機関誌『水の文化』65号
船乗りたちの水意識

船乗りたちの水意識
秩序

船を動かす「集団の力」
──船員の命を守る船長の条件

航行に際して乗組員をまとめ、指揮する船長は、洋上におけるすべての事柄に責任を負うきわめて重要な存在だ。だからこそ周囲は尊敬の念を込めて船長を「キャプテン」と呼ぶ。船長経験者で、今は東京湾の水先人として活動する久葉誠司さんに、水への意識やチームワークの大切さ、有事の際の判断などについてお聞きした。

かつて船長を務めていた久葉誠司さん。水先人として乗り込むコンテナ船の様子を窺う

かつて船長を務めていた久葉誠司さん。水先人として乗り込むコンテナ船の様子を窺う

「海ありき」の世界で生きる

「船乗りとしては、水というと水が塊となってドーンとぶつかってくる青波(ブルー・ウォーター)をイメージします。かつて、冬の北太平洋を長さ200m程度のコンテナ船で航海をしているときに大時化(しけ)に遭い、青波のなかを潜っていくように進んだことがありました。翌朝、船の前方の錨(いかり)がぶら下がっている部分がぐにゃりと曲がり、いくつかのコンテナは変形していた。あの水の力への驚きは忘れられません。一方で、同じ海の水が凪いで鏡のようになり、私たちを癒してくれることもある。不思議なものです」

久葉(くば)誠司さんは、神戸商船大学(現・神戸大学 海事科学部)を卒業後、大手海運会社に34年にわたり勤務し、貨物船、コンテナ船、原油タンカー、客船などに船員や船長として乗船した経歴をもつ。現在は東京湾水先区水先人会に所属し、「水先人(みずさきにん)」を務めている。

水先人とは、その国の港に不慣れな外国船の船長などを補佐する案内役だ。水先人を英語で「パイロット」と呼ぶ。空ではなく歴史的には海で生まれた言葉なのだ。

日本の主要港は世界に類を見ないほど船舶交通が混雑しており、各港にはそれぞれ独特な地形や潮の流れがある。そのため、一定の大きさを超える船は、船長経験をもつなど水域に精通した水先人が船に乗り、湾内航行や着岸などをサポートすることがルールとなっている。久葉さんたち水先人は、水先艇と呼ばれるボートで船に移乗し、湾内航行作業や港内の着離岸作業をしている。

「私たちは船の入港に合わせて行動します。天候の影響などで船の入港時刻や入港先が変われば、それに合わせて私たちも移動します。数時間前まで現場がわからないことや、当初は千葉の港だった予定が横須賀の港に変わることもあります」

陸で仕事をしている人間からしてみれば、予定が立たないハードな仕事に映る。だが、話す久葉さんからはそのような感じは一切受けない。海で長年生きてきた人の余裕だろうか。

  • 水先人を船まで届ける水先艇。撮影日は久里浜港から出発

    水先人を船まで届ける水先艇。撮影日は久里浜港から出発

  • 水先艇のなかで港内の混み具合や風や雨などの気象状況を最終チェックする久葉さん

    水先艇のなかで港内の混み具合や風や雨などの気象状況を最終チェックする久葉さん

  • 今はスマートフォンやタブレットを使ってさまざまな最新情報を確認できる

    今はスマートフォンやタブレットを使ってさまざまな最新情報を確認できる

  • 水先を要請された外国のコンテナ船にパイロットラダーを使って乗船する久葉さん

    水先を要請された外国のコンテナ船にパイロットラダーを使って乗船する久葉さん

  • 船員として世界中を船で巡った久葉さん。今は水先人として大型船の着岸などをサポートする

    船員として世界中を船で巡った久葉さん。今は水先人として大型船の着岸などをサポートする

能力の限界を知りそれを超えないこと

久葉さんに、船長という仕事について聞いた。

「簡潔に言えば船体、船員、貨物の安全を守ることが船長の仕事です。まずは操船ですね。船は海の上に浮き、プロペラの推力で海上を移動するものなので、潮の流れや風の影響を大きく受けます。潮と風の影響で船体がどう流されるかを予測しながら針路・速力を調整する技術が常に必要です」

特に風が強いとき、前線の通過などで風向きが大きく変わるとき、潮流が強いときは注意を要する。

「そういうときの入港や着岸は、『もう勘弁してくれ!』と思うくらい難しい。ましてや初めて入港する見知らぬ港だったら……。大事なのは『ポイント・オブ・ノーリターン』を知ること。自分の限界を超える技量を求められる状況に突っ込んでしまう前に引き返すことです」

安全というと、操船や船上での作業に対する配慮を想像しがちだが、それだけではない。安全管理を目的に生まれた国際基準「国際安全管理コード(ISMコード)」に沿った船舶管理の徹底などのために、船長たちはさまざまな手順の確認や記録の作成を求められており、いつも膨大な事務作業に追われている。

「船長室はいつも書類の山です。ヒューマンエラーを減らすための安全管理の厳格化はこの20年ほどで一気に進みましたが、同時に船長たちのドキュメンテーション(注)への対応が求められるようになりました。それをうまく回せるかも船長の技量。『陸』からは指示が書かれたさまざまな書類が届くのですが、どういう考えに基づく指示なのかを熟慮し、求めを実現させながら、こちらの実情に合致した提案を返すことも大事であると思います」

