さとう宗幸さんのヒット曲『青葉城恋歌』でその名が知られる宮城県仙台市の「広瀬川」。水源から河口まで仙台市域内で完結する流路延長45km、流域面積360km²。一級河川名取川の支流です。杜の都のシンボルであるこの広瀬川を舞台に、誰でも参加できるネットワーク組織として設立されたのが「広瀬川市民会議」。人材不足に悩みながらも、市民や市民団体・NPOから寄せられたさまざまなプランを実現しています。
広瀬川市民会議 会長
広瀬川一万人プロジェクト 実行委員長
工藤 秀也(くどう ひでや) さん
仙台市建設局 百年の杜推進部 河川課 広瀬川創生室 主事
吉川 登(よしかわ のぼる)さん
広瀬川は、山形県境に近い奥羽山脈・関山峠付近を水源として仙台市域を流れ、名取川に合流したあと太平洋に注いでいます。東北一の規模をもつ100万都市の市街地にありながらもサケやアユが遡上しチョウゲンボウが舞う豊かな自然と、切り立った自然崖が織り成す見事な景観が特徴です。
自然崖は河道変遷によって生まれたもの。1601年(慶長6)に伊達政宗が広瀬川を見下ろす青葉山に仙台城を築き、川を挟んで城下町を形成したのは、険しい崖が天然の要害として有効だったからだそうです。歴史にその名が登場したのはかなり古く、鎌倉時代後期の『吾妻鏡』。源頼朝の奥州征伐に記述が残っています。
広瀬川は上・中・下流域それぞれで印象が大きく変わります。両側に切り立った崖と透き通るような清らかな水の上流域、ビル・マンション群とのコントラストが印象的な中流域、両岸に緑地を備え広々とした雰囲気の下流域――。市内で育った人の多くは小学校時代に広瀬川で写生大会を経験していますし、秋になれば里芋や豚肉を味噌で煮込む「芋煮会」がそこかしこで開かれています。
このように仙台市民が四季を通じて親しむ広瀬川を舞台に、誰でも参加できるネットワーク組織として設立されたのが「広瀬川市民会議」(以下、市民会議)です。
2001年(平成13)に迎える仙台開府400年を前に、当時の藤井黎(ふじい はじむ)市長を中心に、仙台市は市の資産を継承して21世紀のまちづくりの新たな起点とする「仙台開府四百年記念事業」を大々的に行ないました。その一環として2004年(平成16)4月に市民会議が発足。市民が川に親しむイベントや広瀬川の環境問題および利活用に関する勉強会などさまざまな事業を実施しています。
また、広瀬川に関する各機関の調整や情報の受発信、市民からの問い合わせや相談を受ける窓口として仙台市に「広瀬川創生室」も新設されました。広瀬川創生室の主事を務める吉川登さんは「発足当時、市民会議は20団体ほどかかわり、メンバーは100人近くになったこともあります」と振り返ります。
市民団体・NPO、企業、行政が連携して市民・行政共通の行動計画「広瀬川創生プラン」(以下、創生プラン)をつくりあげたことも新しい試みでした。数年間の準備を経て2005年(平成17)3月に発表された創生プランは、みんなで考えた「広瀬川でやってみたいこと」がぎっしりつまったもの。計画期間は2014年(平成26)度までの10年間。2009年(平成21)度末に中間見直しを行ない、現在は64のプランが進行しています。
市民会議の会長を務める工藤秀也さんは、東京で勤めながら定年後の生活拠点を探していました。そしてたまたま訪れた広瀬川上流域の自然と景観に一目惚れ。山小屋を購入してしばらくは東京と仙台を往復したあと、2001年(平成13)に移り住みました。毎日のように渓流釣りを楽しみ、憧れだった田舎暮らしを満喫していましたが、「水はきれいなのにゴミだらけ」(工藤さん)の状況に危機感を感じます。
折しも広瀬川流域では市民会議や創生プランを準備している最中。広瀬川創生プラン素案づくり実行委員会が募集していた「広瀬川への手紙」に、工藤さんは「上流域の豊かな自然を守るべきだ」と投稿します。これを機にグリーンパワー作並という団体を立ち上げ、住民80名とともにゴミ拾いや上流域の魅力を発信するボランティア活動をスタートします。
