日本には、川で魚を捕まえたり橋や岩場から川に飛び込んだりする「川ガキ」の文化が昔からあります。
「日本最後の清流」と称される四万十川では「沈下橋から飛び込むときは上流へ」など川で遊ぶ時の知恵が文化として継承されていると聞いて高知県を訪ねました。
(上)岩間沈下橋 (左下)取材中に出会った川ガキの写真 (右下)四万十川の地図
佐竹 貴子さん
株式会社 四万十ドラマ・広報
(四万十市中村地域)
小学校4年生のときに、中村市(現・四万十市)の市街地から四万十川がすぐそばを流れる地域に引っ越しました。それまでは泳ぐのが苦手で、学校のプールの授業は毎回憂鬱でした。
転校先ではみんな泳ぎが上手で、夏休みになると毎日川に泳ぎに行っていたので、私もついて行くようになったんです。そこで近所の中学生に泳ぎを教わってからは楽しくなって、沈下橋からよく飛び込んでいました。浮き輪にお尻をすっぽり入れて、流れに身を任せてどこまで行けるか試す遊びも好きでしたね。「ここは流れが急だから危ない」「飛び込むならここがいい」など、川遊びの先輩たちからいろいろなことを教わりました。
夏の川は涼しくて気持ちいいですが、長く泳いでいると体が冷えるので、しばらく泳いでは岸に上がって休むことも自然と覚えました。中学生になっても夏休みには毎日川に行っていたので、家でクーラーにあたって涼んだ記憶はほとんどありません。
まだ川で泳ぎはじめて間もない頃に、一度だけ溺れかけたことがありました。流れの速いところに吸い込まれてしまって、中学生のお兄さんに助けてもらったんです。家に帰ってそのことを母に話すと、ケロッとしていました。今でこそ危なくてゾッとしますが、当時は溺れかけて泳ぎを覚えていくみたいなところはありましたね。
今は学校が夏休みに入っても、子どもだけで川に行くことが禁止されています。そうなると親が教えない限り川遊びを覚えないので、川で遊ぶ子どももずいぶん減ったと思います。少し寂しいですね。
(注1)沈下橋
増水時に川に沈んでしまうように設計された欄干のない橋のこと。欄干があると流木などが引っかかり水の流れが悪くなって氾濫がよりひどくなる可能性がある。
林 大介さん(65歳)
道の駅「よって西土佐」駅長
(四万十市西土佐地域)
出身は西土佐村(現・四万十市)で、子どもの頃は家の近くにあった長生(ながおい)沈下橋の周辺が遊び場でした。泳いだり釣りをしたり、当時はまだ冬に雪が積もったので、ダンボールと竹でソリをつくって河原でソリ滑りもしました。とにかく一年中、川で遊んでいましたね。
小学生の頃、大水(注2)のときにどうしても沈下橋を渡ってみたくて友達と一緒に渡ったところ、遠くで見ていた親に大目玉を食ったこともあります。やんちゃな川ガキだったので、川遊びで親に叱られるのはつきものでした。
私が小学生だった昭和40年代は、川遊びに関して上級生から教えられたルールがありました。低学年、中学年、高学年で行ける範囲が決まっていて、5・6年生になれば対岸まで横断できるというルールでした。今思えば私が低学年の頃は、いつも上級生が川で遊ぶのを見守ってくれていましたね。
また、「川は場所によって流れが違う」「流心に行くほど温度が下がる」「台風が来ると川底の地形が変わる」といったようなこともすべて上級生に教わりました。私も下級生に同じように伝えていましたよ。そうして川は楽しくもあり怖いものでもあるということを、遊びのなかで自然とみんな覚えていったように思います。たまに川の渡り方を知らないで育った若い人が、川遊び中に命を落とすニュースを見ると心が痛いです。
川は流れがあるのでまっすぐには泳げません。狙った地点へ泳ぐには、30mくらい上流から流れに身を任せてゆっくり泳ぐんです。そうすれば体力を消耗せずちょうどよいポイントに着きます。
今は川遊びが必要以上に制限され、川本来の価値が薄れつつありますが、四万十川の澄んだ水の美しさは昔とほとんど変わっていないように思います。大切な地域の宝です。
(注2)大水
大雨や台風などで河川があふれて多量の水が流れ出ること。
矢野 健一さん(52歳)
川漁師・茶農家
(四万十町十和地域)
