機関誌『水の文化』70号
みんなでつなぐ水 火の国 水の国 熊本

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阿蘇・南郷谷

つくり直された配水システム
──湧水の大切さを未来に

阿蘇カルデラ南側の火口原(平坦地)は「南郷谷(なんごうだに)」と呼ばれる。そこに位置する熊本県の高森町は宮崎県の高千穂町と鉄道で結ばれるはずだった。トンネル建設工事による出水事故で周辺の湧水が枯れてしまったが、その後に配水システムをつくり直した高森町を訪ねた。

「高森湧水トンネル公園」の入り口付近

「高森湧水トンネル公園」の入り口付近

公園のなかにある不思議なトンネル

大分県、宮崎県と隣接し、阿蘇五岳と南外輪山の間に位置する高森町。JR豊肥(ほうひ)本線の立野(たての)駅から東南へ向かう南阿蘇鉄道の終点が高森駅で、白川水系の最源流の根子岳(ねこだけ)を望むこの地域は、「南阿蘇の奥座敷」と呼ばれている。

高森駅から徒歩10分のところに「高森湧水トンネル公園」がある。噴水池脇の遊歩道を進むと、トンネルに行き着く。内部に入ると、中央に水路があり水が流れている。

実はこのトンネル、かつて鉄道用に掘られたものだ。旧国鉄の時代、高森から宮崎県の高千穂をつなぐ「高千穂線」が計画されたが、トンネル工事中に大量の出水があり、工事は中断。太い地下水脈が破壊されてしまい、周辺の住民は断水の被害に遭った。最終的には工事自体が中止になった。

掘り進められたトンネルは、入口から550m部分と出口周辺が親水公園として整備され、1994年(平成6)に一般公開。最奥にある出水部分から流れ出る地下水が、今も周辺の民家や農地を潤している。

  • 出水事故当時のモノクロ写真。高森湧水トンネル公園の上にある「湧水館」で見ることができる

    出水事故当時のモノクロ写真。高森湧水トンネル公園の上にある「湧水館」で見ることができる

  • トンネルの奥に設置されている「ウォーターパール」。特殊ストロボを利用した湧水のアトラクションだ

    トンネルの奥に設置されている「ウォーターパール」。特殊ストロボを利用した湧水のアトラクションだ

命の水とは替えられない

高森町の人口は6140人(2021年11月末現在)。高森町役場建設課水道係長の山田耕生(こうせい)さんによれば、町営の水道による給水人口は5903人。残りの237名は山岳部の集落で湧水を自主管理。湧水トンネルを水源としているのは中心市街地の3613名、1671世帯とのこと。

山田さんに高森トンネル出水事故の経緯を尋ねた。

「1973年(昭和48)に高森―高千穂間の鉄道工事認可が下り、日本鉄道建設公団(以下、鉄道公団)が全長6480mの高森トンネルの工事に着手しました。最初の出水事故が起きたのは翌年で、大きめの水脈を破断し、断水しました。給水車を出し、出水した坑内から水を運んで応急対処したのです」

さらに1975年(昭和50)2月、大元の水脈を掘り崩してしまう。8カ所の湧水が枯れ、そこを水源としていた町営の簡易水道が断水。被害を受けたのは1082世帯、3450人。飲用水だけでなく農業用水も枯れた。

現在では、地下水流動を綿密に調査し、止水技術も進むなど、地下水への影響がないように施工されているが、当時は掘り進んでみなければわからなかったのだろう。

「住民からは『元の生活に戻してほしい』と切実な要望書が事あるごとに出ました。井戸を試掘しましたが新たな水脈は確保できません。1977年(昭和52)12月、ついに鉄道工事は中止に。坑道内の湧水を揚水し水源とするしかない、と判断されたわけです」

高森―高千穂間の鉄道開通は住民の願いでもあったが、命の水とは替えられなかった。

坑道からの配水設備は、飲用水、農業用水ともに鉄道公団の負担で建設。補償交渉は1989年(平成元)に協定が成立。町は補償金を基金として運用益をポンプの電気代などに充てた。「今の町営水道の施設基盤は当時のものです」と山田さんは言う。

