気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の第四次報告で、21世紀末の平均気温が1980年から1999年に比べ1.1〜6.4℃上昇する可能性があると発表されました。この数字は、いったいどのような前提でつくられた数字なのでしょうか。 今回は、スーパーコンピューター地球シミュレータで温暖化予測を専門にしている江守さんに、100年後の気候変動予測の考え方についてうかがってみました。
独立行政法人国立環境研究所地球環境研究センター
温暖化リスク評価研究室長
江守 正多 えもり せいた
1970年生。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。専門はコンピューターシミュレーションによる地球温暖化の予測。
主な共著書に『気候大異変 地球シミュレータの警告』(NHK出版、2006)、『気候変動+2℃』(ダイヤモンド社、2006)他。
IPCCにはワーキンググループが三つありまして、1が過去から現在迄のデータ解釈と将来の気候の変化の予測、2が影響評価で、気候変化が水、農業、健康等にどのような影響をもたらすか、3がそうした変化への対策です。僕が関わっているのは1のワーキングループです。
予測については、1.1〜6.4℃という数字が出ましたが、これが前回6年前の1.4〜5.8℃と比べ、どう評価すべきか。予測の幅について僕の認識は「そう変わっていない」というものです。
なぜ約1℃〜6℃まで幅があるかというと、第一には、前提とする社会経済の排出のシナリオに幅がある。もう一つは、ある一つの社会経済の将来像を前提としても、われわれがもっている科学の不確かさによって、「二酸化炭素がこれだけ増えた時に、何度気温が上がるか」ということについては、幅をもった答えしか出せないということがあります。
具体的に言いますと、われわれ日本のシミュレーションモデルの他にも、アメリカ、イギリス、ドイツのモデルといろいろありまして、それらが同じ条件で計算して、出てきた結果を並べてみると数字がけっこうバラつく。そういう感じなんです。
前提のシナリオは前回の6年前と同じものを使っています。ならば、科学がこの6年間で予測の信頼性を上げれば、あるいは互いにそれぞれの予測結果が一致してくれば、幅が狭まっても良さそうなものですが、むしろ少し広がった。いままで取りあげてこなかった要因をも真面目に考えようとすると、予測結果は広がってくるということもあります。
結局、「二酸化炭素が何ppmになったら、気温は何℃上がる」ということを正確に予測するには、いくら大きなコンピューターができても難しく、その幅がこの6年間でも縮まることはなかったということです。
もう一つの話題としては、過去の気候変化が人間のせいかどうかという問題があります。これも基本的には「6年前の報告とあまり変わっていない」というのが粗っぽい印象ですね。
過去の地球の平均気温が100年で0.6℃とか0.7℃上昇したという観測データですが、その大部分が人間活動のせいである「可能性が高い」と述べたのが6年前で、「かなり可能性が高い」と言ったのが今回です。
これは、論理そのものは6年前に決着がついていまして、僕の理解では、決め手となる根拠は次のようなものです。過去の気温を変動させる外部的な要因を数え上げて、それを「人間によるもの」と「そうでないもの」を分け、全要因を入れてシミュレーションする。すると、過去の気温変動のデータとだいたい合うわけです。そして、次に「人間による外部的要因」を抜いてシミュレーションすると、今度は全然合わない。そういう論理で2001年は「可能性が高い」と述べたわけですが、今回は、地球全体の平均気温だけではなく、大陸毎ぐらいの地域に分けて同じシミュレーションをしても、結果は同じであるし、今まで調べていなかった海の蓄熱量などでも同様なことを行ったが、結果は同じ。だから、「かなり可能性が高い」と述べたわけで、いっそう自信が増したということです。
かつては、過去の趨勢で地球は寒冷化しているという説もあったわけですが、現在われわれが行っている議論では100パーセント温暖化しているという材料は揃っているといってもよいとおもいます。ただ、科学というものは常に暫定的な真実しか導き出せないものですから、前提条件を常に疑うプロセスが本質的に大事。そういう意味で、われわれは自然のすべてを知り得ないという前提に立てば、もしかしたら温暖化説が間違っている可能性がゼロではないということです。しかし、状況証拠的にはその確率は極めて低い。
僕の研究を紹介する時、シミュレーション結果の画像を見せることが多いのですが、その注釈・題名には「何年」と書かないで、「何年頃」と書く等、僕自身はかなり気をつけています。というのは、その画像をある特定の年の予測と、気象予報感覚で捉える人もいるからです。
気象と気候は違います。気象というのは日々の天気で、気候というのは簡単に言えばその平均状態です。温暖化の議論で気候という場合は、慣例的には30年ぐらいの時間で平均したものです。ある年、ある日の出来事ではなくて、その長期統計をとったものが気候ですから、気候が変わるということは、平均状態、あるいはそうした統計的性質が例えば今と百年後ではだいぶ違っているという意味です。
