地下水が豊かな熊本県。特に熊本市は生活用水をほぼ100%地下水に頼る稀有な都市だ。ただし地下水は無尽蔵ではないため、熊本市では地下水を守り育てる取り組みを周辺の自治体とともに進めている。また、地下水を次の世代へ確実に伝えるため、市民・事業者・行政協働で節水に取り組む。時代によって変わる課題にどう向き合ってきたのか。
「水の都 熊本」のシンボルともいえる「水前寺成趣園(じょうじゅえん)」。
地下水が湧き出す池を配した大名庭園で、平成の名水百選「水前寺江津湖湧水群」の一つ
蛇口をひねればミネラルウォーター──。これは熊本市の上水道のキャッチコピーだ。その文言どおり、人口およそ74万人を擁する熊本市は、市民の水道水源を100%天然の地下水で賄う。人口50万人以上の都市としては国内唯一、世界的にも希少な「地下水都市」だ。
さらに、阿蘇外輪山の西側から有明海にかけて広がる約1041km2のエリアは「熊本地域」(注1)と呼ばれ、熊本市を含む11の市町村があり、熊本地域全体では約100万人の人々が、ほぼ地下水のみを水源にして暮らしている。
「熊本地域の生活は、地下水の恩恵により成り立っています。言い方を変えると、地下水以外に水源はないのです。地域の貴重な資源である地下水を次世代に守り伝えていくことが私たちの使命であり、市町村の枠を超えて地下水保全の取り組みを行なっています」
そう話すのは、熊本市環境局環境推進部首席審議員兼水保全課課長の永田努さん。市役所に水保全課という独立した部署があることからも熊本市と地下水の深い関係性がうかがえる。
(注1)熊本地域
熊本市、菊池市(旧泗水町・旧旭志村)、宇土市、合志市、大津町、菊陽町、西原村、御船町、嘉島町、益城町、甲佐町からなる11市町村。
熊本市の地下水保全活動が始まるのは1970年代半ばのこと。高度経済成長期以降、地下水の減少や地盤沈下などが見られたため、1973年(昭和48)に県と市で地下水の調査を開始。1975年(昭和50)には市内最大の水源地・健軍(けんぐん)水源地近くのマンション建設計画に反対運動が起こり、地下水保全の機運が高まった。翌1976年に市議会が「地下水保全都市宣言」を議決、1977年には「地下水保全条例」が制定される。
その後も熊本市は、多くの研究者の協力を得ながら地下水調査を続け、熊本地域の地下水の流動メカニズムを解明し、地下水利用の実態把握に努めた。調査から見えてきたのは、水田の減少や都市化の進展によって地下水を育む涵養(かんよう)域が縮小し、熊本地域の地下水量が年々減少しているという事実だった。一方で、市民の水使用量はライフスタイルの変化に伴い増加傾向にあった。
地下水量保全の対策は基本的に、汲み上げ量(使用量)を減らすこと、涵養量を増やすことしかないが、熊本市だけががんばっても涵養は進まない。そこで熊本市は白川(しらかわ)・緑川上流・中流域の市町村に働きかけ、協定を結んだ。
「地下水の流動は広域にわたるため、市内だけの対策ではできることは限られます。他の市町村や県、事業者や市民の皆さんと協力しながら、地域をあげて取り組む必要があったのです」と永田さん。
地下水涵養の拠点となる上流域における水源涵養林の整備に着手した。また、観測井(かんそくせい)(注2)などを使った地下水観測を継続して計画を練り、2004年(平成16)に「熊本市地下水量保全プラン」を策定。地下水の入りと出の収支バランスを改善するための事業を体系的に組み立てた。白川中流域の休耕田などに水を張り地下水を涵養する「水田湛水(たんすい)」など市域外の事業に関しては、熊本市が約1億円を拠出している。
「長年にわたる科学的知見がなければ、予算はおそらく計上できなかったでしょう」と永田さんは言う。
この既存の枠組みにとらわれない熊本市の地下水保全活動は、国内外で高く評価され、2008年(平成20)には第10回日本水大賞・グランプリを受賞、2013年(平成25)には国連「生命の水」最優秀賞を受賞している。
(注2)観測井
地層の収縮量や帯水層の地下水位を観測するために設けられた井戸。
地下水収支の「出」にあたる熊本市民の生活用水使用量も、2005年から始めた「節水市民運動」などの啓発活動により年々減少。しかし、九州の主な都市と比べると熊本市民の水使用量はまだ多い。
「『水は使ってあたりまえ』の生活習慣を変えるには、子どもたちの教育から変えていくことが大事です」と水保全課の岡内ゆりかさん。
市職員が小学校へ出向いて地下水のしくみや節水の方法を伝える出前講座を行ない、人気キャラクターを使った節水パンフレットをつくる。2021年度は「歯磨きをするときはコップの水を使う」「蛇口はこまめに閉めましょう」と呼びかける動画を二次元コードからアクセスできるようにもした。堅苦しくなく、楽しみながら水について考えられる機会を数多く提供している。
