水と風土が織りなす食文化の今を訪ねる「食の風土記」。今回は、毒をもつふぐの卵巣を無毒化して食す「ふぐの子 ぬか漬け」です。
ふぐの子 ぬか漬け。そのまま食べてもおいしいし、お茶漬けにすればより深い味と香りが楽しめる
石川県には強毒とされるふぐの卵巣をぬか漬けにした郷土料理がある。白山市美川(みかわ)を中心に、金沢市金石、大野地区のみに製法が伝わる「ふぐの子 ぬか漬け」だ。通常は食用が禁止されているふぐの卵巣を食品加工している地域は、全国でも珍しい。
美川は、一級河川・手取川(てどりがわ)の河口周辺に広がる静かな港まちだ。白山連峰を源とした伏流水が豊富で、あちこちに湧水の水汲み場がある。
「この近辺は、かつて三津七湊(さんしんしちそう)(注)の一つに数えられた本吉湊(もとよしみなと)です。江戸時代から明治初期に北前船の寄港地として栄えました」と白山市水産振興課長の神谷(かみや)信行さん。北前船は水の補給が不可欠であり、美川の豊かな水を求めて船が集まったのではないかと言う。
美川には、冬の貴重なたんぱく源として、イワシやサバなど魚の塩漬けをぬか漬けにして発酵させる保存食が古くからあった。なかでもふぐの身のぬか漬けは味がよく珍重され加賀藩にも献上されていた。一方、いつからふぐの卵巣をぬか漬けにして食べていたかは定かでないが、170年ほど前には北前船が佐渡から積んだふぐの卵巣を、ここ美川にだけおろしていたという記録が残っている。
(注)三津七湊
室町時代末に成立した日本最古の海商法規集『廻船式目』に記されている十の大港。
1830年(天保元)創業の株式会社あら与は、ふぐの子をはじめ伝統的な魚のぬか漬けを製造販売する老舗だ。七代目社長の荒木敏明さんに加工場を案内してもらった。
仕入れたばかりの新鮮なごまふぐの腹を開くと、ぽってりと大きな真子(まこ)(卵巣)が出てくる。
「そもそもはふぐの身が目的で、卵巣は副産物でした。これを捨てるのは忍びない、食用にできないかと先人たちが知恵を絞ってふぐの子のぬか漬けを編み出したのだと思います」と荒木さんは語る。
取り出した卵巣は、加工場内に引いた伏流水で洗って塩水に漬け、そのまま1年貯蔵する。この工程で卵巣から水分とともに毒素が抜け出る。次に、塩漬けの卵巣を水でよく洗い、ぬかとこうじで杉樽に本漬けする。空気に触れないよう毎日イワシの魚醤を樽の縁から注ぎ込み、1年半から2年の間、蔵で発酵させる。塩漬けとぬか漬け、合わせて3年ほどゆっくり時間をかけると不思議なことに人体に無害なレベルにまで毒が消え、「奇跡の発酵食」とも称される極上の珍味ができあがる。
なぜ長い年月の発酵によって無毒化するのか、そのメカニズムはいまだ解明されていない。
1983年(昭和58)、毒のあるふぐの内臓はすべて破棄するよう通達があった。ふぐの子 ぬか漬け存亡の危機に、美川の製造業者は連名で県に陳情書を提出し、いかに重要な伝統食であるか訴え、石川県でのみふぐの子 ぬか漬けの製造が認められることになった。ただし安全性を確保するため、製造できるのは認可を受けた業者に限られ、伝統の製法を決して変えないこと、出荷前に必ず毒性検査を受けることなどが義務づけられた。
美川のまちを歩いていると、「昔、おじいさんが家でふぐの子のぬか漬けをつくっていた」と話す女性に出会った。このあたりでは夕飯や弁当に、ふぐの子 ぬか漬けが当たり前のように入っていたそうだ。
あら与は、代々継承してきた製法を守りつつ、パスタやお菓子などふぐの子 ぬか漬けの新たな食べ方も提案する。「伝統産業を守りながら次につないでいくためには、時代に合わせて変わっていくことも必要」と荒木さんは言う。
毎年5月の第3土・日曜日に、美川最大の行事「おかえり祭り」が行なわれる。内外から祭りに集まる客人には、どの家もふぐの子ぬか漬けをふるまう。美川の人々にとって、今も地元の誇りの味だ。
取材協力:株式会社あら与
石川県白山市美川北町ル61
Tel.076-278-3370
https://arayo.co.jp/
(2022年5月26~27日取材)