トンネル周辺で枯れた湧水を自治会単位の自主管理で配水していた世帯は、湧水トンネルを水源とする町営管理になると使用量に応じた水道料金が発生してしまう。

「使っていた1年間の水量を割り出し、何トンまでは水道料金無料という補償契約を世帯ごとに結びました」と山田さん。約190世帯との補償契約は現在も続く。

  • 工事後に農業用水の溜池として整備された「別所の堤」

    工事後に農業用水の溜池として整備された「別所の堤」

  • トンネル工事で水が枯れ、今は湧水トンネルの水を引いている「角の宮(つのみや)水源」

    トンネル工事で水が枯れ、今は湧水トンネルの水を引いている「角の宮(つのみや)水源」

  • 高森町役場建設課の山田耕生さん。故郷を離れ隣県で過ごした学生時代に高森の水のおいしさに気づいたと話す

    高森町役場建設課の山田耕生さん。故郷を離れ隣県で過ごした学生時代に高森の水のおいしさに気づいたと話す

トンネルの記憶を次世代へつなぐ

高森トンネルの出水事故による断水を経験した世代の住民の一人、白石一弘さんに話を聞いた。

「大変でした。湧水が全部枯れちゃったもんだから、いったいどうやって生活するの?と。生きていくには、水が一番大事ですからね。鉄道が中止になったので道路が整備され、以前は高千穂まで2時間かかりましたが今は30分で行けます」

白石さんは元町役場の職員で水事情にもくわしい。湧水トンネルから揚水している農業用水の溜池を案内してもらい、さらに高森町の市街地を歩いた。しょうゆ蔵や酒蔵のあるまちかどには、かつての「水舟(みずぶね)」がまだ残されている。トンネルの出水事故より以前、湧水から直に水を引いていたよすがを伝える遺構だ。今は水道の水で満たされている。

「山から引いた水は火山灰の影響で石灰質や砂が混じっていることがあったので、水舟で一度それらを沈澱させ、上澄みを飲用水にしていました」と白石さんは言う。

  • 今も残る「水舟」。山から引いた水を沈澱させ、その上澄みを飲んでいた

    今も残る「水舟」。山から引いた水を沈澱させ、その上澄みを飲んでいた

  • 高森町には阿蘇の湧水を用いたしょうゆ蔵や酒蔵がある(写真は阿蘇マルキチ醤油)

    高森町には阿蘇の湧水を用いたしょうゆ蔵や酒蔵がある(写真は阿蘇マルキチ醤油)

  • 「湧水館」の正面にある水汲み場

    「湧水館」の正面にある水汲み場

  • 農業用水の溜池や市街地を案内してくれた白石一弘さん

    農業用水の溜池や市街地を案内してくれた白石一弘さん

県外に出てわかった高森町の水の味

高森町は三県に流れる川の上流地域で、分水嶺が3つある。

「白川は熊本県内を流れ有明海へ。宮崎平野へ流れる五ヶ瀬川(ごかせがわ)の上流が川走川(かわばしりがわ)。そして大谷川は大分湾へ注ぐ大野川の上流にあたります。水脈が異なると成分も味も微妙に違うんですよ。もちろん高森町の水が一番おいしいです」と白石さんは胸を張る。

実は、白石さんも山田さんも、高森町を離れて県外で暮らした経験がある。山田さんは「たまに高森へ帰ってくると『あれ、水ってこんなにおいしかったっけ?』と戸惑いましたし、コンビニや自販機で水を買う意味もわかりませんでした」と笑う。

町内の小学生は、社会科見学で湧水トンネルを必ず一度は訪れるという。生きるのに必要なのはトンネルよりも水――そう訴えた先人たちの記録や水舟に代表されるこの地の記憶の継承が、「命の水」を守ることにもつながるはずだ。

高森町は素朴な味わいの「高森田楽」や炭焼き地鶏が有名で、また「月廻り公園」から眺める阿蘇の山々は絶景だ。西隣の南阿蘇村にも多くの水源があるので、過去の経緯を踏まえて南郷谷を巡り、水の味の違いを体感してはどうだろうか。

高森町の市街地。奥には阿蘇五岳でもっとも東に位置する「根子岳(ねこだけ)」が見える

高森町の市街地。奥には阿蘇五岳でもっとも東に位置する「根子岳(ねこだけ)」が見える

(2021年11月7日、12月14日取材)

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