機関誌『水の文化』75号
琵琶湖と生きる

ひとしずく
ひとしずく(巻頭エッセイ)

外国なのに滋賀県

人びとが集う琵琶湖の浜辺。野洲市のマイアミ浜にもほど近い

人びとが集う琵琶湖の浜辺。野洲市のマイアミ浜にもほど近い

ひとしずく

作家
姫野カオルコ(ひめの かおるこ)

1958年滋賀県甲賀市(こうかし)生まれ。『昭和の犬』で第150回直木賞を受賞。『彼女は頭が悪いから』で第32回柴田錬三郎賞を受賞。滋賀からの上京者ならではのエッセイに『忍びの滋賀―いつも京都の日陰で』。最新小説は『悪口と幸せ』。

小学校に入ったばかりか、すこし前か。夕方に、父親を訪ねて客があった。

「今日はマイアミに行って来ましたんや」

父親よりはずっと若い男性客が、応接室でそう言うのが、開けた窓から、ベランダで犬と遊んでいた私に聞こえた。

父親は気難しい人であった。マイアミに行ったという客人に対しても批判した。その重苦しく不愉快げな声は、だが、私にはきわめて日常だった。

そんなことより、私を困惑させたのは客人の発言である。

マイアミ?外国ではないのか?このお客さんは、外国に行っていたのに、夕方にはもう滋賀県にいるのか?なぜ?

琵琶湖国定公園の一部の浜に、マイアミというアメリカの湾岸都市名を借りて冠したなどということは、六歳かそこらの子供には理解できようはずがない。

父親の声が不愉快になったのは、おそらく、この拝借ネーミングについてだったのだろうと、今となっては想像できる。

また、「滋賀県のマイアミ」の絶景が撮られた現在のウェブサイトなどの画像を見れば、1960年代はじめに、アメリカの土地の名前を借りたかった日本人の気持ちも想像できる。

大人になってからならわかるが、その時には、わけがわからなかった。

さて、この「マイアミからの客人」は晴天のマイアミ浜のように明朗な人であった。

このあとも、たびたび我が家を訪れた。明朗なだけでなく、他人に対してこまやかな配慮をする人で、気難しい父を、彼だけがリラックスさせることができた。

かかるほどに、小学生最後の夏休みを迎え、このマイアミ氏は、父と私を、標高の高い永源寺町へ、自分の車で連れて行ってくれた。

おりしも大阪万博のころで、永源寺町としては名刹へのお参りだけでなく、レジャー面でも人を呼ぼうとしたのだろうか、「神崎川ヒュッテ」という名の場所ができたというので、釣り竿や缶詰や飯盒や米を車のトランクに積み、マイアミ氏は、奥さんと赤ちゃんとが乗る車に、われわれ父子も乗せて、にぎやかに向かったのだった。

「ヒュッテ」と名につくとおり、到着した山の中のそこは、三角屋根の、三畳ほどのプレハブの小屋が、林の中に三つほど点在し、煮炊きのできる台所のような建物と共同トイレのある一画であった。

現在は「永源寺キャンプ場」という名前になり、雰囲気もがらりとかわっているようであるが、当時は、しかも小6の目には、メルヘンチックな異空間に映った。なんといっても、川の水のきれいなことといったら!田舎町育ちの子供であるのに、そんな子供もびっくりして、目を見張るほど澄んでいる。

はだしになって、川の中に入れば、身が清められるように冷たい。

マイアミ氏は上手に鮎を釣り、竹にさして川べりで焼き、父親は飯盒で米を炊き、おもちゃのような小屋で五人で食べる夕食は、重苦しい食卓しか知らない私を、幸福にした。

いっときであっても、あの幸福は、あれから五十余年を過ぎた今でさえ、神崎川の水の透明さと流れの音を、鮮やかに蘇らせてくれる。

神崎川というのは愛知川(えちがわ)の支流である。この水が、わがふるさとの琵琶湖に注ぐのである。野洲のマイアミにも。

PDF版ダウンロード



この記事のキーワード

    機関誌 『水の文化』 75号,姫野カオルコ,滋賀県,琵琶湖,水と自然,湖,水と生活,日常生活,愛知川

関連する記事はこちら

ページトップへ