水と風土が織りなす食文化の今を訪ねる「食の風土記」。今回は古くから琵琶湖地域の名産品として知られる「ふなずし」です。
フナをご飯と一緒に発酵させた「ふなずし」
「ふなずし」は、魚を塩と米などのデンプンで乳酸発酵させた「なれずし」の一種で、近江(おうみ)(琵琶湖地域)の伝統食だ。酸味とクセのある香りが酒肴(しゅこう)などにぴったりで、好きな人にはたまらない。
春の産卵期に獲った主に「ニゴロブナ」の鰓(えら)・鱗(うろこ)・内臓を取り除き、一尾丸ごと3カ月ほど塩漬け(地元では「塩切り」と言う)したのち、8月半ばから4〜6カ月間、白米と交互に重ねて漬け込み自然発酵させる。
これが一般的な製法だ。「しかし……」と滋賀県立琵琶湖博物館専門学芸員の橋本道範さんは言う。
「いま現実にふなずしのつくり方はとても多様です。家庭、地域、店舗によって、さまざまな工夫が重ねられ、これという正解はありません。飯(いい)漬け期間一つとっても、3カ月で食べるところもあれば、3年のところもあります。塩切りしたフナを洗って乾かすのが何日か、といった些細な点から、飯漬けのとき手水として焼酎を使う場合もあるなど、こだわりが多彩なのです。それが微妙な味の違いに現れています。こうした多様性こそ、ふなずしの醍醐味といえるでしょう」
ふなずしは平安時代から琵琶湖地域の名産品だったが、江戸時代の1689年(元禄2)のレシピ本『合類日用料理抄(ごうるいにちようりょうりしょう)』によれば、塩切りの記載がなく、「寒の内」(旧暦12月)に漬けられ、餅米の玄米で飯漬けする、とある。
「寒ブナを漁獲して冬に漬けるというのも驚きですが、塩切りせずダイレクトに米で漬ける、というのもふなずしづくりのプロに聞くと『そんな漬け方はありえない』とのことでした」と橋本さんは言う。
橋本さんの研究チームは、2020年(令和2)から、この「古(こ)ふなずし」の再現実験を4回重ねてきた。玄米の風味が移り、ジャーキーのような食感の硬くて香ばしいふなずしになったという。古ふなずしはやがて廃(すた)れ、江戸後期から今に近いふなずしが普及するが、これもまた試行錯誤を繰り返したふなずしの歴史的な多様性の一つといえるかもしれない。
「単なる保存食では残らなかったはず。日常食であると同時に祭事や寄り合いでの儀礼食でもあります。各家庭で持ち寄り、お持たせにもして、コミュニケーションに欠かせない食文化。それが地域性を生んだと思います」
ふなずし以外にも琵琶湖地域には淡水魚のなれずしが17種類もあり、すべて今に続いているという。こんな地域は滋賀県だけだ。
とはいえ、ふなずしをつくる家庭は減り、その味をまったく体験したことのない世代も増えている。
大津市石山寺山門前に店を構える「至誠庵(しせいあん)」では、ふなずしとともに「ふなずしパイ」や「ふなずしクッキー」を製造販売している。
「捨てられることが多い飯の部分で何かできないかと、20年前に母が考案しました。パイ生地の上に飯を敷き、チーズを乗せて焼き上げます」と話すのは取締役の井上貫太(かんた)さんだ。
風邪をひいたらふなずしを食べろ。そんな言い伝えがある。「栄養価の高い乳酸発酵食品であることを知っていただき、多くの皆さんに手軽にふなずしの味を楽しんでいただきたい」と井上さんが言うように、今も続けている試みだ。料理を引き立てる調味料として飯を使う、といった提案もしていきたいという。
橋本さんも「もともとの多様性を軸にしたふなずしの文化を若い人たちが継承し、時代に沿ったまったく新しい形のふなずしが出てきてほしい」と話している。
チーズと同じ乳酸発酵食品なのでワインとのマリアージュもよい。「洋食に合うふなずし」も次代への新しい在り方の一つだろう。
[取材協力]至誠庵
滋賀県大津市石山寺3-2-37 Tel.077-534-9191
志じみ釜めし湖舟内(不定休)
(2023年9月2日、9月22日取材)