「天気予報では1週間先が外れたりするのに、なぜ100年後の計算をするんだ」とよく言われます。これは「気象」と「気候」を区別していない典型でして、1週間後のある地域の天気を当てるのは確かに難しい。でも、われわれが行っているのは100年後のある日の天気を当てることではなく、100年後の前後30年間と、最近の30年間を比べ、「気温が何度ぐらい高いか」というレベルの話をしているわけで、そういう統計的な予測は比較的わかるんですね。
気象がなぜ1週間先がわからないかというと、複雑系(カオス)と呼ばれる現象があるからです。今の状態がほんのちょっと違うと、後になると答えがまったく違ってしまうというものです。天気図でいえば、1週間後の天気図に新しい低気圧がどこにできているかをあてるのは非常に難しく、現在の状態がちょっと異なるだけで、あちらにできたり、こちらにできたりする。これが天気図でいうカオスのイメージですね。一方で、30年平均の気温などは、地球のエネルギー収支といった大規模な条件でほとんどが決まってしまうため、むしろ予測しやすいんです。
具体的に言いますと、まず風で、これは東西と南北の二つの要素を持つベクトルが必要です。それと気温、水蒸気量、地面の気圧。これらが決まるように方程式を書くわけで、物理の運動方程式、エネルギー保存の式、気体の状態方程式、質量保存の式等々、式の数としては数本で、原理はシンプルなんです。といっても、これは偏微分方程式で書いているから数本なのです。ある場所の温度はこの式で解く、隣の場所はこの式で解く、と一つ一つの場所が変化する式にバラすと、係数が違う式がいっぱい出てきます。そういう意味で言うと、地域を網目状(メッシュとも言う。一つの地域に格子点が一つ割り当てられる)に分けて計算するので、風、水蒸気量、気圧という変数に格子点の数を掛け合わせたものが式の数となります。
大気中のメッシュは、今は水平100キロ四方で区切っていまして、それが高さ方向に約50層ある。また、大気と海が結合していますので、海も、東西・南北の流れ、温度、塩分の変数を入れてやります。海は大気よりメッシュが細かくなっており、それに4つの変数をかけた方程式がある。要は、方程式の本数としては、「ものすごくいっぱい」あるというイメージです。
シミュレーションには、まずそうした方程式でつくられたモデルに初期条件を与えてやらないといけない。現実的で適当な海と大気の状態を与えてやる。
おもしろいのは、例えば、「熱帯は何度で、たくさん雨が降って、砂漠は雨が降らなくて、北極は寒くて」、などということはコンピューターには教えていないんですよ。教えているのは、地球の半径や、太陽エネルギーがどういう角度からどれだけ差し込み、いろんな波長の光を地球の大気のどの成分がどれぐらい吸ったり出したりするか。それに、地球には海と陸があること、陸の地形の分布、海の深さの分布、地球は回転していること。だいたいそれぐらいの条件を与えて、あとは物理の原理で計算してやると、勝手に砂漠に雨が降らなくなって、勝手に熱帯雨林には雨が降って、勝手に日本の周囲には低気圧が通ってというようになるんです。
―― すると、砂漠地帯が緑化しても、結果は変わらないのでしょうか。
それは難しい話でして、今は「砂漠に木は無い」つまり「反射率が高い」ということは教えています。ただ、それも計算するようにもできます。次のIPCC第五次報告で使うようなシミュレーションモデルは、木が二酸化炭素を吸ったり吐いたりし、それで繁ったり枯れたりし、海洋のプランクトンが二酸化炭素を吸って動物プランクトンに食われてプランクトンの糞が沈んでいくというモデルになります。そういうモデルは既にできていて、一部が第四次報告書にも使われています。今度はそれを本格的にやろうと思っています。(独)海洋研究開発機構(JAMSTEC)と東大とのグループで進めており、実用化してきています。そうすると、砂漠に木を生やしてやるとどうなるか、その木が枯れるかどうかまで含めて計算できます。
人口など社会経済の変化は、二酸化炭素やメタンの排出量など、大気の成分を通して気候に反映するという認識で考えています。われわれが使っている、将来100年に二酸化炭素がどう変化するというシナリオの前提条件の中には、世界を数地域に分けて、各地域で人口はこう変わるといったようなのが入っています。他にもGDPなどいくつかの要素については、地域ごとに具体的な100年のカーブを書いて、それをもとに二酸化炭素の排出量の変化、そして気候の変化に結びつけている。
いま6年後に向けて考えているのは、大気の成分を通じる以外の人的影響についてです。一つには土地利用変化。森林伐採や植林、あるいは都市化です。今も部分的には入れていますが、次のシミュレーションに何らかの形で入れようと思ってます。
もう一つは、ダムや潅漑など人為的で直接的な水循環の改変が気候にどうインパクトを与えるか。潅漑地は潅漑が無い場合に比べて蒸発散が活発で、そこの温度は下がり水蒸気が増えてローカルな水循環に影響を与えていると考えられます。それが地球規模で何らかのインパクトがあるかどうかは、これから調べます。
―― 自然科学の予測が精緻な割に、社会シナリオについては、かなり大雑把な印象をうけますが。