その後、ひょんなことから藤井市長とクラシック音楽など共通の趣味を通じて懇意になり、工藤さんも市民会議にかかわることになったのです。工藤さんは「静かに余生を送ろうと移り住んだのに予想外でした」と苦笑しますが、吉川さんは「工藤さんがいなければ市民会議は成り立ちません」と信頼を寄せています。
株式会社鷹泉閣岩松旅舘 支配人
畑中 健一 さん
株式会社仙台ニッカサービス 営業部 部長
岡島 君夫 さん
市民会議が上流域で実施しているのは毎年7月の「作並かっぱ祭り」です。2008年(平成20)からスタートした子ども向けの川遊びイベントを企業がしっかりサポートしています。
作並温泉の鷹泉閣(ようせんかく)岩松旅舘(以下、岩松旅舘)は1796年(寛政8)創業という老舗で、川べりに自噴する岩風呂が有名です。実際に見せていただいたところ、岩風呂は川のなかにあると言っても過言ではないもの。川床からも温泉が湧き出ているそうです。しかし、川筋が狭いために台風や豪雨で増水すると岩風呂も濁流に飲まれてしまいます。15年前には建屋が流されたこともありました。
復旧にはたいへんな労力がかかりますが、支配人の畑中健一さんは「たいしたことではありません。広瀬川あってこその岩風呂。これは宿命です」と笑います。畑中さんは生粋の仙台っ子。広瀬川の中流域に住んでいたので川辺にはよく遊びに行ったそうです。夏は上流域で沢遊び、秋は仙台名物の芋煮会。なにもせずボーっと眺めているだけで心が和んだと言います。
上流域は崖が深く川に下りられる場所が少ないのが目下の悩み。宿泊客から「川沿いを歩きたい」という要望になんとかこたえたいと畑中さんは考えています。
広瀬川の清らかな水は、観光客だけでなく洋酒メーカーも引き寄せました。1969年(昭和44)、ニッカウヰスキーは広瀬川と広瀬川の支流、新川(にっかわ)の合流点付近に蒸溜所を竣工しました。創業の地、北海道・余市に次ぐ二番目の蒸溜所「宮城峡蒸溜所」です。
川と川に挟まれたこの地は、清冽な水、澄んだ空気、冷涼かつ湿潤な気候というウイスキーづくりにとって大切な条件をすべて満たしていました。社員が偶然見つけたこの土地を気に入った創業者の竹鶴政孝さんは「できるだけ自然を壊さないように」と厳しい指令を出します。
建物の高さがすべて違うのは、地形を残すために土木造成で平地にすることなく、工場の基礎部分だけを平らにしたからです。また、もともとあったクヌギやコナラなどをなるべく伐らなかったので、今もそこかしこにドングリが転がっています。建物をすべてレンガ(セラミックブロック)造りにしているのは、自然の景観を損ねないようにとの配慮でした。電線を埋設したのも同じ理由です。
ウイスキー愛好家の多くが東京や大阪に住んでいた当時、遠く離れた地に、しかも建屋にコストをかけるのは経営面から見ると非常識なことでした。案内してくれた株式会社仙台ニッカサービス 営業部 部長の岡島君夫さんは「手前味噌かもしれませんが、創業者の竹鶴を『すごいな』と思います」と言います。自然に負荷をかけないように配慮したことで、竣工から現在に至るまで、宮城峡蒸溜所の水はすべて新川の伏流水で賄うことができています。
広瀬川および支流・新川の恩恵を受けて事業を営む岩松旅舘とニッカウヰスキー宮城峡蒸溜所は、作並かっぱ祭りの実行委員会に名を連ね、スポンサーにもなっています。作並温泉の旅館関係者はスタッフとして協力。ニッカウヰスキーはスタッフとしての協力に加え会場として敷地を開放し、駐車場も提供しています。
たった1日で500人を集める作並かっぱ祭り。市街地からの参加者も多く、夏のイベントとして定着しています。その陰には市民会議と企業のコラボレーションがあったのです。
株式会社 深松組 代表取締役社長
広瀬川一万人プロジェクト 実行副委員長
深松 努 さん
上流域で作並かっぱ祭りが生まれた背景には「広瀬川一万人プロジェクト」(以下、一万人プロジェクト)における市民と企業と行政の協働がありました。
