水がこんこんと湧き出る「ヒャーカーガー」(沖縄県宜野湾市大山)
環境省の調査によると、沖縄県は全国で4番目に湧き水の多い県だそうです。まだ水道がなかったころ、大きな川の少ない沖縄で島の人々の生活を支えてきたのが湧き水でした。今では湧き水の必要性はほとんど感じられなくなりましたが、湧き水を取り巻く自然環境や歴史、防災などの観点から湧き水の情報を集めて発信することで、多くの人に水の大切さを伝えたいと活動する人がいます。地元ラジオ局で湧き水に関する番組パーソナリティを務めたのち、「湧き水fun倶楽部」という団体を立ち上げたぐしともこさんです。15名の会員とともに発信活動を続けるぐしさんを訪ね、現在に至る経緯や沖縄における湧き水の重要性についてお聞きしました。
湧き水fun倶楽部 代表
ぐし ともこ さん
高い山や大きな川がほとんどない沖縄は昔から水資源が乏しく、生活用水を確保するために苦労が絶えませんでした。昭和40年代に上水道が普及するまで島の生活を支えてきたのは、各集落にあった「樋川(ヒージャー)」や「井戸(カー)」と呼ばれる「湧き水」でした。
沖縄では井戸のことを「カー」、川のことを「カーラ」、樋から水が流れ落ちるところを「ヒージャー」と呼びます。井戸の呼び名は「カー」のほかにも「ガー」「ハー」「ケー」などさまざまで、地域によっても異なります。
これらの湧き水は飲料水としてはもちろん、洗濯などに使う生活用水、農具や農作物を洗うための雑用水、灌漑用水、防火用水などとして活用され、地域の人たちが維持管理してきました。水量の多かった地域では、現在も田芋(たいも)(注1)や酒(泡盛)、豆腐づくり(注2)などが行なわれています。
海のイメージが強い沖縄で湧き水というと意外に思われる方は多いかもしれませんが、環境省の調べによると、県内全島には約1200カ所の湧き水があるとされています。地元の人でも「そんなに多くの湧き水があるの?」と驚くほどです。私がこれまでに巡ったことがあるのは、そのうち約600カ所です。
沖縄にこれだけ湧き水が多い理由は、「琉球石灰岩」(地層)の台地にあります。数万年前に海中の珊瑚が堆積し隆起してできた琉球石灰岩は、水を通しやすい特徴があります。この琉球石灰岩に浸み込んだ水が、その下にある泥岩(でいがん)など水を通さない地層との境目から湧き水となって出てくるのです。沖縄県内の湧き水の温度はだいたい21〜22℃といわれ、年間を通してほぼ変わりません。
湧き水の多い沖縄には、水汲みにまつわる次のような琉歌(注3)が残っています。
「伊計人ヌ嫁やない欲しゃやあすぃが 犬名河ぬ 水ぬ汲みぬがぐでぃ」
(大意:「伊計島にお嫁に行きたいのですが、毎日犬名河の水を汲むのは大変なことだ」)
うるま市伊計島(いけいじま)にある「犬名河(インナガー)」は、水道が敷かれる前はこの島で唯一の水源でした。犬名河は集落から1km離れているうえ北西の崖下にあるため、急勾配の石段を150段あまり上り下りして、毎日の生活水を汲まなければなりませんでした。当時、水汲みは女性の仕事でした。この水汲みが、伊計島にいる大好きな人のもとへ嫁ぐことをためらうほどの重労働だったことが偲ばれますが、伊計島に限らず県内のあちこちでこうした水に対する苦労話は聞かれます。だからこそ、沖縄に住む、特に年配の方々は今でも湧き水を大切にしています。
(注1)田芋
浅い水を張った畑で栽培される里芋。「水芋」とも呼ばれ、水のきれいなところでしか育たない。沖縄では宜野湾市や金武町などが有名な産地。
(注2)豆腐づくり
沖縄独特の豆腐は、一丁の大きさが本土の豆腐の約3倍で水分が少なくて固い「島豆腐」(しまどうふ)。かつては各家庭でつくり、食していた。その名残から、今でも「あちこーこー(熱々)」のまま販売されている。特に首里城周辺など湧き水が多い地域では古くから豆腐づくりが盛んだった。
※「島豆腐」については、2017年10月末発行予定の機関誌『水の文化』57号の「食の風土記」で紹介
(注3)琉歌
沖縄の短詩形歌謡。特に八・八・八・六形式の抒情的歌謡を指す。その多くは三線(さんしん)の伴奏にのせて歌われる。琉歌とは、和歌に対して「琉球風の短歌」という意味がある。
そもそも私が湧き水に興味をもったのは、短大を卒業して地元のラジオ局に入ってからでした。最初はレポーターのような立場で環境問題などを取材していたのですが、ある時、先輩が4年間パーソナリティを担当していた『多良川うちなぁ湧き水紀行』という番組を、私が2代目として引き継ぐことになったのです。テーマは沖縄の湧き水について取材し、リスナーに伝えることでした。私は生まれも育ちも沖縄ですが、この番組での取材が湧き水をはじめ、それまで知らなかった沖縄の文化や歴史に関心を抱くようになったきっかけです。
