地域が抱える水とコミュニティにかかわる課題を、若者たちがワークショップやフィールドワークを通じて議論し、その解決策を提案する研究活動「みず・ひと・まちの未来モデル」は3年目を迎えました。2021年度は長野県松本市、2022年度は神奈川県真鶴町でしたが、2023年度の研究対象地域は新潟県村上市の「大毎(おおごと)集落」です。
研究テーマの設定、対象地域の選定など「みず・ひと・まちの未来モデル」のかじ取り役は、法政大学現代福祉学部准教授の野田岳仁さんです。野田さんの指導のもと、前年度とは異なるゼミ生(新3年生)10名、新たなミツカン若手社員3名が研究活動に取り組みます。
2023年(令和5)5月19~21日、野田さんとゼミ生、そして編集部は大毎集落を訪ね、調査を行ないました。
今年度の研究テーマ「小規模集落水道」について、そして初回の調査で見えてきたことを野田さんに記していただきました。
法政大学 現代福祉学部 准教授
野田 岳仁(のだ たけひと)
1981年岐阜県関市生まれ。2015年3月早稲田大学大学院人間科学研究科博士課程修了。博士(人間科学)。2019年4月より現職。専門は社会学(環境社会学・地域社会学・観光社会学)。近刊に『井戸端からはじまる地域再生』(筑波書房)。
上空から見た大毎集落。水源は写真の奥にある。左手前に向かって流れているのは大毎川
「みず・ひと・まちの未来モデル」3年目は「小規模集落水道」をテーマに新潟県村上市大毎集落をとりあげる。
今年度の研究プロジェクトでは、なぜ人びとは小規模集落水道を維持し続けるのか、その理由を探ってみたいと考えている。
このような問いを掲げる理由は、小規模集落水道をめぐって、次のような喫緊の政策的課題が顕在化しているからである。
我が国には、大規模な近代的上水道システムが供給できないエリアが存在している(人口規模としては200万人程度と想定される)。山間部などの条件不利地域がその典型であるが、その場合は、井戸や湧水などを水源とし、集落やとなり組を範域に小規模な戸数(給水人口100人以下)に給水する集落独自の小規模な水道組合を維持してきた。これは、上水道システムと区別して「小規模集落水道」と呼ばれている。
この小規模集落水道は岐路に立っている。というのも、現場の人の言葉を借りれば、「水道もひけない」条件不利地域であるがゆえに、高齢化や人口減少の影響を強く受け、日常的な水源の保全や貯水タンクの掃除などの維持管理が近い将来に困難と想定されているからである。
水道政策を管轄する厚生労働省は、この状況をふまえて、上水道システムが未整備の地域へのエリアの拡大や複数の小規模集落水道を合併・統合し、簡易水道(注1)の導入を計画している。また、財政的にそれが叶わない地域には、定期的に給水車を送り、集落のタンクに供給する方法を検討している。
言うまでもなく、水は生存と生活にかかわる貴重なインフラであり、厚生労働省による政策的対応は、「縮小社会」を想定したものとして評価されるべきものでもあるだろう。
しかしながら、集落単位の水道組合を維持する現場の人びとは、このような提案には消極的で集落単位の水道組合を維持し続けなければならないと考えていることが少なくないのである。
なぜ人びとは集落単位の水道組合を維持することにこだわるのだろうか。
ここでは、かつて私が調査をした福島県双葉郡川内村のある水道組合の事例を紹介して、その理由を探ってみよう(注2)。
(注1)簡易水道
農山漁村をはじめとする小さな集落で101人以上5000人以下の人びとに給水することを目標につくられた水道。給水の水質や施設などは一般の上水道と同じ基準が適用される。正式名称は簡易水道事業。
(注2)
Takehito Noda, 2017, “Why do local residents continue to use potentially contaminated stream water after the nuclear accident? A case study of Kawauchi Village, Fukushima”, In Rebuilding Fukushima, edited by Mitsuo Yamakawa and Daisaku Yamamoto, Routledge:53-68
