氷期にはヨーロッパやアメリカなどの諸都市は分厚い氷に覆われていた。意外なことに、ニューヨークのセントラルパークも氷河がつくった地形だという。人間はこうした氷河の痕跡のうえにも都市をつくり、住んでいる。氷河が削った地形と現在の都市について、地理学者の岩田修二さんに解説してもらった。
アメリカ・ニューヨークのセントラルパークでロッシュムトネに座る人々。表面には氷河が流れた痕跡「氷河擦痕」が見える
提供:岩田修二さん(1994年8月撮影)
インタビュー
地理学者
東京都立大学名誉教授
岩田修二(いわた しゅうじ)さん
1946年兵庫県生まれ。1971年明治大学文学部史学地理学科卒業。1976年東京都立大学大学院理学研究科博士課程退学。理学博士。東京都立大学理学部助手、三重大学人文学部助教授・教授、東京都立大学理学部教授、立教大学観光学部教授を経て現職。ヒマラヤ・南極などで氷河地形の観測を続けるとともに、日本アルプスなどの環境保護の研究も続ける。2012年に日本地理学会賞を受賞。主な著作に『山とつきあう』『氷河地形学』など。
ニューヨークのセントラルパークには、なめらかな岩盤が地表に露出している小高い丘があります。この上でランチを食べたり、昼寝をしたり、くつろげる場所です。2万年前のニューヨークは氷に覆われていました。ニューヨークの人たちに憩いを提供しているこの地形は、かつてここに氷河があった痕跡にほかなりません。
上流に向いたところが氷河に磨かれたなめらかな凸型の曲面になり、下流側がゴツゴツした突起になっているこうした丘状の地形は「ロッシュムトネ」と呼ばれ、氷河によって侵食された地形です。
氷河は流動します。氷河自体の重さによって底の氷が変形するのと氷底が融けるので、低い方へ向けて流れていくのです。
最終氷期の2万年前のニューヨークは、北極から続く巨大な氷床に覆われていました。ハドソン湾やラブラドル半島あたりにあった氷床の中心から数千年かけて流れてきて、ニューヨークの南の方で次第に融けていったわけです。セントラルパークのロッシュムトネでは、氷河の流動によって運ばれた巨大な「迷子石(まいごいし)」や、氷河が流れた跡の溝が岩盤に刻まれた「氷河擦痕(さっこん)」を見ることができます。
氷河による侵食と堆積の作用によってつくられた地形が氷河地形です。すなわち狭義では「現在の氷河の底にある地形」と「氷河が融解して消滅したあと大気に露出した地形」のことを氷河地形といいます。セントラルパークのロッシュムトネのような、今、私たちが見られる後者の氷河地形は、およそ11万年前から1万7000年前までの最終氷期の間に氷河がつくった地形というわけです。
最終氷期には世界の陸地面積の30%以上が氷河でした。現在、北半球高緯度と中緯度に暮らす多くの人々は、氷河が融けて消えた後の土地に住んでいます。つまり北欧と北米の大都市の大半は、氷河地形の上にあるのです。
スカンジナビア半島には巨大な大陸氷床「スカンジナビア氷床」がありました。図1はスカンジナビア氷床の縮小過程を表したものです。一番南側の線に「27Ka」とありますが、これは2万7000年前にここまで氷河があったことを示しています。現在のデンマークの東半分からドイツとポーランドの北部にかけてが、すべて氷に覆われていたのです。ヨーロッパではアルプスにも氷河があり、北と南の山麓まで続いていました。ミュンヘンのすぐ近くまで氷河に覆われていたわけです。アルプスの氷河とスカンジナビア氷床の間の土地は、約2万年前には植物の生えない荒地でした。
北欧では275mも隆起している土地があり、バルト海沿岸の丘では貝殻が多く発掘されます。氷河の重さで沈下し、氷河が溶けて消えた後に地面が隆起したのです。スウェーデンの高地海岸とフィンランドのクヴァルケン群島は、氷河に由来する土地の隆起が著しく現れている地形として、世界自然遺産に登録されました。
図2は北アメリカ大陸を覆った氷床の縮小過程です。1万9000年~1万8000年前に五大湖の南側まで達し、その後次第に縮小していきました。ハドソン湾を挟んで東西に、8000年~6000年前まで残った最後の氷河があったのです。その地点でも100m以上、土地が隆起しています。