一万人プロジェクトとは、市民会議が事務局を務め、企業・市民活動団体・NPO・行政による実行委員会を組織し、毎年4月と9月の最終土曜日に流域一斉河川清掃(以下、一斉清掃)を行なうものです。キーワードを一万人としたのは「100万都市・仙台の1%の人たちに携わってほしい」という思いから。広瀬川への関心と親近感を市民にもってもらうため、芋煮会や餅つき、カヌーの試乗会なども実施します。2002年(平成14)にスタート(当時の名称は広瀬川一万人委員会)、16回目となる2013年(平成24)秋の一斉清掃でとうとう累計参加者数1万人を突破しました。
2013年の秋の一斉清掃は、上流域の作並から河口付近の閖上大橋に至る流域14会場で実施され、1532人が参加しました。中流域の澱橋(よどみばし)会場では、主旨に賛同して参加する企業の社員や地域住民など260名が短時間で40袋相当のゴミを集めました。
一万人プロジェクトの実行副委員長を務める深松組代表取締役社長の深松努さんに話を聞きました。この日、深松組は社員およそ30人が参加。会場担当者も社員が務めています。企業として広瀬川にかかわるようになったのは8年前のこと。県庁職員の紹介で工藤さんたち市民会議の人たちと出会い「危険な川辺のゴミ撤去を手伝ってほしい」と依頼されたのです。深松さんは二つ返事で引き受けました。「私たちの仕事は力仕事ですし、体力のある若い社員も多いです。言い方は失礼かもしれませんが、『こんな高齢の方々が広瀬川をきれいにしようとしていたのか!』と感動したのです」と語る深松さん。自転車や車のタイヤなど大きなゴミがたくさん捨てられていたそうです。
それまで地域活動で広瀬川に携わったことはありませんでしたが、深松さんも仙台育ち。写生大会や遠足、花火大会など子どもの頃から広瀬川とは切っても切れない関係です。ましてや深松組は88年前に仙台で創業した地元企業。「地域あっての企業ですから」と深松さんは企業が参加することに意義を感じています。
心がけているのは「とにかくきれいな状態を保つこと」。今の姿からは想像するのが難しいほど、草が背高く生い茂っていて、ゴミも多くて汚かったそうです。澱橋付近は高校が多く、草が生い茂っていると隠れてタバコを吸う子たちも来るので、見通しをよくするためにも草刈りは欠かせません。行政からの委託で行なう年数回の作業だけでは追いつかないため、業務の合間に社員を動員してボランティアで草刈りもしています。「いつもきれいなら不思議とゴミを捨てる人もいなくなるのですよ」と深松さん。
見違えるようにきれいになった川辺と深松さんたちの活動を見て、「私たちもやらなければ」と町内会の人たちも参加するようになりました。八幡町(はちまんまち)角五郎丁北部町内会の加藤晴美さんは4年前に「広瀬川を楽しむ会」というグループを立ち上げ、その仲間と町内会に声をかけてみんなで参加しています。
「企業は企業、住民は住民。そういう活動が多いなか、この地区は住民と企業が一緒になって守っていこうとしている。とても珍しいと思います」と言う加藤さん。深松さんは「『こんなにきれいにしてくれたから、私たちもやらなければ』と自ら参加しはじめたことがうれしかったですね。『ありがとう』と感謝されるから、社員もみんなやるのが当たり前だと思っています」と言います。
こうした地道な活動を継続するのは大変です。それでも深松組がつづけられるのは、住民の共鳴がモチベーションになっているからなのです。
一万人プロジェクトの実行委員会に参画した企業・団体は、国土交通省、宮城県、仙台市などの公共事業入札総合評価制度における評価対象となります。ボランティア活動への参加実績が加算されるのですが、深松さんいわく「ポイントは微々たるものですし、それを目的に参加してはいません」。ただし、新たな企業が広瀬川にかかわるきっかけにはなるかもしれないと見ています。