福島県双葉郡川内村は、行政として上水道システムを導入していない自治体である。人びとは集落単位で山水や井戸水を水源に水道組合をつくったり、自家用の井戸をつくって対応してきた。それが、東日本大震災と原発事故が発生し、状況が一変した。
川内村は、福島第一原子力発電所から30km圏内に位置し、全村避難を経験した村である。放射性物質の除染などが完了し、奇跡的に1年後に村への帰還が許されることになったが、水源の放射能汚染が疑われる事態となり、行政は、自家用井戸掘削のための補助金(1戸につき100万円)を創設し、山の水を使わないように通達した。
しかしながら、水道組合の人びとはそれを拒否し、放射能汚染が疑われても水道組合を維持し続けなければならないと主張した(その後の検査では、山の水から放射性物質の検出は一度もなかった)。その理由は、次のようなものである。
川内村は、全村避難を経験し、村民の多くが帰還をためらうなかで行政区や自治会は機能停止状態となり、葬式組など社会集団の解散を決めた地域もあった。すなわち、地域の人たちとの人間関係やそれを維持するしくみは断絶されかねない状況になったのである。
にもかかわらず、当該の水道組合では、月に1度のタンク掃除だけが地域の人びとが会する唯一の機会となり、むら(村落)の自治を発揮する場として機能し、早期の復興につながることになった。
小規模集落水道は生存・生活にかかわるからこそ、地域の人たちと共同で清掃作業を行う必要があり、この地域の人びととの関係性を失ってしまっては、復興や生活再建など不可能であると判断されたのである。
つまり、人びとは水道組合を通じて地域の人びとの人間関係を含めたむらの自治機能を安定化させるために水道組合の維持を主張したのである。
川内村の事例はやや極端な事例のように映ったかもしれないが、各地の小規模集落水道を運営する地元の人びとがそれにこだわるのは、むらの自治機能の安定化とかかわっているからだと想定される。
小規模集落水道の代替案として、上水道システムの導入や給水車による給水は一見すると望ましい政策であるようにみえるものの、当該地域の人びとは、人口減少や高齢化が進むからこそ、人間関係の断絶やむらの自治機能の低下を恐れているようなのである。
そこで、本研究プロジェクトでは、新潟県村上市大毎集落をとりあげて、小規模集落水道がむらの自治機能において果たしてきた役割を解明したうえで、むらの自治機能を損なわない存続可能な水道組合のしくみを考えていくことにしたい。
本研究プロジェクトがとりあげる大毎集落には、116戸、340人ほどが暮らしている。
この大毎集落が際立っていることは、2つある。ひとつは、じつに7つもの水道組合を運営していることだ。それぞれが豊かな水源を有し、維持管理や組合の運営にさまざまな工夫がみられる。もうひとつは、集落内で最多の80戸(口数86)が加入する大毎水道組合は、1924年(大正13)に整備され、来年で創設100周年を迎えるように、歴史ある水道組合が存続していることである(大毎集落で最古の水道組合はナカマチ水道組合であるといわれている)。
集落の中心部にある水場「吉祥清水(きちじょうしみず)」には、大毎水道の水が供給されている。環境省による「平成の名水百選」にも選ばれ、年間約2万人の利用者を誇る。
1978年(昭和53)には、旧山北町(さんぽくまち)によって大毎と隣接する大沢集落に簡易水道が導入されている(現在は、北中、北黒川にも給水範囲が拡大)。多くの家庭で簡易水道の利用は水圧の必要な風呂やトイレなどの限定的な利用に留まっている。
簡易水道の導入に際しては、旧山北町からは大毎水道の水源を簡易水道の水源にしたいと打診があったそうだが、それを断っている。
その理由が注目される。簡易水道となると、水道法の規制を受けるため、塩素の混入が避けられないこと。そして大切なことは、お金を払って水道を利用することになるからであった。この意味を理解するために、大毎水道組合の利用と管理のしくみをみていこう。
大毎水道の水源は、大毎川の上流部付近の豊かな森にある湧水である。そこから複数の貯水タンクを経て組合員の80戸に給水される(敷地内に母屋と離れのように給水口が2つの場合は2口となるため、口数は86である)。