「カール」の名で日本の登山家にもよく知られている代表的な氷河地形の1つが「圏谷(けんこく)」です。氷河によって侵食された氷河斜面のうち、とりわけ特徴的な地形といえます。お椀を半分にしたような窪んだ形をしており、谷のどん詰まりにできる氷河地形です。
アルプスやヒマラヤでは、急峻な山地の周辺部のやや低い山に圏谷が見られます。日本の飛騨山脈(北アルプス)では比較的緩やかな立山連峰などに分布しています。谷のどん詰まりの急斜面が高すぎず、谷の源頭の積雪が蓄積しやすい谷地形があると圏谷は発達しやすいのです。
登山家が「U字谷(じこく)」と呼ぶ「氷食谷(ひょうしょくこく)」も典型的な氷河地形の一つ。通常の河川の谷は、水流の侵食によって横断面がV字形の「V字谷」になりますが、氷河による侵食は氷の塊によって削られますから、底が広いU字形の横断面になるのです。氷食谷は面積としては小さいですが、氷河があったことをはっきり特徴づける地形といえます。
この氷食谷に海水が浸入した地形が「フィヨルド」(スカンジナビア語で「入り江」の意)です。ノルウェー西海岸、カナダ太平洋岸、ニュージーランド南島南西海岸、チリ南部太平洋岸がよく知られており、ノルウェーのソグネフィヨルドは220kmの長さに達します。
氷河のなかや底には、岩のかけらや泥や土砂などが含まれ、それらをずるずる引きずって流動しますから、末端で溶けたあとにはそれらが堆積し、丘状や堤防状の地形ができます。これを「モレーン」と呼びますが、よく見られる氷河地形です。
北欧や北米の大都市のように、氷河から解放された土地は居住地や交通路として利用されています。山岳部にできる氷食谷、圏谷、モレーンのゆるやかな斜面や平坦な谷底は、放牧・耕作・植林のための適地です。山岳国のスイスで農牧業が発達したのは、麦の耕作ができる広い氷食谷底や、夏の牧草地として利用できる圏谷底があったおかげといえるでしょう。
また、見晴らしのよいモレーンの丘には寺院や教会、ホテルなどが建てられました。さらにフィヨルドの水面は水上交通に利用されます。荒れた外洋へ出ずに小型船でも静かに航海できる航路を提供し、港の適地でもあるのです。
一方で氷床に覆われていた平野の大部分は、粘土分を多く含む岩屑(がんせつ)や砂礫(されき)に覆われており、乾燥すると粘土分が固結する使いにくい土地です。居住地や交通路としては十分利用できるものの、農耕や牧畜にはあまり向いていません。
山岳地にある氷河地形は、ノルウェーやスイスでは水力発電の適地としてよく利用されています。氷食谷やフィヨルドの地形が水力発電に向いているからです。
そして、氷河ないし氷河地形によるもっともわかりやすい恩恵は、その美しさや壮大さで多くの人々を魅了する観光資源としての側面ではないでしょうか。アルプス山脈をはじめ、世界の山岳観光地の最大の売りものの一つは氷河です。スイスのアレッチ氷河、アラスカのグレイシャーベイの氷河、パタゴニアのペリトモレノ氷河などは世界自然遺産に登録され、多くの観光客を集めています。
氷河地形もまた人気の観光地です。米ヨセミテ国立公園の氷食谷ヨセミテ渓谷を望めるグレイシャーポイントは、その代表的なもの。深いU字谷と周囲の氷食斜面の眺望は、まさに絶景です。ノルウェーやニュージーランド南島のフィヨルドクルーズでは、急峻なフィヨルド側壁とそこに落ちる荘厳な滝に魅せられるでしょう。
シアトル、シカゴ、グラスゴー、ストックホルム、ベルリンなど氷河に覆われていた場所にできた大都市は多数あります。ニューヨークが大都市になった理由は多岐にわたりますが、氷河との関係だけでいえば、氷床が削った岩盤が露出していたこと、その岩盤を平坦にするためダイナマイトを用いた大工事が必要だったものの、岩盤が強固なので超高層ビルが建てやすかったことが挙げられます。
氷河がつくった痕跡も含めた大地の上で私たちは生きているといえるかもしれません。
(2019年11月28日取材)