[湖人]
古くから食べ継がれてきた琵琶湖の湖魚料理だが、食生活の洋風化、多様化によって、以前に比べると食卓から遠ざかってしまった。しかし、調理法や味つけ、パッケージを見直し、伝統的な湖魚料理を「ふなずしサンド」など新しい形で提供している店がある。湖東にある「BIWAKO DAUGHTERS(ビワコドーターズ)」を訪ねた。
BIWAKO DAUGHTERS ショップマネージャー
中川知美(なかがわ ともみ)さん
滋賀県野洲市出身。漁師の両親、祖父母に育てられ、子どもの頃から漁についていき、獲れた湖魚のうろこはぎを手伝うなど湖魚料理に親しむ。「わが家の味」を残したいと2016年11月、琵琶湖で獲れた魚の加工品を扱う「BIWAKO DAUGHTERS」をオープン。
琵琶湖東岸の菖蒲(あやめ)漁港(野洲市)のそばに、湖で獲れた食材を加工販売している小さな店がある。祖父母と両親が二代続けて漁業を営んできた一家に生まれた中川知美さんが、2016年(平成28)にオープンした「BIWAKO DAUGHTERS(ビワコドーターズ)」だ。
外国の港町にある商店のような、簡素で落ち着いた雰囲気の店舗は、ふなずしを漬けるための小屋をリノベーションしたもの。店内には、伝統的な調理法で食されることが多い湖魚を、現代風にアレンジした商品が並ぶ。
フナやビワマス、コイやブラックバスをサンドウィッチやピザなどのメニューにしたり、スジエビやコアユを甘辛く煮た佃煮を、凝ったデザインのラベルを貼った瓶に詰めたりして、手に取りやすいものに仕立てている。取材に赴いた日も、夏休みの旅行で訪れていた若者たちが、興味深そうに商品を選んでいる姿があった。
食品の販売以外にも「感無漁(かんむりょう)」と題した琵琶湖での漁体験のアクティビティを事業として展開する。開店から7年を経た今では、琵琶湖の食と地域社会や観光客とつなぐ、アンテナショップのような店に成長した。
琵琶湖を生業(なりわい)の場としてきた父と母の姿は、中川さんの目にどのように映っていたのだろうか。そこからは、湖とともにある生活がどんなものなのかが見えてくる。
1950年代に祖父母から家業を継いだ両親は、しじみ漁を専業としていた方針を改め、拡大を目指す。琵琶湖全域に船を走らせ、さまざまな魚種を獲るようになった。
「琵琶湖の魚で学校を卒業させてもろたわけです。まだたくさん獲れてたし、単価も全然違かった。両親はとても熱心に仕事をしていて、夜になると『お母さん、船乗ってくるから、はよ寝えや』と漁に出ていったものです」と中川さんは言う。
体を張るハードな仕事だが、辛そうな姿は見せなかった。
「2人とも楽しそうでした。学校から帰ると、迎えてくれた母が『たくさん獲れたで!』と、うれしそうにしていたのを覚えています」
住んでいた家の庭には、いつも漁で使った長い網が干され、それが迷路のようだった。そこに、獲れた魚を炊く匂いが漂う。それが幼少期の原風景だ。
「夏休みには、お菓子を持って漁についていって。沖の方で、ひもにつないでもらって、船からジャボンと飛びこんだりして。のどが渇くと、父はコップで湖の水をすくって飲んでました。それくらい水がきれいだったやね」
中川さんが子どもの頃、漁業を営む家はすでに減りつつあった。学校でも親が漁師の子どもは数えるほど。サラリーマンの家庭の同級生も多かった。
「うちに遊びに来た友達とご飯を食べることになったとき、フナの頭が入ったアラ汁を見て『魚と目がおうてる、食べられへん』っておびえて。私は『こんなにおいしいのに!』って食べてましたけど」
きょうだいのなかでもっとも漁に興味をもち、手伝いもよくしていた中川さんにも、両親は家業を継いでほしいとは言わなかった。
社会人となった中川さんは、職場で出会った、琵琶湖と釣りが好きだという男性と結婚。大好きなバスフィッシングにかかわる事業を夫が始めることになり、中川さんも退職する。夫の仕事を手伝っているうちに、琵琶湖や家業のために自分も何かしたいという思いが沸き立った。
子どもの頃と比べると琵琶湖とは距離のある生活を送っていたものの、水質は目に見えて悪化しており、かつてのような漁業が難しくなっていることも聞き、このままでいいのかと思っていた。
中川さんは、両親が漁の傍ら営んでいた、水揚げした湖魚の加工販売に参画する。漁業にかかわりたいと伝えたとき、父親は賛成しなかったそうだ。抗い難い湖の変化を、間近で見てきたからこその、現実的な反応だったのかもしれない。ただ、琵琶湖が変わってしまったことを父親が誰よりも残念に思っているのを中川さんは感じていた。琵琶湖に寄り添うことは、父の気持ちに寄り添うことでもあった。
そして「BIWAKO DAUGHTERS」が誕生する。中川さんは「ここは父には理解できないお店なんですよ」と笑うが、湖魚料理を現代風にアレンジするときは古き良き味わいも残し、バランスをとることにこだわる。そこにはいつも葛藤がある。
広大な琵琶湖が、今後どんな環境になっていくのか。漁業は続けていけるのか。簡単に答えが出る問いではない。だが、中川さんが小さな店で湖魚のおいしさをたくさんの人に伝えつづけることは、湖での漁業の命脈をつないでいる。おいしさが忘れられてしまえば、漁業も忘れられてしまうからだ。
夫と二人三脚で、琵琶湖とともに生きていく道を探る中川さん。その姿は、琵琶湖を船で走り回り、漁に明け暮れていた両親の背中を追いかけているようにも映る。先代をリスペクトしながら、自分らしく新たな世界を切り開こうとする精神も、父親譲りなのかもしれない。
琵琶湖を生業とする暮らしは、姿を変えながら引き継がれていく。
(2023年8月17日取材)