイ・タイムライン」という名称で、住民一人ひとりに向けて普及を図ろうという動きが起きている。その先駆けといわれているのが、鬼怒川・小貝川流域の河川事業を担う国土交通省関東地方整備局下館河川事務所が中心となって取り組んでいる「みんなでタイムラインプロジェクト」である。
きっかけは、2015年(平成27)9月9日から11日にかけて発生した関東・東北豪雨で鬼怒川下流域が受けた大きな被害だ。
鬼怒川上流域で観測史上最悪レベルの大雨が降りつづき、四つのダムが水と大量の流木を貯留したものの、鬼怒川は19時間にわたり氾濫危険水位にさらされた。そしてついに茨城県常総市上三坂地区で堤防が決壊。そのほかにも各所で溢水・漏水が発生した結果、鬼怒川と小貝川に挟まれた宅地など約40km2に鬼怒川の水が流入、浸水した。2名の犠牲者が出たほか逃げ遅れも大量に発生。自衛隊や消防、警察、海上保安庁などに救助された人は4300人に上った。
こうした被害に対し、下館河川事務所の青山貞雄所長は、率直に驚きがあったと話す。
「戦後、高度成長期などに進んだ河川整備は水害を減らしてきました。都市部が大きな被害を受ける水害は昭和20~30年代初頭に全国で発生していましたが、近年はほぼ起きていなかったからです」
ショックを受けた関係者は、すぐさま再発に備える取り組みを始めた。国土交通省と茨城県、鬼怒川下流部の七つの市町(結城市、下妻市、常総市、守谷市、筑西市、つくばみらい市、八千代町)が中心となり「鬼怒川緊急対策プロジェクト」が立ち上がった。
決壊した堤防や、高さや幅が不足した堤防の整備、洪水時の水位を下げるための河道掘削といったハード対策を前提としながら、豪雨時の行動を示したタイムラインの作成とそれに基づく訓練、地域住民との共同点検、広域避難に関するしくみづくりなど、ソフト対策への注力も図られた。
「インフラの整備が進み安心が広がった一方で、水防災意識が希薄になった面は少なからずあったと考えています。そこで水防災意識の再構築を目指すことになったのです」と青山所長は語る。
ダムや堤防といったハード一辺倒ではなく、流域で川にかかわって暮らす人間、ソフトサイドの準備が伴なわなければ実効性のある水害対策は難しいという声は、かねて関係者の間でもあり、段階的に手が打たれてきた。鬼怒川の災害対応は、それを一気に加速させる契機となったのだという。
続いて「ハードとソフトを一体化した対策」という考え方をベースに、鬼怒川・小貝川の流域を上流、下流の二つに分け、さらに多くの市町を加えた「大規模氾濫に関する減災対策協議会」(以下、協議会)が立ち上がる。そこでは「逃げ遅れゼロ」「社会経済被害の最小化」などを目標に、より具体的な対策が練られていった。
「『逃げ遅れゼロ』を実現するため、住民の皆さんに迅速かつ的確な避難行動をしてもらうための取り組みとして始まったのが、『みんなでタイムラインプロジェクト』です。大雨が降ったら自分の家は浸水するのかどうか。何を持って逃げればいいのか。どこへ、どのタイミングで逃げればいいのか。住民一人ひとりの家族構成や生活環境に合わせて、検討して自分自身の防災行動計画=マイ・タイムラインをつくっていただこうというものです」と青山所長。
マイ・タイムラインは、①自分たちの住んでいる洪水リスクの把握、②洪水時にどのタイミングでどんな情報が得られるかの確認、③実際に各タイミングで自分がとるべき行動を時系列に沿って整理する――といった順序で行なうことが推奨されている。
タイムラインが国や地方自治体、公共団体、交通機関などが災害対応時の連携を図る際に有効であるのと同じように、マイ・タイムラインも地域で意見交換を図りながら作成することで、住民間のつながりを強くする効果が期待されている。
協議会では今、学校に通う子どもたちを通じたマイ・タイムラインの普及を進めている。子どもでも理解がしやすいように平易な言葉でタイムラインづくりをガイドするツール「逃げキッド」を制作し、小・中学校などで啓発活動を行なっている。
マイ・タイムラインづくりを経験した子どもが家に持ち帰って、家族にタイムラインの重要性を働きかける、そんな広がりも期待した取り組みだ。すでに流域の住民1万人がタイムラインづくりに取り組んでおり、協議会ではこの輪をさらに広げていこうとしている。
取材を終え、自分でもマイ・タイムラインをつくってみようと思い「逃げキッド」の封を開けてみた。最初に聞かれるのは住んでいる場所の「浸水深は?」「浸水継続時間は?」といった質問だった。すぐに思い浮かぶものではなかったが、インターネットで検索してみると判明した。同時に想像していたよりもずっと細やかな災害に関する情報が提供されていることに驚いた。ついつい、実家は?職場は?と検索を重ねてしまった。
さらに作業を続けて感じたのは、マイ・タイムラインとは、国や自治体などから実は豊富に提供されている情報を受けとり、自分のものにするためのプラットホームであること。そして国から住民一人ひとりまでを貫き、災害に対するコミュニケーションをスムーズにする共通のフォーマットでもあるということだ。
災害での被害を減らしたいという同じ思いを抱きながらも、完全には同じ方向を向いてはいなかった行政と住民。マイ・タイムラインはそれを整流する取り組みとなっていくのかもしれない。
(2019年5月20日取材)