(注)ドキュメンテーション
ある事柄に関するデータや情報、記録などを、他の人が理解しやすい形式の文書として体系立ててまとめること。

「良好な意思疎通は良好な協力なり」

船員の人事・労務管理や船内の規律づくりなども船長の仕事だ。

「新米の三等航海士のころ、当時の船長に『船は鉄の塊ではなく、人の集まりだからな』と言われたことを今でもよく覚えています」

半年以上の長い期間、狭い空間で生活をともにするだけに、いかに風通しのよい船内をつくるかは重要だ。久葉さんは「船内各部(甲板部・機関部・事務部)」の関係、「幹部職員(船長・機関長・一等航海士・一等機関士)」の関係を良好に保ち、円滑な意思疎通ができるようにすることを気にしていたという。

また、船員たちの規律の状況は、まず整理整頓に表れる。船内が汚れていたり、散らかっていれば規律が緩んでいると見る。だから初めての船に乗ることになったときには、その状況を見て回る。また、規律の良し悪しにもつながってくる船内のチームワーク醸成には、フィリピン出身の船員たちによく助けられたという。

「彼らはトラブルが起きたときも『悪いのは○○だ』と、誰かに責任を押しつけたりしません。集団生活を気持ちよく送るための立ち振る舞いを理解している船員が多く、陰口が聞こえてくることも少なかったです。日本ではやや敬遠されるようになった体育会系に近い関係性を、無理なくやっている。フィリピン出身の船員たちが世界中の船主からの評価を保っているのは、そのあたりに理由があるように思います」

異文化に対する理解も重要だ。イスラム教徒が多いインドネシア出身の船員が乗る船では、ラマダン(断食月)には彼らの作業負荷を下げるなどの配慮をした。船員からの申し出を待つのではなく、自ら「お祈りは大丈夫か?」と気遣った。

船内では「Good communication, Good cooperation(良好な意思疎通は良好な協力なり)」という言葉を掲げ、ミーティングをこまめに行なった。夕食前には昭和の時代から続く日本流の儀式として一献(いっこん)傾けることもあったという。

「船員を注意しなければいけない場面があっても、大勢の前ではなく一対一で注意するようにしていました。普通の会社なら、多少ぶつかりあっても一度家に帰って切り替えることができます。でも船にはそういう時間も場所もありません。だから、後を引かないように配慮していましたね」

  • 久葉さんが船長を務めていたときの集合写真。久葉さんは最前列の左から6人目(提供:久葉誠司さん)

    久葉さんが船長を務めていたときの集合写真。久葉さんは最前列の左から6人目(提供:久葉誠司さん)

  • 出航を待つ船長時代の久葉さん(提供:久葉誠司さん)

    出航を待つ船長時代の久葉さん(提供:久葉誠司さん)

被災地支援のための東北への航海

久葉さんが記憶に残る航海として挙げるのが、2011年(平成23)3月に発生した東日本大震災の被災地にクルーズ船「ふじ丸」で赴いて行なった支援だ。岩手県の大船渡港、釜石港、宮古港を巡り、避難所生活を強いられる被災者たちに、食事や入浴、映画上映などクルーズ船の設備を使った寛ぎを提供した。

「港内の防波堤などの設備が津波で破壊され、多数の漂流物が浮かぶ港への入出港は注意を要しました。また、まだ震災から1カ月後という時期だったため、余震が多く発生しており、再び大きな津波が発生したときの対応には神経を尖らせました」

津波警報、もしくは注意報が発令されたときには、陸側からの支援が難しいため船を係留するロープを船側から切り離す異例の形で緊急離岸を行なうことを決め、繰り返しシミュレーションしていたが、幸いにも活動中に発令はなかった。

「最後の寄港地となった宮古港を離れ東京に戻る旅路では、日本人40人、フィリピン人100人の船員とボランティアとして乗船されていた方々に感謝を伝える会を開きました。赴く前は少し不安を感じていた船員もいましたが、被災された方々の笑顔を目にして、達成感を感じてくれたように見えましたね」

これまでの船長としての経験、そして船員たちとの関係づくりで成し遂げたミッションだった。

18歳で大学の門を叩いてから水先人として活躍する今日まで、海は常に身近な存在だったという久葉さんだが、「海は好きとか嫌いとか、そういう対象ではないように感じる」と話す。

「でも言ってしまうと、静かな穏やかな海は好きですし、荒れた海は嫌いです」

水の怖さを、海の怖さを、強風下の操船の難しさを、久葉さんはまっすぐに語った。怖れるべきものをしっかりと怖れることができるか――。それこそが船と船員の命を守りきれる船長の条件なのかもしれない。

水先人の久葉さんが乗り込んだコンテナ船。東京港へ向かった

水先人の久葉さんが乗り込んだコンテナ船。東京港へ向かった

(2020年5月1日/リモートインタビュー 6月18日撮影)

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    機関誌 『水の文化』 65号,久葉 誠司,水と社会,交通,船,コミュニケーション,海運,東日本大震災

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