岩手県を中心とする北東北に、現代のナシとはかなり異なる様相の小さなナシが残っている。宮沢賢治の童話「やまなし」で描かれているように薫り高い在来種だ。古くからこの地で食されていた「イワテヤマナシ」について、20年以上研究している神戸大学の片山寛則さんにお聞きした。
日本で古くから利用されてきた「イワテヤマナシ」 提供:片山寛則さん
インタビュー
神戸大学大学院農学研究科附属食資源教育研究センター 准教授
片山寛則(かたやま ひろのり)さん
横浜市立大学総合理学研究科修士、博士課程修了。博士(理学)。特別研究員などを経て1998年神戸大学農学部附属農場助手。2013年より現職。
今、日本で食されている果実は明治時代以降に海外から導入されて磨き上げられたものがほとんどで、日本で古くから利用されてきた果物の系譜は途切れています。
例外はクリ、カキ、ナシですが、クリは少し肥大化したくらいでそれほど栽培化されていません。カキは奈良時代にあった御所柿(ごしょがき)が甘柿の端緒とされています。御所柿はかなり完成されたカキで、今も栽培されています。ここから派生したのが富有柿(ふゆうがき)や次郎柿(じろうがき)ですが、大きくは変わっていないと言ってよいでしょう。
その点、ナシは昔から日本にありました。今は大きくて、種類も豊富ですが、もともとはとても小さな果実でした。これは品種改良が進んだ結果です。日本にもともとあったナシが今も利用されていて、系統が分断されていません。
ナシの発生については、二つの説があります。一つは、縄文時代に中国から稲とともに伝わったのではないかという説。もう一つは、日本列島にもともとあった野生のナシが長い時間をかけて選抜されて大型化し、甘くなったという説です。どちらが正しいのかは、いまだに決着がついていません。
私はもともとDNAを用いた小麦の基礎研究に取り組んでいましたが、応用研究にも興味があり、神戸大学の果樹農場で教員として採用されたのを機に、ナシの進化過程を追うことにしました。
もしもほかの果実で野生種を入手しようとするとコーカサス地方など起源地に行かないといけませんし、今は国外で遺伝資源を入手して国内に持ち帰るのは難しいですが、日本にはナシの野生種が残っています。縄文時代以降改良され残ってきたナシを研究すれば、果樹・果実の可能性がさらに広がると思ったのです。
1998年(平成10)から共同研究者とイワテヤマナシ(ミチノクナシ)やニホンアオナシなどナシの野生種がどこにどれほど残っているかを調べはじめました。ニホンアオナシの野生種は、実際には20本ほどしか残っていないことはわかっていましたが、イワテヤマナシに関しては本気で研究した人がいなかったため、ベールに包まれていました。
まず岩手県に行きましたが、誰に聞いてもイワテヤマナシを知らないんです。図書館で調べると、岩手の在野の研究者たちがまとめた本に、ある山の名前が記されていたので、その山に入って調査しました。
すると、想像していた以上にイワテヤマナシが残っていました。しかも分布にかなりのムラがある。北上山系(北上山地)を調べ、その次に秋田県、青森県と調査地域を広げていきました。平野部の民家周辺に植わっていたものも調べて、2000本以上もの「ナシマップ」ができました。
DNA分析で確認したところ、イワテヤマナシの起源地は北上山系。ここには自生地があります。自ら種をつくり、実を落とし、それが発芽して次の世代をつくっています。自然のままに存在する野生種は200本ほどで、近い将来の絶滅の危険性が高い「絶滅危惧種IB類」に指定されています。
イワテヤマナシにあって、今のナシにないもの。それは「香り」です。宮沢賢治が「やまなし」で書き残しているように、とても香りがいいんです。そして、味が酸っぱいので調べてみるとクエン酸が相当多いことがわかりました。また、抗酸化物質として有名なクロロゲン酸もかなり含んでいます。
