今回の特集を立案するために話し合っていた時、メンバーから「漁師さんてみんな泳げるんだよね?」という素朴な疑問が出ました。
「そりゃそうでしょう?」「でもテレビで『泳げないけど漁師になった人』のことを取り上げていたよ?」「じゃあ、聞いてみようよ!」
千葉県の房総半島南部を巡り、海辺で生きてきた人たちに「泳ぐこと」についてお聞きしました。
野口 博子 さん
飲食店経営
(館山市)
出身は白浜町(現・南房総市)です。家から海までは歩いて5分。小学校に入る前にはもう海で泳いでいました。中学生になっても友だちと二人で海に潜って貝を採っていましたね。今はダメだけど、その頃は家が権利をもっていたら子どもも魚介類を採れたんです。
小学校にプールはありませんでした。水温28℃くらいになると海で水泳の授業です。泳ぎを教わるというよりは遊び。勉強よりずっと楽しかったです。おもしろかったのは水泳大会。先生たちがスイカやトマト、ウリなんかを海に投げ込んで、それを子どもたちが取り合うんです。家に持って帰れるのでもう取り合いですよ。海のそばに住んでいる子の方がたくさん取っていました。
クラスの半分は海そばの子で、あと半分は山の方に住む子でした。7月になると海の子はテングサを、山の子はフキをそれぞれ学校に持ってきては先生が換金して学校用の置き傘を買って、みんなそれを使っていたんです。
山の子はあんまり泳げなかったですね。私の義理の弟はすぐそばの富浦出身ですが、山の方に住んでいたので海に行っても膝下くらいの深さまでしか入りません。やっぱり海が怖いんでしょうね。
山の子は川で遊んでいましたが、逆に私は川が苦手。泳いでも水が重くて進まなくて泳ぎづらいんです。それはプールも一緒。だから泳ぐならやっぱり海がいいです。
海は体が浮きやすいから、潜って貝を採ってて疲れたら仰向けになってダラーっと浮きながら休憩して、また潜っていました。どうやって浮くのかって? 小さい頃から泳いでたから遊んでいるうちに自然とできるようになったね。
ただし、海は怖いこともあるので潜るときは必ず二人で行きました。それでもやっぱり海はいいですよ。この前、うちの店で小学校の同窓会を開きましたが、みんな長生き!特に女性は元気です。潮風が体にいいんでしょうね。
艫居 進 さん(89歳)
元 漁師 「初代新清丸」船長
(鋸南町)
ここ鋸南町(きょなんまち)の漁師の家に生まれました。私も漁師でしたが、年々魚が少なくなるなど将来の水産資源が心配になったこともあって遊漁船に切り替えました。今は二人の子どもが跡を継いでいます。
漁師はみんな泳げるのか泳げないのか……。難しい問いですね。ちゃんとは泳げませんけれど、溺れない程度には泳げます。海に飛び込んで岩場まで行ったりちょっと潜ってサザエを採るくらいはみんなできる。そういう感じです。
遊漁船を息子たちに譲ってしばらくして、健康のために何かやった方がいいと思って70歳のときに町営プールへ通いはじめました。最初は不安でしたよ。海でパシャパシャ泳いではいたものの、学校にプールはありませんでしたから、「ちゃんと泳げるかなぁ」と。
でも平泳ぎはすぐにできるようになりました。水に頭を浸けると体が浮いて、頭を水面に上げると身体が沈みますよね。それを交互にやった。見様見真似でも25mはなんとか泳げました。
平泳ぎだと腰が痛くなったのでクロールに切り替えました。独学です。水に顔を浸けたままクロールして、時々呼吸もしての繰り返し。週に2回プールに通って25mを7~8本泳ぎ、あとは水中ウオーキングです。
ずっと続けたかったんですが、数年前に腸を手術してからお腹の調子が悪くて、医者に相談すると、温水でも体温よりは低いから腸を冷やしてしまうかもしれない、と言われたので通うのをやめました。
今年の秋で90歳ですが、肩も手も腰も足も痛いところはありません。水に浮かんで泳ぐから筋肉や関節がほぐれたんでしょうか。元気なので年下の人たちに健康の秘訣をよく聞かれますが、「泳ぎはいいよ」と勧めています。
