『台所空間学』『日本人の住まい方を愛しなさい』等の著書で、かねてより日本の台所のありかたに警鐘をならし、「住まいの中の水系を考えなさい」と訴えてきたのが山口昌伴さんです。今回は、その山口さんに、台所に興味をもったきっかけからはじまり、住まいの水系という考え方をうかがいました。
GK道具学研究所長・道具学会事務局長
山口 昌伴 やまぐち まさとも
1937年生まれ。早稲田大学第II理工学部建築学科卒業。10年間建築設計監理に従事の後、研究の道に入り、現職(道具学、生活学、住居学)。
主な著書に『台所空間学摘録版』(建築資料研究社、2000)、『図面を引かない住まいの設計術』(王国社、2000)、『日本人の住まい方を愛しなさい』(王国社、2002)、『世界一周「台所の旅」』(角川Oneテーマ21、2001)他多数。
私が大学生の頃は、住宅の授業がたったの6時間。それも、有名建築家の住宅作品の図面を模写するぐらいでして、そこには食生活もなければ、老人も体の不自由な人もいない。当時の大学における「住宅」は、その程度のあつかいでした。
その後、設計事務所に務め、住宅も多く扱いました。当時、私より少し歳上の一群の建築家たちが、戦後のモダン住宅の先導者でした。清家清さん、林雅子さんをはじめ、そうそうたる建築家が、住宅史に残る住宅作品を残しています。その方達から、「住宅設計はおもしろい」と意欲をかき立てられたのですね。
当時は、「生活を新しくしよう」という姿勢をみんながもっていた。ただし、その方向が、西欧モデル志向という点で、私は大きく間違っていたと、いま断罪してるんです。そういう意味では、住宅公団も方向は間違っていた。けれども、住宅の設計提案を通じて国民の住生活のあり方を啓蒙していこうという強い姿勢を持っていた。それには感心しています。
よく、釣りの世界では、「ヘラから入ってヘラにおわる」といいます。ヘラ鮒は子どもでも釣れる。途中いろいろ釣って、最後に奥の深いヘラ鮒釣りにたち戻るんです。住宅も同じでして、学生の段階でも、設計できたつもりになってしまう。私が「住宅の設計は奥が深いな」と感じ始めるようになったのは、ちょうど10年選手になった頃です。そこで設計の世界からは身を引きました。
というのは、10年も経ちますと、設計者は建て主と真正面で対立します。そのような時に、私たちが勉強した住宅設計の理念が、住み手には全然通用しない。こちらも、後生大事にしてきた設計理念がホンモノだったのかなァ、と自信を失ってしまうわけです。そこで、ことに日本の、この自然環境と文化環境の中で、生活場はどうあるべきなのか、西欧モデル追従じゃなくて、日本型の居住モデルをつくり出さなくては、と生活研究を始めたわけです。
西欧モデルを適用した日本のモダン住宅の設計理念は大正時代にできあがってしまっています。最初に部屋割りがあり、個室をいくつつくるかが決められ、残ったところにリビングルームと書き込んで、そのはじっこが台所。大正文化住宅も住宅公団nLDKも、基本的コンセプトは1タイプで、現代の住宅は、そのバリエーションを無限につくり出しているにすぎないんです。
ですから、現在、住宅メーカーがつくる様々なプラン集を見ますと、それなりにうまいものが集められています。実にうまい。しかし、根本的な設計思想が、私は間違っていると思うのです。
台所についてもまったく同じことが云えまして、システムキッチンも、コンセプトは全部同じ、一生懸命に細かな違いはつくっていますが、タイプは一つといってよいでしょう。唯一つ、西欧モデル・タイプなんです。
そこで、台所の設計思想についてお話ししなくてはなりません。
生活とは何か?生活の中味、生活内容の中心は、日本ではいま「食べること」です。その「食べること」が端に追いやられているのが西欧式のキッチンです。西洋の人は、調理をあまり好みません。調理ぎらいです。元はメイドさんが行っていた家事労働を奥さんが行わねばならなくなり、そのような労働から婦人を開放しようというコンセプトでキッチンがつくられています。日本のように「豊かさ」とか「楽しみ」を調理に持ち込むのではなく、「家事は必要悪。だから減らそう」という考えの上に成立しているのが西欧式のキッチンなのです。
その西欧モデルのキッチンを、日本に移入しようとするのは間違いなのです。なぜ間違いか。西欧という言葉で私たちがイメージしているエリアは実は北国です。札幌が北緯42度ですが、パリは51度、ロンドンは52度です。冬は暗くて長く、そこは「冬と、その他の季節」がある生活です。冬を越すために、その他の季節に食物をつくり、冬に入る前にバター、チーズなど加工食品にするわけですね。加工食品を調理するには、キッチンは簡単でいいのです。だから、包丁1本でもきちんと置き場所が決められ、キッチンをシステマティックに設計することができる。西欧は、冬とそれ以外の時期から成る「二季の世界」で、西欧型キッチンとは、それに対応した「二季のキッチン」なのです。
