京都市内の河原町にある六曜社(ろくようしゃ)珈琲店(以下、六曜社)の開店は1950年(昭和25)。半世紀を超える歴史をもつ名店は、大衆的でありながら、丁寧なおもてなし、おいしいコーヒー、客船のキャビンのような重厚な内装が相まって醸し出す雰囲気で、多くの人々を魅了しつづけています。現在、店主を務めるのは創業者の孫の奥野薫平(くんぺい)さん。41歳の三代目が見出す、古きよき喫茶店がもつ価値やそれを守ることの意義について聞きました。
コーヒーに写り込んだ六曜社店内のレトロな照明
六曜社を創業したのは、奥野薫平さんの祖父・實さんと祖母の八重子さん。2人の出会いは敗戦翌年の旧満州だという。實さんは奉天で喫茶店を営んでおり、日本に引き揚げた後、実家があった京都で再び開いたのが六曜社だった。
實さんは戦後の京都で六曜社を人気店に育てるとともに、3人の息子たちも育てた。大人になった彼らは店の経営にかかわるようになったが、そのうちの一人、三男の修さんが薫平さんの父親だ。薫平さんが幼い頃を振り返る。
「父はよく喫茶店を巡っていて、自分も連れて行ってもらっていました。ほとんどが六曜社と同じ個人経営の喫茶店。父は何かを観察するようなそぶりは見せず、そこでの時間をゆったりと味わっているように見えました」
喫茶店にまつわる原体験はもう一つある。同じ京都の老舗〈イノダコーヒ〉での出来事だ。
「名物のスパゲティを頼んだとき、体に合わなかったのか戻してしまった。でも、年配の男性スタッフが、嫌な顔一つせず、ひざまずくようにして片づけてくれた。喫茶店って優しい人がいる場所なんだと心に刻まれました」
薫平さんは高校卒業後、やはり京都の名店の〈前田珈琲〉でアルバイトを始めた。当時は将来を見据えていたわけではなかったが、六曜社を知る同店二代目の代表が、「いずれは家業を継ぐのだろう」と配慮し、自身の父親である創業者のそばで仕事を学ぶ機会を与えてくれた。ほどなくして正社員として登用され、喫茶店の仕事のイロハを学んでいくことに。京都の喫茶文化に抱かれて育ったことが、薫平さんの今につながっていく。
26歳のとき、薫平さんは自分の店を開いた。
「前田珈琲で創業者から二代目にバトンが渡るのを間近で見て、自分も六曜社を引き継ぎたいと思い始めていました。それで父に相談したのですが、断られたんです。当時の六曜社の経営状況がよくないことを知っていて、あとを継がせることに抵抗があったようで」
実家を手伝えないのならと、自らの次のステップとして目指したのが独立だ。薫平さんは同じ京都に開いた店の経営に奔走する。だが、六曜社のそばを通りかかるたび、客足がいまひとつなのはわかった。それが常に気がかりだった。
4年後、修さんが体調を崩し営業が一部止まってしまったのをきっかけに、祖母を通しもう一度六曜社への参画を申し出ると、今度は認められた。2013年(平成25)のことである。以降12年間にわたり、店の先頭に立つ。
薫平さんは、六曜社を現代の流行に合わせたり、店舗の数を増やしたりすることに関心はなかったが、末永く営業を継続していくための変化には意欲的だ。賃貸物件だった建物の購入に踏みきったり、画一的だったサービスに柔軟性をもたせたりといった変革を進めた。
コーヒーにはトレンドがある。焙煎も手がける薫平さんは、今求められているコーヒーがどんなものかは当然把握している。技術的にもそこに近づけられるという自負はある。
「誤解を恐れずにいうと、六曜社で出しているコーヒーは〈おいしくし過ぎないように〉しているんです。少し雑味があって、クセもある、昔ながらの喫茶店らしい六曜社のコーヒーに慣れ親しんでくれている人たちのイメージを崩したくない」
過去を尊重しながら、必要なところを丹念に改めていく。そのこだわりは、長い年月のなかで生まれたバランスにこそ六曜社の魅力は宿っていて、何かを安易に変えるとそれが損なわれるかもしれないという危惧からきているようにも映る。あたかも絵画の修復士や寺社を補修する宮大工のような仕事を、薫平さんは続けている。
祖父母の時代から引き継がれてきた教えに「お客さんのテーブルの時間を守る」というものがある。テーブルを快適に保ち、席での時間をいかに心地よいものにできるかに六曜社はこだわってきた。コーヒーが主役ではない。そこで過ごす時間をどう彩るかの方が大事だとすら言われてきた。
「それを空気のような存在としてやる。気づいたらお冷やが足され、喫煙のできる時間なら灰皿がきれいになっているのが理想です」
セルフサービスが主流のカフェなどでは消えてしまった配慮だ。
「いろいろなことが省かれていっていますよね。人と人のかかわりが減り、そのときに生まれていた感情の動きも失われている。でも、うちのような喫茶店が伝えたい本質は、そこにあるようにも思う」
席数の限られた六曜社では、一部で相席での案内が行なわれている。知り合いではない人と同じテーブルを使ってコーヒーを飲もうとすれば、当然互いの配慮が必要になる。それはストレスや不便でしかなく、省かれるべきものなのか。そこに何らかの意味や価値はないのか。
「こっちの方がいいねと言って来てくれる人がいる限りは、意味はあるはずなんです。だから続けていこうと思えるんですよね」
手応えはある。コロナ禍のもとで、直接人と会うことが難しくなった学生が六曜社に集まりだし、常連が増えたのだという。
「連絡はスマホを使えばいくらでもとれます。でも、顔を合わせて話すのもいいなって、伝わったんじゃないかと思うんです」
伝えたい本質があって、選んでくれる人がいる。だから続ける。原動力は、シンプルな思いにある。
(2024年11月1日取材)