僕の理解ですが、シナリオをつくる時には、いろんな人の研究している将来像を集めて並べてみるという所からスタートし、まず類型化します。それが決まると、例えば「経済重視・国際化が進む」という類型に関して、叙述的なストーリーを書くんですね。いわば「おハナシ」です。経済重視で国際化が進むと途上国が急速に経済発展して、技術が途上国に伝わり、さらに経済発展する。すると途上国は人口の増加が速く頭打ちになる。そんな、過去の経験から照らして整合性が見込まれるようなオハナシを書く。
人間のすることですし、データも限られていますので、量的に書けるものも、オハナシでしか書けないものも、全部含めて過去の経験則、法則性に照らして矛盾が無いようにオハナシを書いて、そこに定量的な人口とかGDPとかの肉付けをしていった、というのがシナリオですよね。そもそも将来は予測できないという人間社会の前提に立って幅をもたせて、それぞれの幅の中ではできるだけ内部整合性を保つ。
あとは、量的な内部整合性を保つために経済モデルを使いますが、作ったモデルをコミュニティに公開して、質問に答えていく。それによりある種の客観性を担保しようというもので、オープンプロセスと呼んでいます。
これらは、いま現在将来を考える上で、人間にできる最大限のことという立場だと思いますね。
僕は温暖化の「対策」について発言するつもりは最初はあまりなかったんです。というのも、科学的「予測」の話をする上では、価値中立を自分の立場にしています。だから、対策のことまで言い出すと、「そういう主張を持っているので、予測の結果を大げさに言っているのではないか」と思われると嫌なわけです。
ところが、いろいろな所で発言すると、「ならば、どうしたらいいですか?」と必ず訊かれる。それで、嫌だったんですけど、最初の内は、対策について一般論でかつちょっと気の利いたことをしゃべるようにしていたら、だんだんそういう話も毎回しなくてはならなくなってきた。
最近、ミスターチルドレンのプロデュースなども手がけている小林武史さん達の「東京環境会議」(2007.3)のようなイベントに参加させてもらい、いろいろな人とお話しして、自分自身が感じはじめていますのは、「環境保護というのは不便になりなさいと言っているのではない」ということを、いかに伝えるかということ。例えば、「生活の質を落とさずに二酸化炭素の量を削減するにはこういう社会をつくればいい」という研究を、環境研の対策グループでは行っています。それは「『不便をしなさい』ではない」というのが前提となっているんですね。だけど、世の中で温暖化対策が語られる時は、「不便をしなさい」、「ガマンをしなさい」が暗黙の前提になっているような気がしていまして。「そうではない」ということがうまく伝わると、「そういうことでいいなら、やってみるか」と受け入れるチャンネルは広がっていくという感じがしています。冷暖房の設定温度にしても、「暑いのをガマンしろ、寒いのをガマンしろ」と聞こえてしまってはまずくて、「冷暖房はほどよく効かせて、あとは服装で調節。別にガマンではないですよ」というメッセージが伝わればいいのですけど。
それと、そのようなメッセージは、どれぐらい広く伝わっているのか?僕はわりと学生時代から環境問題にはそれなりに興味があって、その頃から思っていたことは、環境問題に一生懸命がんばる人達がいるけど、それは一部なんですね。で、全然そんなこと考えたことない大勢が例えば渋谷とかを歩いている。そして、少数の考える人が、考えない人を悪く言うと、ますます大多数の人達に環境を考える機会が失われていってしまう。小林さんたちもそういう考えをもっていて、「いい人クラブではダメなんだ」と彼等は言い、「僕もそう思っていました」と考えが合ったんですね。彼等は、いろんなチャンネルで食べやすい形で情報を伝えようとしていますよね。そうした動きが始まっていますが、どれぐらい効果的かは、ここ数年がもしかしたら正念場かもしれない。
僕が取材を受けたり講演する機会が増えたのは、2004年9月に地球シミュレータの記者発表を行ってからです。そのころと比べて、最近では一般向けの講演会で話しても、的を得た質問が多くなったような気がします。そういうところからも、真剣に考える人が増えてきた感触はあります。ベストセラーとなった『不都合な真実』がらみの質問も多いですね。「100年後の海面上昇のIPCCの見積もりが高めで60cmの見積もりですが、ゴアは6mと言っていた」と質問されたことがあります。グリーンランドの氷が全部溶けると確かに6m上がりますが、それが溶けるには1千年ぐらいかかります。そういうことはあの本には書いていませんから。まぁそれも演出の範囲内でしょうね。
僕は仕事ですから、温暖化の情報は毎日集めていますけれど、世の中にはテロの問題もあれば経済の問題も年金の問題もいろいろある。確かに温暖化を人々が問題と考える頻度は少し増えたかもしれないけれど、「毎日何か対策をしなくては」と意識させるほどまでは至っていない気がします。
でも、当然そう意識するべきといえるのかどうかも、実はよくわからないですね。自分のことを振り返ってみても、「自分は温暖化以外の世の中の問題のことをあまりよく知らないから、人々が温暖化のことをよく知らないのも無理がないかな」と思いますしね。だから、「温暖化についてよく知らない」ということをもって、「日本人の民度はまだまだだ」などと偉そうには言いたくないですよ。
(2007年5月21日)