大毎水道組合は9つの組に分かれ運営されている。驚いたのは、この組ごとに水神講(すいじんこう)が行われ、それぞれ見事な水神が描かれた掛け軸を持っていることである。聞きとりを重ねていくと、水神の掛け軸は、集落住民が描いたものであることがわかった。
水神講は、12月14日に床の間に水神の掛け軸を飾り、共同飲食をするものであった。「ヤド」となる家は持ち回りで、参加者をもてなした。水道組合の役員は男性であるのに対して、この水神講は女性だけの集まりであった。
「楽しかったんだ水神講。好きなことして、騒いで」と語られるように、着物を着て踊ったり、歌を歌ったようだ。婦人たちが集まる場が限られた時代には、それは楽しみだったそうである。
管理面をみていこう。組合の役員は各組から1名ずつ、9名の役員のなかから組合長、副組合長が選出される。組合長は水源や貯水タンクの定期的な見回りや年に2回水源地周辺の草刈りを行い、役員は貯水タンクの点検や組合費の徴収を行う。
組合費(年間)は、1口あたり2400円が徴収される。組合費は貯水タンクや配管の管理や修繕に充てられるものである。したがって、水の利用自体に費用がかかるわけではない。大毎集落の人びとにとって、水は貨幣交換できない「コモンズ(共有資源)」であるのだ。
それに対して、簡易水道は水の使用量に応じて料金が増減するものである。すなわち、水は「商品」なのであり、水道は貨幣と交換する「サービス」となる。それゆえ、簡易水道の水源とすることは許されることではなかったのである。
さらに大毎集落では、昨年度の総会で大毎水道の水源地の所有権を購入することを決議している。水源地の所有者は集落住民であったが、よそに転出したことを受けて、将来に水源地の土地が転売されないように考えての対応であるという。
このようにみれば、小規模集落水道と上水道システムの違いは、たんに運営主体やその規模にあるのではなく、水という自然資源に対する考え方そのものが根本的に異なっているのだといえよう。このことをふまえたうえで、むらの自治機能の安定化とどのようにかかわっているかを分析していく必要があるのだ。
私が大毎集落を初めて訪れたのは、9年前である。その際に水道組合のしくみやそれを支える人びとの自治の精神に深く感銘を受けた。
今回の本格的な調査をはじめて、すでに心が踊っている。それは私だけでないはずだ。学生たちやミツカン若手社員のみなさんとはもちろんだが、読者のみなさんとも心躍る経験を共有できればと願っている。
JR羽越本線の村上駅で集合し、レンタカーで北北東へ向かうこと30分あまり。国道7号線を右に下りると大毎集落だ。さっそく平成の名水百選「吉祥清水」の水を一口いただく。まろやかな水が喉を通りすぎた。
「吉祥清水」横の大毎集落開発センターで、総代(区長)の佐藤栄作さん、大毎水道組合長の佐藤均さんを囲んでみんなで話を聞いた。
野田さんはいつも疑問に思ったことは徹底的に質問する。このときは「婦人会も水神講も解消した大毎集落はいわばモダンな集落のはずなのに、なぜ水道組合だけは頑なに維持するのか?」という問いだった。その問いを、言葉を変え、タイミングを計っては何度も尋ねていた。栄作さんと均さんは戸惑いつつも真剣に答えてくれた。
そうしてつかんだ糸口が「小規模集落水道と上水道システムの違いは、たんに運営主体やその規模にあるのではなく、水という自然資源に対する考え方そのものが根本的に異なっているのだといえよう」という野田さんの一文に表れている。
昼食後、栄作さんが竈(かまど)のそばに掛けられていたという水神の掛け軸を持ってきてくれた。長い間煙で燻されたために黒ずんでいる水神様はなんだか謎めいているが、大毎集落の自治のしくみ、人びとの水に対する思いや価値観も私たちには謎ばかりだ。
山あいの高低差のある大毎集落には無数の水路が張り巡らされており、手ですくってみたくなるようなきれいな水が流れている。晴天に恵まれた2日目は、複数のグループに分かれて集落を散策し、出会った人びとに話を伺った。
次に訪れる夏のゼミ合宿では、どんなことがわかるのだろうか。期待は膨らむばかりだ。
(2023年5月19~21日調査)