冬にこたつで食べるミカンほどおいしいものはない。そう思っていたが、和室が減り、こたつを使わなくなり、ミカンも存在感を失っている。ところが、そんな潮流に逆行するように、ミカンの消費量を増やそうと知恵を絞る学生たちがいる。「東大みかん愛好会」を設立した清原優太さん、現代表を務める福田夢月さんにお会いした。
ミカンが好きで好きでたまらない学生が2014年(平成26)にサークルを立ち上げた。その名も「東大みかん愛好会」。当時、東京大学経済学部3年生だった清原優太さんは振り返る。
「襖の張り替え活動を60年間続けている『東大襖クラブ』とか、東大には意外とおもしろいサークルが多いんです。自分でも変わったサークルをつくりたいと思い、それなら子どものころから好きなミカンだな、と。でも、ちゃんとした理念がないと誰も入部してくれないのであらためて調べてみると、日本のミカンの消費量が全盛期の3割以下に減っていると知って衝撃を受けました。それで『ミカンを盛り上げて消費量を増やそう』と訴えかけたんです」
なぜ清原さんがミカン好きになったのかは定かでない。父親の仕事の関係で0歳からインドネシアに住み、生まれて初めてしゃべったインドネシア語が「オレンジジュースちょうだい」だったという。
「少なくとも柑橘類が生まれつき好きだったんでしょうね」
祖母の実家が小田原市、父親が大阪府出身──東京に居を構えるが元をたどればいずれもミカン産地の一家ゆえなのか、時季になると箱買いのミカンがあった。清原さんは「両親の分まで食べるので隠される。でも見つけてまた食べる」というほどミカンに目がない少年時代を過ごした。
そんな「ミカン熱」と課題設定が功を奏し、東大みかん愛好会の発足メンバーをSNSで募ると19人が集まり、新入生勧誘では100人が話を聞きに来た。5月の学園祭では新勧活動の一環として愛媛県松山市と連携し「蛇口からみかんジュース」を開催。これは「蛇口をひねるとみかんジュースが出る」という都市伝説を再現するイベントで、マスコミ取材も入り2000人ほどが詰めかけた。
東大みかん愛好会は他大学の学生も含め約50名の会員でスタートを切った。清原さんはミカンの魅力をこう語る。
「日本のミカンは200種類ほどあります。例えばデコポン(不知火)という品種の親はポンカンと清見(きよみ)。清見は温州ミカンとオレンジの掛け合わせですから、デコポンはミカンとオレンジ両方の血を引いています。そんな家系図もおもしろいし、神奈川から沖縄まで、特に西日本に広く産するので各地の風土や文化に紐づいている。その深掘りにも興味は尽きません」
東大みかん愛好会は、NPO法人や旅行会社と連携しミカンの食べ比べやミカンジュースの飲み比べのできるお座敷列車でミカン狩りを楽しむツアーのプログラムに協力したり、農家に合宿し収穫や選果を手伝いながらミカンを学ぶ活動などを展開してきた。
現在は農学部3年の福田夢月さんが6期代表を務める。会員は160名を超えた。産地での農作業体験や交流、学園祭での「蛇口からみかんジュース」などは続いている。大きなイベントは日本園芸農業協同組合連合会(略称 日園連)と提携した「みかん大配布」。
「東京の7校の大学でミカンを無料で配ります。これまで約5000個を配布しました。そこでアンケートをとると、今の若者はあまりミカンを食べません。箱買いする家も減っています。値段が高いからですね」と福田さん。
コロナ禍で小学校への出前授業などは中断しているが、2020年(令和2)秋にはゲームマーケットに参加し「第一回みかんドラフト会議」「みかんウォーズ」を販売した。前者は30種類のミカンを取り合いながら味や酸味、産地などの特徴を学べるゲームで、後者はミカン農地をめぐって領土の獲得を競うゲーム。
「自宅の庭で育種している会員がいます。交配、接ぎ木をして新品種をつくっている。高校を卒業してイタリアにブラッドオレンジを見学したくて、1年間留学していたらしいです」という後輩の福田さんの言葉を聞くやいなや、OBの清原さんは「その人めちゃめちゃおもしろい!ぜひ話を聞きたい!」と身を乗り出した。