ところが、日本には四季があり、季節を追って暮らしています。それだけに食材も多種多様であり、当然のことながら季節に応じて作業するスペースや道具の対応が必要です。西欧のキッチンでの「能率」とは、その日その都度調理の能率です。四季という3ヶ月毎の食べる暮らしの変容に応じた能率という意味ではけっしてない。
日本では、かつて自分の家でホームメイドの加工食品をつくりました。味噌などはいろいろなことに使えて便利ですしね。作るには3日間程かかる大仕事ですが、できあがれば3年間は食べられる。そこに本当の能率が、実はかなえられていたのです。
四季を追い、一年の計での能率と美味をかなえていくには、西欧キッチンをモデルにして矮小化されてきた今の日本の台所は、あまりに狭すぎます。食は生活の中心ですから、生活スペースの5割ぐらいを占めてもいいのではないかと思いますが。
日本の台所の歴史を振り返ると、ひとつの大きな断絶があります。例えば、農家の台所では、主婦も男どもと一緒に働いていました。その上に家族を食べさせていくのだから、能率は命に関わるニーズでした。
その結果出来上がった農家の台所は、現代人には一見雑然としていてバラバラに見えるかもしれませんが、その日その都度の能率でなく、ロングスパンの本当の能率を考えた、真の豊かさを実現するためにつくりあげた「ロングスパン型のプロセスキッチン」だったのです。
その土間を縦長にして圧縮したのが町家の台所です。やはり土間があり、裏まで抜けられて、庭があって、菜園もある。
このような使われ方を否定する考え方が西欧型キッチンで、突然やって来るわけです。台所とキッチンの間は断絶しているのです。
このあたりの台所の歴史については、『台所空間学摘録版』(建築資料研究社、2000)にも詳しく記しています。
僕の師匠の今和次郎先生が昭和36年に提唱した農家の住宅設計の考え方があります(下図)。これを見ると、台所、応接間、事務コーナーも土間で、浴室にも土間から入れるようになっている。高床にくつろぐ高齢者は食事の際には上がりかまちに腰かける。高床はくつろぎと就寝の空間です。この図をよく見ると、実は純洋風の空間の使い方になっている。そういう意味で、とっても愉快な図です。畳の間がつながっているのは、ベッドがつながっているのと同じなんです。ベッドに休む時は、西洋人も靴を脱ぎますね。
【今 和次郎(こん わじろう) 1888〜1973】
東京美術学校(現・東京芸術大学)卒業後、早稲田大学に迎えられる。柳田国男のもとで農村民家の調査研究を行ったが、その後民俗学的手法を同時代の生活改善に生かすために、「考現学」(考古学ではない)を提唱した。多数の風俗・生活風景を得意のスケッチで残し、その業績は現在の「生活学」の源流の一つとなっている。
日本では1960年代後半になると全国津々浦々で、土間をふさぎ、そこにキッチンが据え付けられるようになります。私はこれを「お座敷キッチン」とか「床の間キッチン」などと呼んでいますが、そうしないと嫁が来ないから、という話しも聞きました。
キッチンセットが並んでいる典型的なセットキッチンが現れるのが1956年です。公団です。あれが新しいモデルでして、そこからキッチンメーカーがたくさん市場参入し、競合しあいます。そのあとシステムキッチンの時代になります。システムキッチンのモデルはドイツのキッチン(キュッヘ)でした。調理を「必要悪」と考える結晶としての美しいキッチンでした。その祖型は家事労働の軽減を徹底した「フランクフルター・キッチン」と呼ばれるもので、第一次大戦直後の住宅難解決のために考え出されたキッチンです。
その形態は一つだけではなかったようです。一つはキッチンセットを並べるだけのもので、調味料なども入れる棚が決まっていました。もう一つは、壁と壁の間に棚板を渡し、収納する所には扉をつけ、腰の高さの棚にシンクを落としこんだものなんです。
台所がキッチンになり、家事労働から解放されるという意識が生まれる一方、食生活も変わってきます。食品加工産業が発達して家族の台所での調理が貧しくなり、食材が危ないものにもなっていく。システムキッチンが重装備になるのに反比例して味は落ちていく。つまり、料理が台所に適合していくわけです。それにはっきり反旗を翻したのは男ですね。男子厨房に入るという風潮が出てくるのが1975年頃ですね。
―― それから30年がたち、料理も外食化や中食化が進んでいます。台所を設計する側はその変化を敏感に感じたのでしょうか。
そもそも、本当に住まいの中心としての食べる営みの場所を設計している人はいないと思うのです。システムキッチンをどう配置するか、に終わっている。それでは食べる営みの場所というものの設計とはいえないでしょう。建築家には生活感のない方も多いですし、無理ですよ。住宅設計で台所は、キッチンセットを置ける場所を空けておくだけになりさがっています。
一方、キッチンメーカーが暮らしに合わせた設計をしているかというと、そうでもない。多くのキッチンメーカーは、元はステンレスなどキッチン部品製造の原料を扱ったり、家具を扱うメーカーがキッチン市場に参入しています。つまり、キッチンセットのメーカーではあるのですが、キッチンメーカーとしては出発していません。逆に云うと、それで許されたのが、西欧やアメリカのキッチンのコンセプトの輸入という、モダンキッチンの出発点でもあったのです。