艫居 正悟 さん(57歳)
遊漁船「新盛丸」経営
(鋸南町)
漁師から遊漁船経営に転じた父(艫居進さん)の跡を継ぎ、弟と二人で船を2艘操って釣り人たちを日々案内しています。
海で泳ぎはじめたのは小学生になるかならないかくらいの頃ですね。まるで犬かきのような平泳ぎで。教わったわけではなく、人が泳いでいるのを見て自然にです。
同級生で泳げない子はいなかったはずですよ。私が通っていた小学校にはプールがありました。平泳ぎはできたので、水泳の授業でクロールを教わりました。
泳ぎを習って変わったことですか? 犬かきのようだった平泳ぎが速くなりましたね。クロールもできますが、海は波があるので息継ぎが難しい。だから海ではずっと平泳ぎ。海なら体は浮くけれど、プールは体が浮かないんですよね。海が凪いでいたらそれこそ何時間でも体を浮かべられます。
この海も子どもの頃とはだいぶ変わりました。こんな大きな漁港はなくて、岩場と砂浜が組み合わさった遊びやすい海だったんですよ。先輩や後輩と岩場まで競争したりしていました。
私にとって海の水とは、「スパゲッティを茹でる時は海の濃さ」。海水の濃さと同じくらいになるように、塩を入れるんです。料理は手づくりじゃないと食べてくれない娘も「塩加減は海の濃さ!」とよく言っています。
赤沼 竜義 さん(22歳)
遊漁船「赤沼丸」船長
(館山市)
もともと漁師でしたが、船の権利を譲っていただいてから父と兄と3人で遊漁船を動かしています。
生まれた家はすぐそばなので、泳いだのはプールより海が先。シーグラスを集めたり、釣りをしたり、水中メガネをつけて魚を銛で突いたり貝を採ったりしていました。学校にはプールがありましたが、楽しいのは断然海です。
どうやら無鉄砲な子どもだったようで、親の目を盗んでは勝手に海に入って何回も溺れて、そのたびに父に助けられていたそうで、今でもよくからかわれます。
泳ぎは自己流です。浮き輪につかまって兄に付いていったので、自然とバタ足とか覚えて泳げるようになったんじゃないかな。兄は「ここから先は来るなよ、足がつかないからな」と教えてくれました。学校で海に泳ぎに行くことはなくて、遠泳もなかったです。まったく泳げない友だちもいませんね。
漁師は速く泳げるよりも、潜れるかどうかの方が重要です。プールでいくらクロールが速くても、深く潜れるかどうかはまったく別の話です。潜るには、息のつき方も耳抜きも必要で、しかも泳ぎ方はまったく違うんです。
潜るとき、息は少しだけ溜め、頭を下げてスッと海に入っていく。足は力まずヒラヒラと動かして潜っていくんです。足をバタバタさせて潜ろうとする人がいますが、そうすると息が続かなくて海底に長く留まれません。
漁師は年々少なくなっていますので、若い人たちに海に来てもらって海の仕事に興味をもってもらいたいですが、ごみを置いて帰ってしまう人とか遊泳禁止の場所で泳ぐ人とかいるんです。遊泳禁止の場所にはなにかしら理由があるものですし、海はたとえ天気がよくても急に潮が速く動くときがあったり、台風が遠く離れていてもうねりが出ます。だから泳いでもよい場所で、気をつけながら海で遊んでほしいですね。
房総半島南部の海で育った、年代や性別が異なる4人にお話を聞くと、海が近くにない場所で育った場合とは「泳ぐ」の定義が違うことを感じました。艫居進さんが言っていた「ちゃんとは泳げないけれど、溺れない程度には泳げる」が真実なのでしょう。ちゃんとというのは近代泳法を指しますが、物心つくかつかないかのうちに海で泳ぎはじめると、見様見真似でなんとなく泳げるようになっていくそうです。
海の方が体は浮いて泳ぎやすいという声も多かったです。川やプール、つまり淡水で泳ぎにくいのは、野口さんの「川の水は重たい」という表現によく表れています。
海で仕事をする際、速く泳げるかどうかよりも「深く潜れるかどうか」が重要という赤沼さんの指摘も新鮮でした。少しだけ潜るコツも教えていただいたのでこの夏に試してみたいものです。
(2024年5月13日、16日取材)