清原さん自身は2016年(平成28)に東大みかん愛好会から退き、ミカンを極める母体として「株式会社みかん」を設立した。「柑橘類専業の会社は少ないです。市場規模は日本酒を超える5000億円くらいと決して小さくない。海外に目を向けてもおもしろいポジションがとれるはず」と先読みした清原さんの起業は必然だった。
手始めにクラウドファンディングで資金調達し、産地連携の場づくり「日本みかんサミット」を開催した。東大みかん愛好会の活動を通じて気づいたのは、産地間の連携が希薄なこと。多くの産地を訪れていたので、各地で知った品種や選果場などミカンづくりに関する最新情報を農家に伝えると──。
「ひよっこの僕の話にベテラン農家さんが熱心に耳を傾けてくれるんです。農家さんは忙しいし、ライバル意識もあります。でも各産地でおもしろい取り組みがあるのに広がらないのはもったいない」と清原さんは言う。
かつて生産量360万トンに及んだ最盛期には健全な産地間競争が品質向上につながった。各県が品種を囲い込み、特定産地の限定栽培が増えたが約75万トンまで落ち込んだ今、柑橘類の需給の底上げには、全国の産地が一丸となった取り組みが欠かせない。栽培適地が広がれば生産量も知名度も上がる。産地が個別に動いているとノウハウがたまらないうえ、日本の統一ブランドもない。仮に「○○県産○○」として輸出しても、そもそも海外に県名が知られていないのでブランドにならないのだ。
「カボスとスダチの違いをご存じですか?カボスは大分の特産品、スダチは徳島の特産品ですが、店頭で横に並ばないので差異も明確にならない。カボス汁とスダチ汁は飲むとまったく異なります」
東京生まれ東京育ちで、どの産地にも肩入れしていない清原さんがフラットな連携の場を提供し、柑橘類農家同士の情報共有を促すのが日本みかんサミットだ。例えば一輪車に10万円程度のアタッチメントをつけるだけの「電動運搬車」は収穫時の重労働を軽減するが、それを日本みかんサミットで初めて知った農家も多いという。
清原さんは2018年(平成30)に大学を中退し、会社経営を学ぶため、2020年(令和2)3月まで一般社団法人RCFに「社会事業コーディネイター」として勤務。2018年7月の西日本豪雨で被災した愛媛県宇和島市のミカン農業の復興支援の業務に携わった。
したがって株式会社みかんが本格稼働したのは2020年4月以降。今のところ、毎月4種類以上、年間20種類以上の柑橘類が届く定期便「柑味(KAN-MI)」を目玉商品にしている。SNSで告知すると、さまざまな産地の柑橘類の食べ比べを家庭で楽しめる点が好評だった。清原さんは「デジタルマーケティングを充実させて、2年後に1万人の会員が目標」と意気込む。
国産柑橘類の収穫期は1月から5月まで。仮に残りの時季を南半球から取り寄せれば、世界中の柑橘類の詰め合わせを通年で提供するビジネスモデルが国内市場でも成立する。
一方、海外向けには、日本の柑橘類の強みを最大限に活かそうと考えている。例えば、酸味が強く生食ではなく搾って使う「香酸柑橘(こうさんかんきつ)類」。日本にはユズ、スダチ、カボス、シークワーサーなど香酸柑橘類が30種類ほどあるが、それほど多くの種類が一つの国で揃うのは世界でも珍しい。
「香酸柑橘類は料理と結びついているので付加価値は無限大です。最近はユズがフランスで人気のようですが、海外では知られざる分野なので世界で勝負できると思います」と清原さんは話す。意外なのはデコポン。姿かたちが力士に似ていることから海外のウェブサイトなどで「Sumo Citrus」と紹介され広まっているという。
となると、おいしさを認知してもらうためのマーケティングやプロモーションも重要だ。
「日本のミカンの品質は15年前に比べて格段に上がっています。おいしいのは間違いないので、知って食べてもらえれば伸びしろは大きい」と清原さんは明言する。目指すのは、キウイフルーツのブランドを日本でも定着させたニュージーランド企業のような存在だ。
「日本のミカンは皮を手でむけて、房に分けられるので、みんなで一緒に食べた共通体験が誰にでもある。コミュニケーションツールにもなるのです。誰でも食べられて、嫌いな人がほとんどいないミカンをはじめとする日本の柑橘類を世界に送り出したい」と語る清原さん。その夢もまた大きく膨らむ。
(2021年4月14日取材)