通っていた小学校(四万十町立広井小学校。現在は閉校)にはプールがありませんでした。だから夏の水泳の授業は毎回この四万十川。まさにここが「学校のプール」でした。目標物になる岩もあって、もし溺れても少し下れば岩に引っかかります。深さもあまりないので、大人なら歩いて渡れるとてもいい場所なんです。
当時、僕らの小学校では上級生が2〜3人いれば川に遊びに行ってもいいという決まりで、夏休みになると川は遊び場でした。泳ぎも最初は犬かきから始まって、クロール、平泳ぎ、バタフライと上級生を見て覚えました。昔はどこの親も農作業などで忙しかったので、いろんなことを上級生から教わりましたね。今考えると無謀にみえる遊びもしましたが、痛いことも怖いことも、理屈や理論ではなく体で覚えていった感覚です。それでも、当時川で命を落とした人はいませんでした。
僕は現役の川漁師ですが、父もそうだったので、子どもの頃に川で遊んでいると父がよく漁をしていたんです。その様子を間近で見て、アユの釣り方やウナギを捕るための「コロバシ(注3)」の仕掛け方、潜り方など漁に必要なことも学びました。
今でも川にいることがほとんどですね。特に夏は泳ぐわ潜るわ漁もするわで、「まったく連絡が取れない」とよく言われます。おかげで体は健康。以前は関東地方で働いていたこともありましたが、川の近くで暮らしたくて戻ってきました。水たまりを見ても「魚がおらんかな〜」と見てしまうんですよ。
海も好きですが、海は対岸が見えない分少し怖い。川はなんとかなると思えますから、やっぱり川がいいですね。
(注3)コロバシ
竹や木でできたウナギを捕獲するための筒状の仕掛け。
松下 知史さん(27歳)
株式会社 無手無冠・営業
(四万十町十川地域)
僕にとって川は、昔からいろいろな魚を掛ける漁場でした。もちろん泳ぎもしましたよ。夏休みは学校のプールで泳ぐ同級生が多かったなかで、僕たちのグループは川で泳いでいました。実家のすぐ下が川なので、目の前にこれだけきれいな川があれば自然と入りたくなります。川の渡り方も、消防士だった父に教わりました。
今は四万十町の大正地区にある酒蔵で営業の仕事をしていますが、仕事の行き帰りも常に川を見ながら、どこに何を仕掛けようかワクワクしながら考えています。
川にハマったきっかけはウナギです。ウナギは夕方仕掛けて翌朝上げに行くのですが、中学校2年生のときに後輩と仕掛けたはえ縄(注4)にウナギが掛かっているのを見て、「うわーかかったー!」とアドレナリンが出まくりました。あのときのうれしさは忘れられません。今じゃ考えられないですが、当時は川舟もないので、後輩と2人でカゴを抱えて上流まで泳いで仕掛けに行き、翌朝また泳いで行って引き上げていました。
今はアユの火振(ぶ)り漁(注5)などもやりますが、やっぱりウナギを捕るのがいちばん好きですね。ウナギはなかなか捕れないので張り合いがあります。はえ縄の仕掛けは誰かに教わったわけではなく、中学生の頃から試行錯誤して改良を重ねた完全な自己流です。
これだけ楽しい川でも、大雨が降った後は濁流にのまれそうになったこともあります。僕の子どもは1歳ですが、川の楽しさを教えたい半面、危険と隣り合わせなことはさせたくないのも本音ですね。
(注4)はえ縄
1本の幹縄に多数の枝縄をつけ、枝縄の先端に釣り鉤をつけた仕掛け。
(注5)火振り漁
川面で松明を振りながら網に鮎を追い込む伝統漁法。
取材中に、車のなかから「かわがせんせい」と書かれた看板を見かけました。印象的なフレーズだったため調べたところ、子どもたちが川で安全に遊べるようにとつくられた、川遊び初心者のための『川ガキ教科書』のキャッチコピーにもなっていました。
川遊びの楽しさや危険も含め、上級生から教わり遊びのなかで自然と身につけていった、というかつての川ガキたちのエピソードを表すようなコピーです。
今回4人に話を聞きながら、川には川ならではの魅力があることがよくわかりました。「危ないから川に近寄るな」ではなく、川のことを知り、何が危険か把握したうえで楽しく遊ぶ。それが四万十の魅力ある川ガキ文化を育ててきた理由であり、そのことの大切さを改めて教えてもらいました。
(2024年5月19~20日取材)