機関誌『水の文化』74号
体に水チャージ

体に水チャージ
【汗と水温】

「汗をかく」ことで夏に強い体を取り戻す

今は運動しているときには積極的に水分を摂ることが常識となっている。しかし、かつてはそうではなかった。ある一定の年齢以上の人たちは「運動中に水は飲むな」と言われた記憶があるはずだ。それはいつから変わったのか。また、運動中に水分を補給するとしたらどれくらいの温度の水を飲めばよいのか?環境生理学(温熱環境)と運動生理学を研究し、横浜国立大学硬式野球部を16年間指導していた田中英登さんに聞いた。

田中英登さん

インタビュー
松山大学特任教授/横浜国立大学名誉教授
田中 英登(たなか ひでと)さん

1957年生まれ。医学博士(大阪大学)。体育学修士(筑波大学)。1983年筑波大学大学院修士課程健康教育学科修了。大阪大学医学部助手、横浜国立大学助教授、米国デラウェア大学客員研究員を経て、2004年より横浜国立大学教育人間科学部教授。専門は環境生理学(温熱環境)、運動生理学。16年間指揮した野球部監督を昨秋勇退。2023年4月より現職。著書に『知って防ごう熱中症』など。

日本だけじゃなかった「運動中に水は飲むな」

──かつての「運動中に水を飲むな」の由来を教えてください。

日本だけでなく、実は欧米も水分摂取を制限されていました。

まず日本の場合は、江戸時代の儒学者、貝原益軒(かいばら えきけん)が著した『養生訓(ようじょうくん)』の影響があったようです。儒教の教えには「我慢することの美しさ」があります。食べすぎや飲みすぎは体によくないですが、水も飲まないで我慢した方がいいと取り違えた先人がいたのでしょう。

しかし、それよりも重要なのは戦中の軍事的対策です。軍が遠征する際、飲み水はきわめて重要でした。戦闘相手が毒を流して退却したかもしれず現地の水は危険なので持参せざるを得ませんが、水を大量に運ぶと体に負荷がかかる。そこで「水はなるべく飲むな、我慢しろ」と命じられました。

その流れが戦後も受け継がれます。体育の授業は整列や行進を見てもわかるように軍事教育の影響が色濃く、「運動するときは水を飲んではいけない」という教えも残ってしまったのです。

私たちはこれを日本独自のものだと思いがちですが、欧米諸国でも軍隊体制下における水の価値は日本と同じで、「動くときには水を飲まない」という風習が1960年くらいまで残っていました。ところが米国でアメリカンフットボールの試合中に熱中症で選手が死亡する例が相次ぎ、あるチームと医者がスポーツドリンクを開発しました。それが1965年(昭和40)のことです。

日本では1970年ごろ、あるマラソン大会で相当数のランナーが搬送され、3名が亡くなりました。そこで調べたところアメリカの研究報告から「水は飲まないと危険」ということが初めて認知され、水分摂取の研究が始まりました。1970年代半ばのことです。

その後はあらゆる競技で同時に導入されたのではなく、いち早く取り入れた競技もあれば、1990年代後半まで取り入れなかった競技もありますが、熱中症の危険性が広く知られるようになり、今は「運動中に水を飲むのがあたりまえ」の時代になりました。

熱中症予防のための適水温は「5℃~15℃」

──熱中症予防に適した飲料の水温を研究されていますね。

アメリカスポーツ医学会のガイドラインではスポーツ活動中の水分補給の水温を「5℃から15℃」としていました。日本体育協会(現日本スポーツ協会)の「熱中症予防運動指針ガイド」にも「5℃から15℃」と記載されていた。私は「その温度にはどういう根拠があるのだろうか」と思い検討したのです。

これを言うと驚く人が多いんですが、水を飲むとき、実は水温が低い方が、体への吸収率は高いのです。熱中症予防の観点からは水が冷たい方が体を冷やす効果もあります。さらに大学生を対象に、5℃、10℃、15℃、20℃と4種類の水温を用意して、暑い環境下でどの水温が飲みやすいのか調べたところ、10℃から15℃の水がもっとも多く飲まれ、また「飲みやすい」という回答を得ました。

ただし、高齢者は年齢が上がるにしたがって冷たい水を嫌う傾向が強い。絶対に5℃から15℃でなければいけないわけではなく、暑熱障害を予防するにはとにかく水を飲むことが最優先です。20℃や25℃でも構いませんので、飲む量を確保することが大切です。

「汗」からつながる温度感覚と飲水機能

──夏を乗りきるために、特に高齢者が気をつけるべき点は?

