長井市あら町にある「やませ蔵美術館」の庭園を流れる水路。300年の歴史をもつ紬問屋・山清が、五つの蔵を美術館として開放する
人口減少期の地域政策を研究し、自治体や観光協会などに提案している多摩大学教授の中庭光彦さんが「おもしろそうだ」と思う土地を巡る連載です。将来を見据えて、若手による「活きのいい活動」と「地域の魅力づくりの今」を切り取りながら、地域ブランディングの構造を解き明かしていきます。その土地ならではの魅力や思いがけない文化資産、そして思わぬ形で姿を現す現代の水文化・生活文化にご注目ください。今回は、かつて最上川舟運の湊として栄えた山形県長井市を訪れました。
多摩大学経営情報学部事業構想学科教授
中庭 光彦(なかにわ みつひこ)さん
1962年東京都生まれ。中央大学大学院総合政策研究科博士課程退学。専門は地域政策・観光まちづくり。郊外や地方の開発政策史研究を続け、人口減少期における地域経営・サービス産業政策の提案を行なっている。並行して1998年よりミツカン水の文化センターの活動にかかわり、2014年よりアドバイザー。主な著書に『オーラルヒストリー・多摩ニュータウン』(中央大学出版部 2010)、『NPOの底力』(水曜社 2004)ほか。
山形県長井市は水のまちだ。
長井の骨格は江戸時代中期、最上川舟運による大商人の成長、最上川支流・野川の治水、そして良質な水。この三つから成立した。それだけなら「今も残る水文化都市の魅力」の話なのだが、今回紹介するのは、この地方都市に、40歳代を中心におもしろい発想をしている人々である。
長井市の人口は約2万7700人。合計特殊出生率は1.56(2015年)と、全国平均を上回っている。ここで魅力ある地域文化をつくろうとしている人々を紹介しよう。
長井という地名は、「水が集まる地」を意味している。福島県浪江町請戸(うけど)で営業していた鈴木酒造店は天保年間には操業を始めていた。しかし、2011年(平成23)の東日本大震災で建屋が消失。そのころ、水のよい長井では、1931年(昭和6)に創業した東洋酒造が営業をやめることになり、鈴木酒造店は東洋酒造の株式を取得し、新たに「鈴木酒造店長井蔵」として再出発した。
酒造りは土地の風土の産物だ。浪江の標高はほぼ0mに近かったが、長井は200m弱ある。このため、米を蒸すときに沸点が違う。水も浪江は硬水で、海が近いからクロール(Cl=電解質成分の一種)が多く米が溶けやすかった。一方、長井は軟水。輪郭がある軟水で、一長一短あると専務の鈴木大介さんは言う。
「すごいと思ったのは、常温貯蔵すると普通は大味になるが、ここは味がきれいになっていく。水源地の朝日連峰も、白神山地の五倍のブナ林がある。水に関してはほんとうに条件がよい」
酒米を仕入れている農家四軒のうち三軒には後継者もいるので、この水と高品質の米でよいものをつくり、次の世代につなげていきたいと今の思いを話していただいた。
まさに酒造店にとって水は資本そのものだ。
長井の水資本を形成したのは、江戸時代の米沢藩と商家たちだ。
長井は上杉家米沢藩領だった。江戸初期、米沢藩の課題は食料増産と米の物流路確保であった。
地図を見ると、米沢から河口の酒田が最上川で結ばれているように見えるが、途中の荒砥(あらと)付近は流れの速い浅瀬で通船が不可能だった。このため米沢藩の御用商人西村久左衛門が川筋普請を行ない、1694年(元禄7)に開削した。これにより宮村(現・長井市)から米を積み出すことができ、御陣屋と上米(あげまい)役場が設置された。
宮村より上流は、水量が多い時期が短いこともあり、米沢藩の最上川舟運の起点が現在の長井だった。
「宮舟場」から積み出す荷物は米、材木、蝋(ろう)、酒田からの上り荷は塩、砂糖、古手物(中古衣料)、いさば物(干魚)で、これらを取り扱う問屋商人が、宮、そして後につくられた「小出舟場」、すなわち現在の長井に集まり発展した。
こうした大店がつくった商い空間の一つが、今も残る「あら町」だ。山清は江戸時代から続いた紬問屋で10ある蔵の5棟を今は美術館としている。「やませ蔵美術館」だ。水路が這う庭は見事で、往事の富を想像することができる。
ほかにも1789年(寛政元)創業の山一醤油店。1907年(明治40)創業のお茶屋「やまいち松龍園」。その並びには江戸時代から続く着物屋「いちまた」。どの大店にも奥に庭園があり、引き水されている。池にはコイが泳いでいる。
「いちまた」社長の斉藤直也さんは八代目だ。ちょっと風合いが異なる着物をお召しだったので伺うと、デニム生地を紅花で染めたもの。しかも帯ではなくガンベルトをしていらっしゃる。
「若い方が、普段着やすい着物を提供したい」と新たな商品を提案されている。値段は3万円。一ケタ違いで安い。着てみたいと思える逸品だった。
今に至る大店の水利空間をつくり出した最上川舟運だったが、当初は心配もあったろう。というのも、ここは野川の水害の危険にさらされていたからだ。
1757年(宝暦7)、1769年(明和6)と大水害に襲われている。長井の中心を流れ最上川に注ぐ野川は暴れ川だった。