工藤さんたちと知り合って広瀬川にかかわりはじめた深松さんは、いずれこの活動を若い人たちに引き継ぎたいので、今はその土台づくりの時期だと考えています。「サケが上ってくるし、カジカもアユもたくさんいます。広瀬川は仙台市民の宝なんです。だからこういう活動に携わっている今は最高ですね」とにこやかに話してくれました。
市民会議はこのほかにいくつもの活動を同時に行なっています。秋の一斉清掃で深松さんに話を聞いた澱橋会場の緑地では、11月上旬に「広瀬川サケ・プロジェクト」(以下、サケ・プロジェクト)担当の菅原正徳さんほか数名がサケの産卵のための水道(みずみち)をつくっていました。菅原さんは、一万人プロジェクトの事務局も兼務しています。
サケ・プロジェクトは、2011年(平成23)から市民会議が河川環境管理財団の助成を受けてスタートしたもの。市民に広瀬川を遡上するサケの姿を実際に見てもらったり、生態を学ぶことで川への関心を高め、好ましい河川環境のあり方をともに模索することが狙いです。学校や家庭で飼育したサケの稚魚を放流する「サケ見送り隊」などの活動を行なっています。
今回はサケやサクラマスの降河回遊行動を研究している宮城教育大学の棟方有宗准教授と研究室のメンバーの力を借りての作業です。広瀬川には毎年サケが遡上してきますが、産卵には適度に緩やかな流れと細かな砂利の川床が必要。澱橋上流の中洲の分流は産卵に適した条件を満たしているので、川の水が流れやすくなるように障害となる岩をどかし、川床に転がる大きな石も移動します。子どもたちは川のなかに石を積み上げて堰きとめる遊びが大好きですが、それをすると流れがよどんでしまって、サケの産卵場所に適さなくなってしまいます。菅原さんたちは、作業の傍らサケの産卵行動を動画で撮影。後日HPで公開する予定です。
「2013年の秋は台風で水量が増したことが幸いしました。サケが堰を乗り越えなくても上流に行けたのです。作並駅の手前、熊ヶ根まで遡上しているようです」と嬉しそうに話す菅原さん。広瀬川には愛宕堰、郡山堰など数か所に堰が設けられています。魚道はあるものの、サケにとっては体力を消耗する大仕事です。菅原さんは「いずれ堰の抜本的な改造が必要ですが、今は広瀬川に興味をもつ市民を増やすことを優先しています」と言いました。
サケの障壁となっている愛宕堰と郡山堰。そのあいだの左岸には宮沢緑地公園が広がっています。本来、河川敷は県の管轄ですが、仙台市が公園として管理しています。ここは2006年(平成18)から毎年ゴールデンウイークに家族で楽しめるイベント「広瀬川で遊ぼう」の会場です。鯉のぼりを吊るして屋台やフリーマーケットで賑わい、2013年は「ペットボトル・ロケット」も登場するなど、3日間で3,800人が参加しました。
宮沢公園緑地には2009年(平成21)8月から貸しボートが復活しました。これも創生プランの一つに挙げられていたものです。12艘のボートで営業するのは、工藤さんも理事に名を連ねるNPO法人 広瀬川ボートくらぶ。しかし、事務局長を務める鈴木徹郎さんは「19年ぶりに復活したオープン当初に比べ、利用客がだんだん少なくなっています」と語ります。2013年の秋、1日限定で焼きそば、コーヒー、フランクフルトなどの飲食を提供したところ「『今日だけなの?』と聞かれた」(鈴木さん)と大きな反響を呼びました。吉川さんは、県や地元の商店街と協議して、2014年(平成25)度も飲食を提供したい考えです。
ただし、これらのイベントや事業はたんなる賑わい創出ではありません。目的はあくまでも「広瀬川を体感してもらい、より多くの人に参加を促すこと」です。
公益財団法人 仙台ひと・まち交流財団 片平市民センター
渡邉 操 さん
ここまで広瀬川流域における市民会議の活動を見てきました。誰でも参加できるネットワーク組織として立ち上げられた市民会議が、企業や市民とともにさまざまな事業・イベントを行なっていることがわかっていただけたと思います。