2016年4月に起きた熊本地震では市内各所で断水が発生。これは熊本市民が初めて経験した「水が思うように使えない」状況だった。それまで水を意識していなかった人びとも水が無尽蔵ではないことに気づいたのか、その後、水使用量はいったん減っている。
「コロナ禍などもあり、2020年は一時的に水使用量が増加しましたが、市民の節水意識を高める働きかけを続け、2024年度には一日当たりの水使用量を九州平均の210Lとすることを目標にしています」と岡内さんは語る。
さまざまな取り組みが奏功し、熊本地域の地下水量は近年、回復傾向にある。江津湖(えづこ)の湧水量は、1960年(昭和35)ごろは1日約80万トン。2005年(平成17)には37万トンまで激減したが、2020年には57万トンまで戻っている。白川中流域の地下水が江津湖周辺まで到達するのには5~10年、阿蘇山のふもとからは20年かかるとされており、上・中流域で続けてきた涵養林や水田湛水などの取り組みの結果が、今になって表れてきていると言えるだろう。
熊本地域が豊かな地下水に恵まれている背景には、いくつかの要因があります。その一つが雨量の多さ。日本の年間平均降水量は約1700mmですが、熊本地域は約2000mm、阿蘇地方は約3000mmです。熊本地域だけで1年間におよそ20億4000万m3の雨が降る計算で、そのうち3分の1は大気中に蒸発し、3分の1は白川、緑川などの河川を経て有明海へと流れ、残り3分の1(約6億4000万m3)が地下水として涵養されると考えられています。
ここで重要なのが、地形的な特徴。約27万年前から9万年前にかけて阿蘇は4回にわたる大噴火を起こし、その火砕流が100m以上の層になって熊本地域に堆積しました。火砕流堆積物は水が浸透しやすく、その土台には硬い基盤岩があるので、熊本地域一帯が地下水を溜めやすい器のような構造、つまり大きな地下水盆となったのです。
そしてもう一つ、地下水涵養に影響したことがあります。約430年前、肥後に入国した加藤清正から始まる大規模な水田開発です。白川の中流域(大津町、菊陽町周辺)などに堰や用水路を築き、約3500町にもなる広い面積を開墾し水田にしました。この白川中流域は特に水が浸透しやすい土壌なので、結果的に水田から大量の水が地下に供給され、地下水の涵養量が大幅に増えました。
このように阿蘇の大自然のメカニズムと先人の営みが組み合わさって、現在まで続く熊本地域固有の地下水流動システムができあがったのです。
ただし、問題がないわけではない。喫緊の課題は硝酸態窒素(しょうさんたいちっそ)(注3)による水質汚染。化学肥料の過剰施肥や畜産・酪農による排せつ物の不適切な処理が主因とされる。
難しいのは、農家や畜産・酪農家にも生活がかかっているため、地下水保全への理解と協力をいかにとりつけるかという点だ。
「当初は役所内でも調整は困難でした。私たち水保全課は水を守る立場ですが、農政部署は農業を推進する立場ですから利害が衝突します。侃侃諤諤(かんかんがくがく)と意見を交わしました」と永田さんは振り返る。
とにかく現場に足を運び、農業関係者に対して、科学的根拠を示しながら水質汚染の現状を説明し、「これまでのやり方を続けたら、水が飲めなくなってしまう」と説いた。
熊本市の北部・北西部では農業者に適正な施肥を指導した。また、環境局の管轄で硝酸態窒素による地下水汚染を防止するための施設「熊本市東部堆肥センター」を建設。2019年(平成31)4月に稼働した。永田さんはその過程をこう語る。
「最終的には『水はみんなのもの』で、農業サイドも環境サイドもなく、この水を将来にどう残していくのかということをみんなで理解したのです。熊本市の地下水は豊富ですが、代わりとなる水源はありません。白川の水では到底足りない。地下水を守らなければ、熊本市の飲み水はどこにもないのです」
(注3)硝酸態窒素
硝酸性窒素ともいう。主に肥料、家畜排せつ物、生活排水に含まれる窒素が、土壌微生物などの作用を受けることで発生し、これが地下に移行して地下水を汚染する。
2022年4月23、24日、アジア太平洋地域の首脳級や国際機関の代表などが参加し、水に関する諸問題を議論する「アジア・太平洋水サミット」(以下、水サミット)が熊本市で開催される予定だ。水保全課アジア・太平洋水サミット推進室では、準備を進めている。推進室長の廣瀧宗美(ひろたきむねよし)さんは、水サミットにかける思いをこう話す。
「アジア太平洋には水に苦労している地域が多いので、国際会議の場でこれまでの熊本市の『みんなで水を守る』取り組みを紹介することで、少しでもお役に立てればと願っています。また、せっかく熊本で水サミットを開催するのですから、熊本地域や国内の人びとが改めて水のことを考え、水を守ろうという意識が高まる仕掛けを考えています」
豊かな地下水の恩恵を受け、繁栄してきた熊本市はほかに水源を持たないため、これからも地下水と運命をともにして生きるしかない。次世代、その次の世代を見据えて、熊本市は周辺自治体と協力して、命の水を守りつづけようとしている。
(2021年11月15日取材)