私が大学を出たのは1963年ですが、その頃は生活文化面でもアメリカ崇拝一辺倒の時代で、多くの建築家やデザイナーはアメリカモデル輸入の尖兵としてアメリカ詣で。日本の伝統文化や自然環境と共生する生活の知恵とかには、ハナもひっかけない。「アメリカや西欧のものは無条件に良いという事大主義にとらわれていましたから、反論も起きなかったのです。その結果、今のキッチンはゼロ季か2季しかありません。2季は冬とその他の季節です。先ほど述べたように西欧が北国だからです。一方、ゼロ季というのは、季節感がなくなり一つの季節にもなっていないという意味です。
日本の環境が育んだ日本語の「台所」は西欧・北国の環境が育んだ英語の「キッチン」としかいえないものにかわり、1960年代には台所をカタカナ外来語のキッチンと呼ぶようになりました。
台所がキッチンに変わった結果、
- 野、山、海、土や自然とのつながりをなくした。
- 食糧備蓄基地としての役割をなくした。
- 保存加工の場ではなくなった。
- 手間ひまがかけられなくなった。
- 主婦の賢明さを活かせなくなった。
そこで、台所設計学というものが必要となるのでしょう。しかし、調査研究している人はいますが、ちゃんとした「台所」を設計しようとする人はいないですね。生活者は「キッチン」が「台所」だと信じこんでいるし、住宅メーカーもとりあってくれませんし。手つかずの状態です。
台所設計の与件や、台所に影響を及ぼす要因は何なのか洗い出さないといけないのでしょうが、それは体系的なたいへんな作業です。
第1に、現代の生活には「食品の体系」というものがありません。だから、われわれは何でも冷蔵庫に入れてしまいますね。このため、相当量を腐らしてしまうし、賞味期限切れは容赦なく生ゴミとして捨ててしまう。日本人は「見えなくなったら、無くなったこと」と感じますから、外から中が見えない冷蔵庫という箱は、日本人に合っているとは思えませんね。
要は、食品を置いておく所と、その流れに注目しないといけない。
さらに、食育も大事で、調理をする時に「子どもをこきつかう」。食育と言えば、やはりそれでしょう。
また、あと片づけ−食器の「洗い物が苦痛」という声も多いですね。これはあたりまえで、現在のキッチンでは食器はあぶなくて洗えないのです。作業スペースが狭いので積み重ねるから、土ものの食器などはメゲてしまう。調理流しと、洗い物流しが一緒になっていること自体、無茶ですよ。
そこで住まいの水系の話をしたいと思います。
よく節水が話題になります。節水というと、気のもちようとか、心構えいう話しになりますが、もっと自然体で行えないものかと思い、少し考えてみたのです。出した答えは、水道管と蛇口の間に水を貯めるタンクを設けることです。蛇口から水が勢いよく出れば、いくら心をいましめてもつい水を使いすぎてしまうものです。水道水は一度そのタンクに貯まり、蛇口へはそこから水が通じますから、通常の水道水のような水圧はありません。こういうしくみをつくると、水道水をシャワーで使うなどということはできなくなるでしょう。
そのタンクは内側に施釉のしてない素焼きのタンク。その、いわば水甕に、1日使う分くらいを貯めておくようにすれば、塩素とトリハロメタンは除かれるでしょう。
「住まいの水系」をつくるには、これを家の中に仕込んでいけばよい。水道水の浄化には風呂にも必要ですしね。
そういう風に考えると、今どきの住宅の給排水設計というのは、どこに蛇口をつけるのかだけを決めているだけで、「設備としての水の設計」になっていない。
そこで、設備としての水の設計を行うための「用水の種類」と「給水・排水の種類」を挙げてみました。それが、下の図です。これで住まいの水系設計コンペをしてみるとおもしろいかもしれないですね。
家庭の台所のことを考えると、住まい全体のことを考えねばならないのは当然のことです。さらに、それだけではすみません。集合住宅等でしたら、コミュニティのことも考えないとだめでしょう。たとえば、水の共用−昔でいえば井戸端会議がありましたね。
きれいな水のめぐる里川といえば、私の記憶に残っていたのは、子どもの頃に住んでいた彦根の城下町をめぐる里川でした。家々をめぐる側溝が綺麗に澄んでいて、水草が水流になびいており、鮒の腹の白銀がきらめいていた。それが、最近行ってみましたら里川が全部「里どぶ」になっていました。ちょっと信じられませんでしたが、原因はそれぞれの家庭からの排水です。排水の種類と用水の種類を体系化しないと、先に進めません。
このように考えを巡らすと、住まいの水系を設計するにも、コミュニティぐるみの生活水系の新しいモデルが必要とされているのです。
―― 里川を考えるには、生活の中で水をどのように位置づけるか語らなくてはなりませんね。
まったくその通りだと思いますよ。特に、住まいの中のウォーターフロントについて体系的にとらえ直す必要があります。
―― 本日は、長時間ありがとうございました。
(2004年1月13日)