暑さに対しては体温調節がカギになります。ベースとなるのは「汗をかく」という機能。汗が蒸発する際、皮膚の表面から熱を奪い体温を下げるからです。汗をかく機会が少なくなるとこの機能は低下します。運動する、サウナでもいいのでできるだけ汗をかくようにしてください。

さらに汗をかく機能が衰えると、体温調節にかかわる他の機能も衰えていきます。例えば「温度感覚機能」。暑いと感じるのは皮膚の温度センサーが感知しているからで「暑い、汗をかこう」となるわけですが、温度を感知する細胞自体の機能が下がると暑さ寒さの情報を脳に伝えづらくなります。

もう一つは「飲水機能」。喉が渇くと、自然に水を飲もうとしますね。ところが、飲水機能が下がると脱水に陥っているのに水が欲しいと思わなくなるのです。

汗をかく機能、温度感覚機能、飲水機能、この3つの低下が熱中症を起こすポイントです。ただし、汗をかく機会を増やすことで、高齢者でもこれらの機能は回復しますからあきらめないでください。機能が回復するまでの間は「30分に1回はコップ半分の水を飲む」など習慣化するとよいでしょう。

ちなみに運動した直後に動物性たんぱく質を摂るとより汗をかくようになるとの研究成果が発表されています。涼しい時間帯にウオーキングなどで汗をかいて牛乳をコップ1杯飲むのはお勧めです。

──室内における注意点は?

高齢者は温度差の影響をより受けやすいうえ「冷房嫌い」が多い世代でもあります。昔の冷房はオンオフの機能しかなかったので、急速に体が冷えて風邪をひくなど体調を崩す人が多かった。そのため高齢者は冷房をなるべくつけないようにします。また冷たい気流が直接体にあたると、高齢者は皮膚温が低下しやすいので、気温や湿度がわかるデジタル温度計を各部屋に置いて、「何℃になったらエアコンをつける」など決めておくといいでしょう。

──飲みものはどうでしょう?

カフェインが入っている緑茶は避けた方がいいと言われますが、高齢者はやはり緑茶が好きですから、補給水温と同じように飲めるもの、飲みたいものを摂取しましょう。ただし、ビールなどアルコール類は熱中症予防には不適です。利尿作用があるので水分を失ううえ、感覚を麻痺させるので寒暖の差がわかりづらくなるからです。

最近はリモートワークが増えて若い人たちも運動して汗をかく機会が減っています。社会全体があらゆる面で「快適さ」を求めていますが、楽な方向へ行きすぎると本来人間が備えているさまざまな素晴らしい機能が低下してしまいます。「不快」と感じるかもしれませんが汗をかく行為を見直して、老若男女問わず暑さに強い体を取り戻して夏を乗りきりたいですね。

  • 図1 熱中症による救急搬送数(6〜9月)

    ※2008年と2009年は7〜9月
    ※7歳未満=新生児+乳幼児/少年=7歳以上18歳未満/成人=18歳以上65歳未満/
    高齢者=65歳以上
    環境省「熱中症環境保健マニュアル2022」を参考に編集部作成

  • 図2 発生場所別の熱中症患者数(割合)

    出典:国立環境研究所「熱中症患者速報」平成27年度報告書

  •  

(2023年4月24日取材)

PDF版ダウンロード



この記事のキーワード

    機関誌 『水の文化』 74号,田中英登,水と生活,日常生活,水分,熱中症,汗,水分補給

関連する記事はこちら

ページトップへ