編集部
四方を海に囲まれた船上で暮らす船乗りたち。陸で日常生活を送る私たちとは水に対する意識がきっと違うはずだ。水への緊張感が、船乗りならではの工夫や知恵につながっているのでは……。そう考えて今回の特集は出発したが、想定していた以上に大事なことを教えてもらった。
それは追い追い述べるとして、まずは船乗りたちの節水意識から。「船には限られた量の真水しか積めないので、節水意識は高いはず」という予想は当たっていた。
私たちは日々の生活で一人当たり1日およそ219Lの水を使っている(東京都水道局調べ。2015年)が、船上でそんな量は使えない。かつてどのくらいの量の水が船で割り当てられていたかは、山田廸生著『船にみる日本人移民史』(中央公論社 1998)で知ることができる。
戦前に南米まで移民を輸送した船では、「熱帯海域を航行するときは一人当たり1日最低27Lの生活清水が必要」。また、別の船会社は「一人当たり1日36Lを消費する」と報告している。また、南米移民船の船内を描いた石川達三の小説『蒼氓(そうぼう)』には、清水の節約を呼びかけるため移民船内で標語を募り、「船に井戸なし泉なし」と「銭出す思いで水を出せ」が入選したというシーンがある。
実際に、ほんの少し前まで調査船では海水を湯船に溜める「海水風呂」が当たり前だった。海技教育機構の外谷進さんが話すように、1日に一人洗面器2杯の水で生活していた時期もある。しかし、今の陸上生活は、例えば家庭でシャワーを流しっぱなしにすると3分間で約36L(表1)もの水を消費する。節水についつい無頓着になりがちだ。
海技教育機構の航海実習では、学生たちに水の使い方を教え、棒グラフなども用いて節水意識を高める工夫を今も行なっている。
船乗りと聞いて何を思い浮かべるだろうか。逸見真さんは知人に「自分の子どもは船乗りにさせたくない」と言われたことがあるそうだ。荒くれもの、大酒飲みといったイメージを抱く人がいるかもしれないが、今は勤務前のアルコール検査も欠かさず行なっている。
ただし、「板子(いたご)一枚下は地獄」といわれるように、船乗りの仕事は危険かもしれない。海難事故はかつてと比べ物にならないほど減ったが、今でも稀に起こる。国土交通省「数字で見る海事2020」の「死傷災害発生率」(表2)を見ると、林業ほどではないにせよ危険性は高い。同じく「給与比較」(図1)によると、給与水準が高めなのは、危険で過酷な労働の対価だろう。船乗りは、中学校を卒業して、すぐにお金を稼げる道の一つでもある。
国土交通省によると2017年時点で船乗りは約6万4000人(漁業船員と乗船待機中の予備船員を含む。外国人は除く)。ピーク時(1974年)の約27万8000人に比べると四分の一以下。外航船の船員数も激減している(図2)。プラザ合意後の急速な円高で日本人船員のコストが上がったことが主因だ。
外航船で日本人船員の穴を埋めているのは外国人船員だ。日本の外航海運企業の船舶「日本商船隊」(約2400隻)に乗り込む船員5万5408人のうち、もっとも多いのはフィリピン人で70%を超えている。次がインド人で7%となっている(図3)。
だから逸見真さんも久葉誠司さんも安藤樹さんも、船内コミュニケーションの大切さを語ったのだ。
数カ月、ときには1年近く同じメンバーで過ごす外航船では、皆ができるだけ心地よく働ける関係が望ましい。外航船は20数名という必要最低限の人数であり、また少数の日本人とその他の外国人という混乗船が多い。文化も風習も宗教も異なる多国籍の集団をどうまとめていくか。病気やケガ、孤独感などから一人でも欠けたら運航業務に支障が出る。マネジメントする側にはシビアな状況だ。
ところが、海外の船乗りの間で日本人船員は評判がいいという。何かを教えるときには手取り足取りきちんと伝えるうえ、相手の立場をおもんぱかって他者の面前では叱責しない気遣いなどがあるからだ。
日本人にとってはごく当たり前のように感じるが、多くの外国人船員は、自分の仕事はしっかりやるけれど積極的に他者に教えることは少ないらしい。日本人船員の、航海に関する情報も含めてすべて共有しようとする姿勢を、IMO(国際海事機関)も評価している。
国民性としては、どちらかというと弱点に挙げられることもある日本ならではの「融和」の精神が、思わぬところで認められていた。
外国人船員の力を借りて、私たち日本人の生活や産業が保たれていることは忘れてはならない。しかし、頼りきりでもいけない。そこで「自前」の船乗りを海上で育てているのが海技教育機構だ。
海技教育機構の練習船5隻のうち、2隻は帆船だ。万が一、動力を失なうアクシデントがあっても、帆があれば海上を走れる。帆を上げたり下ろしたりする作業もあるため、一人でもサボったら船は走らないことも実感できる。時化(しけ)のなか、厳しい作業を本気の大人たちと行なうことで、学生たちは見違えるように成長するという。
しかし、「私たちが鍛えるというよりも、自然や仲間にもまれるなかで若い子たちは育っていくのでしょう」と外谷さんは語る。
自然と仲間。この二つのキーワードは、ホクレアクルーの内野加奈子さんの話とも通じる。月や星、波のうねりを頼りに、ときには海に包み込まれるように、ときには翻弄されながら、仲間を信じて力を合わせて航海する。海という壮大な自然と向き合うからこそ、人間の力が及ぶところ、及ばないところが明確になっていく。
ところが、この感覚は陸の上、特に都市部で暮らしていると得がたい。レバー一つ動かせば安全な水が無尽蔵に湧いてくると思ってしまうように、都市部ではあらゆるものが人間のコントロール下にある気がするからだ。
実際には、毎年水害で尊い命が多数失われているし、巨大地震はいつ起きるかわからない。火山の噴火も今は観測することしかできない。でも私たちは気づきはじめている。川は大雨のたびに流れを自由に変えるが肥えた土を運んできたし、地滑りが止まってできた平らな土地に田畑を拓いて食料を得てきた。自然は恵みも災いももたらす、抗いがたいものなのだと。
今回お話を聞いた皆さんからは、海という思うようにならない存在を相手にしているがゆえの強さやしなやかさを学んだ。自然が人間に何をもたらしているのかを考えるためのヒントや、仲間として他者と関係を築くために必要なことが、船乗りたちの世界に多く秘められていると気づく。
こう書くと当たり前だと笑う人がいるかもしれないが、今までの当たり前があっさり覆されていく局面を私たちは目の当たりにしている。内野さんが言うように、地球を「限られた水と食料と資源を分け合う一つの島」と捉えれば、次世代に引き継ぐために今すべきことはきっとシンプルになっていく。
私たちの世代だけでは大したことはできないかもしれない。しかし、かつて船を繰って大陸から島へと渡った先祖たちも一足飛びに成功したわけではない。それこそ何世代もかけて、一つひとつ島を渡ってきたのだから。