熊本市内から東へ向かい、外輪山の割れ目から阿蘇カルデラに入り、さらに阿蘇五岳の北側を回って奥へ。北外輪山の南側斜面にある、湧水で知られる「手野(ての)集落」を訪ね、水にまつわる暮らしを見た。
かつて人や牛ののどを潤す場だった「垂谷の滝」。この滝の横を通る道が小国や産山に通じる道路だった。
水は今でも飲むことができる
岩肌から染み出るように沢水が流れ落ちている。阿蘇北東の外輪山のふもと、手野(ての)集落(阿蘇市一の宮町)にある「垂谷(たるたん)の滝」。地元のボランティアガイド「手野名水会」の山部輝明さんが、その滝の横の崖上を指して言う。
「外輪山への道路ができる前は、山道がずっと上の原野まで続いていました。滝で休憩し、牛に沢水を飲ませて、また山道を登り、牧草地に連れて行って草を食べさせたんです」
滝を臨む岩場には、かつての滝行者が建てた小さな祠と不動明王像がある。以前は滝の上にあったが、2012年(平成24)7月の九州北部豪雨で流され、5年後に二代目が祀られた。牛を引き連れた険しい道行きの無事を祈願する厄除けでもあったろう。水場と結びついた信仰が今も残っている。
手野集落の道路脇に、円錐形の茅葺きの小屋が展示してあった。野営をして牧畜用の草を刈る「草泊まり」に使われていた小屋だ。自動車がなかった時代、放牧のできない冬場は、牛のエサのため何度も牧草地へ山道を行き来するのは大変だ。そこで時間と労力を節約するため、これに何日も寝泊まりして草刈りし、干草をつくっていた。
「実物はもう少し大きいものでした。家族で寝泊まりしていたのはおそらく戦前まで。97歳の母は60歳ごろまで稲作と兼務で牛を育てていました」と山部さん。
地域の誇る水場が「手野の湧水」だ。水が湧き出ている岩石は、阿蘇のカルデラを形成した4回の大噴火のうち、2回目の噴火に由来する。約14万年前の噴出後に冷え固まった岩の割れ目からほとばしる、外輪山の雨で涵養(かんよう)された水は、なめらかに喉へとすべった。
手野集落では10〜20戸単位で湧水をタンクに溜めて配水し、使用量に関係なく一定の料金を維持管理費に充て自主運営している。集落を歩くと、いたるところに滔々と沢水が流れていた。
「ちょっとした洗いものはこれで済まします。里芋をざるに入れておけば水流で皮が剥けますが、うっかり忘れて中身まで削れてなくなったり……」と山部さんは笑う。
「一番の宝」と山部さんが崇める国造(こくぞう)神社。その奥に知られざる滝があるという。「そこは滝の上の岩間からボコボコ水が湧いてます。草木をはらって道を整備し、皆さんにお目にかけたい」と山部さんは手野名水会の活動に意欲を燃やす。その言葉からは、信仰と深く結びついた名水の里を、次代に受け渡す使命が感じられた。
(2021年11月6日取材)