現地に立つとわかるが、野川は朝日連峰に源を発し南下するが、急に東に屈曲し長井に入り扇状地を形成し最上川に流れ込む。NPO最上川リバーツーリズムネットワーク代表理事の佐藤五郎さんによると、20kmの間を1400m下るという。溢れないわけがない。川筋が安定しなければ、長井の商いは育たないばかりか村そのものが荒廃してしまう。
そこで造営されたのが「平山の締切堤防」。1775年(安永4)に竣工した。野川が平野部に出る扇頂部(せんちょうぶ)の右岸に野面積(のづらづ)みによる大堤防をつくったのだ。これが現在も残っている。
1906年(明治39)にも大修復されている。このおかげで野川の河道が固定され、商都としての基盤が整った。生産力を維持する開発努力を、この遺跡は教えてくれる。
きれいな水の条件が水害の要因にもなる。日本にはこうした場がいくつもあるが、長井もその一つであった。
この長井市は、現在おもしろい活動が連鎖しており、実際にそうした人々に話を伺った。と私が書いても、なかなか伝えるのが難しい。
地域づくりというのは、人のネットワークが地域資源を適切に利用し価値を生み出すことで、事例ごとに特徴がある。そこで、今回は若手活動者として活躍されている3人にお話を聞き、それぞれ5分で人脈図を書いていただいたものを合成して一つの人々のネットワーク図をつくってみた。
最初にお話を伺ったのは、和菓子「風林堂」の鈴木英明さんだ。1912年(明治45)創業で、四代目主人だ。長井にはお茶の先生が多いというのだが、地元では茶席と菓子の代名詞が風林堂だという。
鈴木さんはもう一枚名刺を出された。「俺たちの株式会社 楽街(らくまち)」。自分たちのまちは自分たちでおもしろくする、とイベントを行ない、定期的に情報交換を行なう姿がSNSで伝わってくる。主に空き店舗利用を進めている。
次は秋元悟さん。東京都青梅市出身だが、地域おこし協力隊として市役所商工観光課に所属する。と書くと普通だが、この方、世界的に有名な「けん玉のレジェンド」なのだ。
長井市は競技用けん玉生産日本一なのだが、秋元さんはけん玉パフォーマンス大会で2回優勝し、2014年(平成26)に開かれた第1回けん玉ワールドカップでは3位に入賞している。ちなみに、この時の1、2位はアメリカの選手だった。これを聞いて、けん玉競技人口の世界的な広さに驚き入ってしまった。
長井駅前に「けん玉ひろばスパイク」がある。いわば道場のようなものだが、上達するにつれ、級、段が上がっていく。「これからはけん玉をする人を増やし、外から長井に引き込み、知ってもらいたい」と話す。
三番目にお会いしたのは、フォトグラファーで長井青年会議所まちみらい委員会担当理事の船山裕紀さんだ。
高校まで長井の中心部に住んでいて、その後東京に出たが数年で長井に帰り、バンド活動をしているうちにフォトグラファー、デザイン、企画が仕事になってきたという。
今は長井の北西部にある西根の草岡新町の空き家に入り住んでいる。船山さんが言うには「ここは周囲と比べても出生率が高く、市のほかの場とは様子が違う。調べてみると、僕らの世代が子どもを産んでいる。つまり、僕らの親世代が祭りなどをやって僕らに帰属意識を植え付け、僕らはその影響で戻ってきているのではないか」。
そのことがわかるのが草岡新町だ。長井市の中心部では消えたような、コミュニティの契約関係が草岡新町には今も濃厚に残っているという。コミュニティの共益費も月数千円払っている。その結果、人が居つづけており、これを船山さんは「やる気の貯金」と表現した。
同じ事を市内でも広げるため、船山さんは「ぼくらの文楽(ぶんがく)」というお祭りを仲間と開催している。長井に住む人および活動する団体が出演し、市内外から毎年およそ3000人が集うイベントだ。
この3人に書いていただいたパーソナルネットワーク図を見ると、いかに多くの人々が長井でつながっているのかがわかると同時に、つながりが多い人、つまりハブになっている中心者もわかってくる。この3人が多いのは当然なのだが、そのほかにも中心者がいる。こうした人は、外の世界の人々との橋渡し役でもある。
秋元さんは、けん玉の世界ではグローバルネットワークをもっているのだが、これをどう長井市につなげるのか、船山さんたちの腕の見せどころかもしれない。
このようにパーソナルネットワークは主人公でもあり、資源でもある。
元気な地域に共通しているのだが、なぜかおもしろい人はみんな自営業だ。しかも長井では江戸時代からの商人の末裔たちが、舟運ではなく、SNSとアナログ、両方のネットを使って情報を商いしている。
長井には、物流・交流拠点として文化に結晶した「商いの歴史遺産」、「おもしろい事業を創発する人々のネットワーク」、「水のおいしさという、地域資本」が複合している。水のおかげで電子部品などの中堅企業も、多数立地した。
つまり、心配しないでおもしろい取り組みができるという魅力が湧き出ている土地だった。情報を流す水路のまち――それが現在の長井である。
安心を生む水資本は、情報から価値を生み出す商人的活動をも後押しする。
(2016年12月26〜27日取材)