実は、イワテヤマナシは食べてもあまりおいしいものではありません。イワテヤマナシを知る年配者が「あの硬くて渋い、まずいナシね」と言うほどです。ただしこれは一理あって、自然界や民家の庭に植えても生き残るような強いナシですから、毛虫を寄せつけないとか病気にかかりにくい成分を含んでいる。だからヒトにとっておいしくないのは当然なんです。
イワテヤマナシの香りを、現代の美味なナシにプラスできれば、より優れたナシを新たに生み出すことができるはず。そう考えてイワテヤマナシを育種の母本(ぼほん)(親)とする品種改良を行なっています。
ところが思い通りにはいかないもので、イワテヤマナシと現代のナシをかけ合わせてできた木の実は、香りはあるけれどおいしくない。そこで、その子どもにまた別のおいしいナシの木と交配させましたが、まだ不十分なので3回目の交配を進めているところです。
一年一作の米と違って、果樹の品種改良は時間がかかります。8年から10年で1サイクル。今ようやく3回目です。その実がなったら私が生きている間にできることは終わりです。親となる木を残しておけば、のちに使う人が出てくるはずと期待しています。
品種改良の「利用」のほか、私は「保全」にも力を注いでいます。
現在、ナシを栽培している農家の多くは「乾燥した場所のほうがナシはおいしくできる」と言いますが、イワテヤマナシの自生地は湿地帯です。自生地は6月になってようやく奥の方に入れるほど雪深い。雪解け水があってじめじめしている水浸しの土地なんですが、そこに去年落ちた実が発芽して生長していく。水がなければ、イワテヤマナシは育たないのです。
さらに今は自生のしくみを生態学的に明らかにしようと、種子繁殖を専門とする研究者と一緒に取り組んでいます。イワテヤマナシの木のそばに定点観測のためのカメラを設置し、どんな動物が実を食べに来るのか、その動物の排せつや移動によってどのように種子が拡散し、自生地が広がっていくのかを調べています。イワテヤマナシのそばに生えていることが多いエゾノコリンゴやイタヤカエデについても分類学者と共同研究を始めました。イタヤカエデは川が氾濫(はんらん)する際の水流で種子を拡散することがわかっています。
こうした調査・研究によって、イワテヤマナシの野生種の姿を明らかにしたいと思います。
北東北には野生のイワテヤマナシのほかにも「サネナシ」や「ハンベイナシ」などイワテヤマナシ由来の在来種があり、民家の庭や畑のへりに植えられていました。今、それらがどんどん切られているので、在来種を絶やさないようにすることが目下の課題です。
岩手や青森の豪雪地帯において、ナシは「ケカズナシ」と呼ばれていました。ケカズとは「飢饉」を指すこの地方の言葉です。江戸時代、東北で飢饉が頻発していたことは知られていますが、食べるものがない年にはナシを貯蔵しておき、冬に食べては飢えをしのいでいたそうです。庭や畑など身近な場所にあったのは、ナシが大事な食糧だったからなのです。
昭和時代初期まで、特に北東北の人々は家の周りに何十本もナシの木を植えて、ほんとうに大事にしていました。しかし、今は住む人が絶え空き家となり、周りにひっそり残っているだけです。
東北のナシは地域の遺伝資源ですので、地元の人たちが利用することが望ましいと思い、各方面に働きかけています。その一つが特産品づくり。岩手の九戸(くのへ)村ではサネナシをシャーベットにして道の駅で販売し、沢内村ではハンベイナシを10本単位で植えていただき、奥州市(旧・水沢市)からも「イワテヤマナシを植えたい」とお話をいただいたところです。
遺伝的多様性の面からもナシの在来種を多く残したいのですが、国内のジーンバンク(注)はいっぱいいっぱいの状態。神戸大学で500本ほど確保していますが、できればその地域の人たちの手で育て、受け継いでいただきたい。農園経営者ならば技術もあるので預けやすいです。まずはイワテヤマナシを知ってもらうために、現地に足を運んで呼びかけていきます。
(注)ジーンバンク
近代品種の普及や自然破壊などの影響で失われていく種子などの遺伝資源を長期保存するしくみ。遺伝子銀行とも呼ぶ。
(2021年4月1日取材)