日本一大きな湖「琵琶湖」。古来、人びとは琵琶湖から、あるいは流れ込む数多の川や湖畔に点在する内湖(ないこ)から田畑に水を引き入れ、魚介類を獲り、ヨシを住居や肥料に用いた。文字通り、琵琶湖とともに生きてきた。
その姿が大きく変わったのは、主に京阪神地区に水を届けようと1972年(昭和47)に始まった「琵琶湖総合開発事業(以下、総合開発)」だ。今から半世紀あまり前のことである。
およそ1兆9000億円を費やした総合開発は、25年後の1997年(平成9)に終わった。その間、開発と保全のバランスに揺れながらも住民、研究者、行政、企業などが連携して取り組んだ歴史的経緯は「琵琶湖モデル」と呼ばれ、経済成長著しい東南アジア諸国の人たちが学びに訪れている。
その総合開発が終了してさらに25年が経った。琵琶湖の歴史や開発にまつわること(湖歴)、総合開発後の取り組み(湖甦(こそ))、未来を見据えた新たな動き(湖人)という3つの視点から、湖とともに生きていくために必要なことを探った。
※湖歴、湖甦、湖人は編集部による造語
まるで海のように波が打ち寄せる琵琶湖の水辺