機関誌『水の文化』70号
みんなでつなぐ水 火の国 水の国 熊本

ひとしずく
ひとしずく(巻頭エッセイ)

水の妖精たち

球磨川(くまがわ)河口の干潟で動画撮影に取り組む熊本県八代市(やつしろし)の高校生たち。市民団体「次世代のためにがんばろ会」のサポートで動画を制作し、水にまつわる熊本の魅力を世界へ発信する

球磨川(くまがわ)河口の干潟で動画撮影に取り組む熊本県八代市(やつしろし)の高校生たち。
市民団体「次世代のためにがんばろ会」のサポートで動画を制作し、水にまつわる熊本の魅力を世界へ発信する

ひとしずく

熊本県立劇場館長
姜尚中(かんさんじゅん)

1950年熊本県熊本市生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科博士課程修了。専攻は政治学、政治思想史。国際基督教大学准教授、東京大学大学院教授、聖学院大学学長などを経て東京大学名誉教授、東京理科大学特命教授。現在は熊本県立劇場館長兼理事長、鎮西学院学院長、鎮西学院大学学長を務める。『悩む力』『母―オモニ―』『見抜く力』『生きるコツ』など著書多数。

 

熊本と言えば、「火の国」が思い浮かぶが、実際には「水の国」と言ったほうがいいほど地下水に恵まれている。面白いのは、熊本では「火」と「水」がまるで陰陽のように対をなしていることだ。「火の国」の象徴である阿蘇火山の火砕流が厚く堆積して熊本の大地が出来上がり、その地層はすき間に富んでいて、水が浸透しやすく、それが地下に豊富な水を蓄えられることを可能にしたからだ。

その阿蘇を中心とする気宇壮大な自然のシステムの道理(ことわり)などどこ吹く風、ガキ大将の頃の私には、自然の恵みが有限であるなどとは思いもよらないことだった。夏休みに一日中、水遊びや魚取りに夢中になって過ごした八景水谷(はけのみや)は、熊本市の上水道となる水源地で、乾いた喉を潤してもいいほど水が澄み切っていた。近所の「悪友」の鍛冶屋のケンちゃんや甘酒饅頭のお店のトシくんたちとメダカやハヤ、フナの群れを追い回し、獲物がゲットできる度に歓声をあげ、時には「フルチン」で一糸まとわず泳ぐことも稀ではなかった。そして子どもたちの誰もが水中で密かに用を足しても臆することがなかったほど、水は渾々と湧き、次々に新しくなっていくと気楽に構えていたのである。

今から思えば、「極楽とんぼ」のような、水と戯れながら、そのありがたみなど頭をよぎることもなかった少年の頃、それは何と幸せな時代だったことか。私にとって水は一緒に戯れ、同時に身体にまとわりつき、そしてスーッとなくなっていく無邪気な妖精のようなものだった。それほど、私は悪友たちと水源地や川、池で水遊びに興じ、身体ごと水の中に浸かる経験が多かったのである。川が氾濫し、時には濁流となって牙を剥くことがあっても、水に対する恐れはほとんどなかった。

八景水谷に近接し、熊本城の内堀となる坪井川が氾濫した時でも、私たち「悪童」は、親たちの心配をよそに、肝試しのように濁流の中を素潜りで対岸に辿り着けるか、競い合っていたのである。無邪気で危険な遊びだったが、私の中に水への信頼が失せることはなかった。それが崩れたのは、半世紀近くを経て、東日本大震災で津波の被害を目の当たりにした時である。

もちろん、熊本も数々の豪雨や水害が甚大な被害をもたらした。最近では一昨年(2020年)7月、人吉地方を中心とする豪雨災害と球磨川(くまがわ)の氾濫がそれである。その惨状は言葉には尽くしがたい。しかし、球磨川下りの若い船頭さんが呟いた言葉が今でも耳に残っている。

「いっちょん(少しも)、球磨川を悪かとは思わんですよ」

そこには、水の恵みとともに生きてきた人々の、水に寄せる信仰にも似た無垢な思いが表白されている。熊本、「水の国」。そこに生きる県民は、水の被害にあっても、それでも水への深い慈愛の念が失われることはないのである。キラキラと陽光に照り映える球磨川の水面には小さき妖精たちが飛び跳ねているように見えた。それは、子どもの頃、八景水谷で見たように思った妖精たちと同じだった。

PDF版ダウンロード



この記事のキーワード

    機関誌 『水の文化』 70号,ひとしずく,姜尚中,熊本県,水と自然,川,阿蘇

関連する記事はこちら

ページトップへ