古賀河川図書館長
水・河川・湖沼関係文献研究会
古賀 邦雄(こが くにお)
アメリカではミシシッピ川は重要な河川の一つである。『全世界の河川事典』(丸善出版・2013年)によれば、ミシシッピ川は、ミネソタ州北部のイタスカ湖に端を発し、米国をほぼ南北に縦断し、ルイジアナ州ニューオーリンズ市付近メキシコ湾に注ぐ。長さ3780km、水系全体の流域面積325万km2。上流部にあたるミズーリ川(長さ4130km)、イエローストーン川(長さ1080km)と合わせるとなっている。そして水系を構成する主な河川は、ミズーリ川のほか、ミネソタ川、ウィンスコンシン川、イリノイ川、オハイオ川、アーカンザス川などである。「源から河川にかけて左岸にウィスコンシン州、イリノイ州、ケンタッキー州、テネシー州、ミシシッピ州、右岸にミネソタ州、アイオワ州、ミズーリ州、アーカンソー州、ルイジアナ州とほぼ一貫して州境を形成しながら南下する。オハイオ州との合流地点のカイロ(ケイロ)市を境に上下流を区別する」と記している。
ニナ・モーガン著『ミシシッピ川』(偕成社・1995年)により、ミシシッピ川の上流から河口まで追ってみる。上流は渓谷になっており、ミネソタ州やアイオワ州に合流すると、水かさが増え、川幅が大きく広がる。流域面積は米国の国土の約40%を占め、米国の31州とカナダの2州が含まれる。海抜450mのイタスカ湖から北東に流れ、やがて南へ曲がり、ミネソタ州のセントポールの近くで、高さ22mもあるセントアンソニー滝を落下する。
セントポールを過ぎると次第に川幅が広くなり、石灰岩の崖の間を流れ、川のなかに500ほどの小島がある川はなだらかな丘の続く大草原と湿地帯に入る。このあたりがコーンベルト(トウモロコシ地帯)と呼ばれる穀倉地帯である。やがて、泥の川であるミズーリ川と合流する。セントルイスのあたりで川は広くゆったりと流れる。セントルイスの近くで育ったマーク・トウェイン(1835―1910)は、毎日のようにミシシッピ川の豊かな流れや蒸気船を観ながら、『トム・ソーヤの冒険』『ハックルベリー・フィンの冒険』を描き出す。
セントルイスから下ると、南部に入りケイロの町を過ぎると洪水を防ぐための堤防が高さ20mを超えるところもある。綿花の町メンフィスは、南北戦争(1861年~1865年)でイギリスからの綿花などの物資が輸入できなくなり、米国で綿花栽培が始まったところである。たくさんの奴隷によって栽培がされた。さらに曲がりくねった川を下り、アーカンソー・シティへ、そして、ビックスバーグの町では、川の水をコントロールするために、ミシシッピ川流域全体の縮尺模型があり、すべてのダム、水路、堤防が示されており、山や小川の位置や土地の高低差がわかる。これはミシシッピ川の治水計画を立てるためにつくられたものである。
河口デルタのニューオーリンズの町は、小さな通りや鉄製のバルコニーの付いた古風な家やカフェや土産物店が並ぶ。ジャズ音楽が生まれた町で、ルイ・アームストロングなどの有名な音楽家を輩出している。ニューオーリンズ港は3番目に大きな港で、ミシシッピ川なしでは町の偉大な発展はなかったと言える。同様にわかりやすいジュニア向けのスーザン・ドレルブラウン著『ミシシッピ川』(帝国書院・1987年)がある。
猿谷要著『ミシシッピ川紀行』(文藝春秋・1994年)は、ミシシッピ川の河口から州ごとに遡る旅である。その州の歴史・文化・社会事情を浮き彫りにする。
ナポレオンはルイジアナの土地に植民地帝国を創ることを試みたが、計画は成功せずにアメリカへ1500万ドルで売り渡した。1803年ルイジアナはアメリカ領になった。ニューオーリンズの誕生である。この地は、先住民、フランス人、スペイン人、アメリカ人、という具合に所有権が変わってきた。そこへアフリカやカリブ海周辺から奴隷が連れてこられた。この町は混血の文化の特色をもっているという。
さらに遡り、南北戦争の古戦場、日系人強制収容所跡、クリントン大統領の故郷、キング牧師の暗殺地メンフィス、ブルースの父ウィリアム・C・ハンディの銅像、エルヴィス・プレスリーの邸宅がメンフィスの観光地となっている。さらに、リンカーン生誕地、暴れ川テネシー川を減災する40基のダム群、トムとハックとジムの世界、イリノイの風土大草原、ミネアポリスとセントポールの双子の都市、源流の旅を続け、再度河口まで戻っている。
ジェームス・M・バーダマン著『ミシシッピ=アメリカを生んだ大河』(講談社・2005年)では、ミシシッピ川を七つの道として捉え、その意義と効用と重要性を論ずる。
七つの道について、ミシシッピ川はアメリカという林檎を貫く「芯」であることがよく理解できる。
家永泰光著『大河ミシシッピ』(論創社・2004年)によると、ミシシッピ川の流れをアメリカの水文化として位置づけて、次の内容の構成となっている。
米国河川研究会編著『洪水とアメリカ―ミシシッピ川の氾濫原管理―』(山海堂・1994年)によると、1993年6月~8月にかけてミシシッピ川の上流域を記録的な大洪水が襲った。洪水の被害は死者50名ほど、氾濫面積は4万1000km2に及びアイオワ州をはじめとする9つの州にまたがった。農業堤防の越流、破堤により浸水した農地、標準の出水防禦施設が設置されていなかった都市部を襲った。農地が砂に覆われた。資産被害は150億ドルに及んだ。この水害を契機として、ミシシッピ川上流域に体系的な河川整備がなされていなかったから、ミシシッピ川上流域に対しても下流域同様の統一的な治水対策が必要であるとの議論や、合わせて流域全体の観点から環境保全対策を推進することとなった。関東建設弘済会・土木学会編・発行『1993年米国ミシシッピ川大洪水調査報告書』(1993年)、水資源協会編・発行『講演録:米国における治水対策及び水資源開発の現状』(1997年)が刊行されている。
2005年8月末、ミシシッピ州、ルイジアナ州を襲ったハリケーン・カトリーナは大きな爪痕を残した。死者1836人、一時120万人が避難せざるを得なかった。トム・ウッテン著『災害とレジリエンスーニューオリンズの人々はハリケーン・カトリーナの衝撃をどう乗り越えたのか―』(明石書店・2014年)によると、被害者は過酷な状況のもとで決して屈せず、コミュニティの再生を図るために活動を続けた。また、国際交流基金日米センター編・発行『報告書:ハリケーン・カトリーナ災害復興協力のための日米対話プロジェクト』(2007年)、日本生態系保護協会訳・発行『21世紀に向けたアメリカの河川環境管理』(1995年)の書は、われわれに減災のための示唆を与えてくれる。
以上、ミシシッピ川の歴史、文化、経済、そして洪水について述べてきたが、ミシシッピ川はアメリカを育て、創りだした偉大な川である。その反面、水害を起こしてきた川でもある。今年(2019年)はスーパー台風がいくつも日本を襲った。気候危機の時代に入り、わが国はハリケーン・カトリーナなどの水害から多くの防災対策を学ぶことが重要である。