機関誌『水の文化』63号
桶・樽のモノ語り

ひとしずく
ひとしずく(巻頭エッセイ)

美しい船

うずたかく石が積まれた八丁味噌の仕込み桶。絶妙なバランスでなりたっている美しいフォルムだ 撮影:樋口直哉

うずたかく石が積まれた八丁味噌の仕込み桶。絶妙なバランスでなりたっている美しいフォルムだ 撮影:樋口直哉

ひとしずく

作家 料理家
樋口直哉(ひぐち なおや)

1981年生まれ。作家、料理家。服部栄養専門学校卒業。料理人として活動する傍ら、2005年、『さよならアメリカ』で群像新人文学賞を受賞し、小説家としてデビュー。ほかの作品に『スープの国のお姫様』(小学館)、『おいしいものには理由がある』(KADOKAWA)、『あたらしい料理の教科書』(マガジンハウス)などがある。

昨年、愛知県岡崎市で八丁味噌を製造している「カクキュー」(合資会社 八丁味噌)の蔵を訪れた。八丁味噌とは大豆100%で仕込んだ豆味噌の一つで、岡崎城から西へ八町(約800m)離れたところにあった八丁村で醸されていた味噌を指す。現在は東海道を挟んだ「カクキュー」と「まるや八丁味噌」の二軒がその味を守っている。

薄暗い蔵に足を踏み入れると、ずらりと並んだ木桶たちに圧倒された。大豆麹を空気が入らないように踏み込みながら木桶に詰め、蓋をしたところに、石を積み上げる。そして、冷暖房など入っていない蔵で二夏二冬、つまり最低2年以上寝かされることで、八丁味噌独特の風味は生まれる。

重心が中心になるように積み上げていく「石積み」は、江戸の初期に確立された技法だ。木桶の上に整然と積み上がっている石の総重量は3トンにもなるという。並んだ木桶の重量をともなった存在感と、積み上げられた石のたしかな美しさ。この景色から受ける不思議な印象は、古代の遺跡を訪れたときに抱くそれとよく似ていた。

味噌自体はステンレスタンクでもつくることができるが、八丁味噌は作れない。麹菌の他に蔵や木桶に棲み着いた菌や微生物が、各蔵元特有の香りや味を生み出すからだ。「カクキュー」とたった四m道を挟んだ向かい側にある「まるや八丁味噌」が醸している味噌は原材料も製法も近いのに、味は明確に違う。この多様性こそが、日本の食文化の豊かさの証明である。

「カクキュー」の創業は1645年。つまり、350年以上前からさして変わらない製法で、八丁味噌はつくられている。用意してもらった八丁味噌汁を味わうと、そこには昔の人たちが尊んだものと同じ温みがあった。使用されている材料も違うし、気候などの環境も変化しているから、その味は昔とは微妙に違うのかもしれない。しかし、時代は変われどもその美味しさは変わらない。

美味しさは「美しい味」と書くように、美しさとよく似ている。どちらも主観的なもので、定義づけるのは難しい。しかし、本当に美味しいものは時の経過に耐え、なお残るものだ。三島由紀夫は『金閣寺』という小説のなかで、金閣寺の屋根の頂に飾られている金銅の鳳凰をさして、こんな文章を書いている。

〈この神秘的な金いろの鳥は、時もつくらず、羽ばたきもせず、自分が鳥であることを忘れてしまっているにちがいなかった。しかしそれが飛ばないように見えるのは間違いだ。ほかの鳥が空間を飛ぶのに、この金の鳳凰はかがやく翼をあげて、永遠に、時間のなかを飛んでいるのだ。(中略)そうして考えると私には金閣そのものも、時間の海を渡ってきた美しい船のように思われた〉

三島の表現を借りれば八丁味噌は350年以上前から時を渡ってきた美しい船だ。時間は残酷ですべてのものを容赦なく、押し流していく。あるものは風化し、あるものは消え去っていく。しかし、本当に美しいものはこうして残り、僕らはそれを味わうことができる。そして、味わうことで、昔の人たちや今この味を守っている人たちの存在を、近くで感じることができる。そんな美味しさを次代へと受け伝えていきたいとつくづく思う。


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