ところが、実は市民会議の活動はかなり厳しい状況に追い込まれています。発足当時、100人近くいたメンバーは現在24人。しかも毎週水曜日に市庁舎で開かれる定例会議に出席するコアメンバーは工藤さんを含めたった3人です。市民会議をサポートする吉川さんは「当初はさまざまな団体・NPOのリーダーが集まったのですが、ご自身の団体の活動が忙しく、抜けていってしまいました」と実情を明かします。工藤さんたちの奮闘で、なんとか続いている事業が多いそうです。
「市民会議のスキーム自体はすばらしいものですが、独自の財源がありません。イベントごとに市から予算はつきますが、それはあくまでイベント用。個々の団体の収入にはなりません。自分の活動に専念したいという気持ちは理解できます」と言う工藤さん。メンバーが減ったのは活動資金の問題が大きいのです。創生プランを実施するために市民ファンドをつくろうという構想は初期からあったものの、実現には至りませんでした。ただし、最近ある企業から市民会議に100万円単位の寄付がありました。工藤さんはこれを原資として運用し、活動資金にあてたい考えです。
もう1つの問題は、各団体・NPOの方針の違いから意見の衝突がしばしば起きること。同じ河川環境をテーマにしていても、「歩きやすいように遊歩道をつけてはどうか」という団体がある一方で「手つかずの自然がいちばんだ」と考える団体もいます。吉川さんは「皆さんの想いが強い分、会の方向性を決めるのも難しいんですね。工藤さんもきっと歯がゆかったはずです」と言いました。
会員向けの『広瀬川市民会議ニュース』で工藤さんが呼びかけても新たな人材は出てきません。ならば見つけるしかありません。今回見聞きしたなかで、人材発掘につながるのではないかと期待できる活動がありました。仙台市片平市民センターで実施中の「ボランティアガイドと歩く広瀬川」です。
2013年4月から6月、仙台・宮城ディスティネーションキャンペーンに合わせて13回開催された「ボランティアガイドと歩く仙台・広瀬川」は、仙台市民が観光客に向けて広瀬川の歴史や自然を紹介するまち歩きの企画でした。82人の参加を得て終了しましたが、ガイドを務めた人たちから「このまま解散するのはもったいない」との声があがったため、2013年9月以降も参加者を募り、月1〜2回のペースで広瀬川の案内を続けることになったのです。
仙台市片平市民センターで市民の地域活動をコーディネートしている公益財団法人 仙台ひと・まち交流財団の渡邉操さんによると、申し込みが殺到し、初日の正午には定員に達したそうです。参加者は市政だよりや同センターの掲示板を見た人ですから、観光客ではなく仙台市民。広瀬川に関心のある人は思った以上に多いのです。
たしかに、2009年(平成21)の夏に実施した創生プランの中間見直しに関する市民アンケート調査でも、「創生プランに掲げられている活動に参加・協力したいか」という質問に「参加・協力したいと思う」と答えた人は76%もいました。
もしかすると、すでに活動している人たちではなく、まだ広瀬川にかかわったことのない人たちのなかに人材が眠っているかもしれません。広瀬川ボランティアガイドに対する市民の参加意欲を知り、工藤さんは興味をもったようでした。
片平市民センターでは、シニア対象の運動会を「それなりの運動会」というユニークな名前をつけて開催するなど市民を巻き込む活動を続けています。たんなる参加者から「お手伝いしてくれるスタッフ」にするコツは「時間をかけてアプローチして『気づいたら巻き込まれていた』というやり方でしょうね」と笑います。このあたりも人材発掘に参考になりそうです。工藤さんも「イベントに参加するだけ」の市民をもっと深く巻き込むための物語(ストーリー)を模索しています。
まちづくり、地域活動にはケタ外れの情熱をもった人物が必要ですが、そういう「人」を見つけることはきわめて困難です。しかし、広瀬川にはいろいろな人の思いやアイディアを受け入れる市民会議があります。企業とも行政ともつながっていて、豊富なノウハウをもつ受け皿があるのは大きなアドバンテージなはず。次を担う人材をいかに発掘し育てるか――広瀬川の将来はそこにかかっています。
(2013年9月28日、11月3〜4日)