でも湧き水を探すのは一苦労でした。まずは各地の公民館や自治会に電話をかけて「湧き水がありますか?」と尋ねます。もし湧き水があれば、湧き水を生活用水として使っていた年配の方をご紹介いただきます。そして、ご本人と現場に向かい、湧き水にまつわる話を伺うのが基本でした。お会いして話をしないと引き出せないこともあるので、直接聞き取ることは徹底していましたし、アポイントから取材、編集、原稿書きもすべて自分で行なっていました。昔のことをちゃんとわかって話してくださる方がいないことには成り立たないので、地域の古老の方を探すのに毎回苦労しました。
私がパーソナリティを担当したのは1998年から2008年までの10年間ですが、番組自体は月〜土曜までの5分番組だったにもかかわらずリスナーが多く反響もあり、15年間続いた長寿番組でした(2009年に終了)。
ラジオ局を退社後の2010年には、『多良川うちなぁ湧き水紀行』の初代パーソナリティを務めた先輩と一緒に「湧き水fun倶楽部」という組織を立ち上げ、湧き水に関する情報収集と発信を現在も続けています。
「湧き水fun倶楽部」を立ち上げたのは、たんなる湧き水巡りグループをつくりたかったからではありません。取材をするなかで、湧き水を取り巻く地域の歴史や文化、環境問題、防災のための水の重要性などさまざまなことが見えてきました。そうした観点から湧き水の情報を集めて発信することで、後世に水の大切さを伝えたいという目的からでした。
その一つの方法として、これまでにラジオ番組で取材してきた湧き水に関する貴重な記録を、形として残せないかと考えました。ラジオは大切なメディアですが、どうしても一過性のものなので、一度放送すると終わってしまいます。取材でいろいろな話を聞かせていただいた分、その情報を形にして配布することが地域の方々への恩返しにもなると思ったのです。
「湧き水fun倶楽部」として最初に手がけたものが、私が住む浦添市(うらそえし)の『湧き水MAP』でした。続いて、場所だけでなく湧き水の歴史や文化、防災情報などを1冊にまとめた『浦添の湧き水』という冊子を、市の助成金を受けて作成しました。さらに、子どもたちにもわかりやすく湧き水のことを知ってもらう方法はないかと考えてつくったものが、湧き水にまつわるエピソードを紹介する『沖縄の湧き水カルタ』です。
また、「湧き水fun倶楽部」ではなく私個人の活動として、『おきなわ湧き水紀行』というエッセイ集も発刊しました。数ある沖縄の湧き水から見ればほんの一部ですが、私の好きな樋川やお気に入りの井戸を取り上げました。ほかの資料には記されていないことを、できるだけ残しておきたかったのです。
このような媒体制作のほかに「湧き水fun倶楽部」の定期的な活動としては、月に一度会員が集まって行なう情報交換会を中心に、年に一度くらいは会員限定のフィールドワークも開催しています。
毎月行なう情報交換会は、最近行ってきたカー(湧き水)のことや聞いた話など、各会員が得た水に関する情報を交換し合う場として設けています。
最近のフィールドワークでは「城(グスク)とカー」というテーマで、恩納村(おんなそん)の山田城にある特徴的なカーを、学芸員の方の案内で見学しました。フィールドワークの企画テーマは会員同士で出し合うのですが、今後計画しているのは「泡盛と水源」をテーマに、泡盛工場に伺って湧き水の話を聞くというものです。
在籍している会員は、現在15名です。水道局の元職員や理科の先生、温泉ソムリエなど、いろいろな経歴をもつ方々が参加しています。沖縄県内だけではなく、県外出身者の方も半分ほどいます。皆、湧き水だけではなく水に関するなんらかの活動にかかわっている方、かかわってきた方が多いので水が好きですし、水に関する知識も豊富なので頼りになる人たちです。
また、依頼があれば湧き水について学ぶ市民講座やイベント時に講師を派遣することなども行なっています。会員それぞれがくわしい知識をもち合わせているので、各々が発信することで湧き水を含む水全般の啓発活動に協力できればと思っています。
私たち「湧き水fun倶楽部」が、今いちばん伝えたいテーマは「防災」です。これは東日本大震災が教訓になっています。実は、震災後に被災地で支援活動を行なった防災士から「井戸があったところはとても助かった」というお話を聞いたのです。湧き水の歴史や文化、環境などはもちろん重要ですが、大きな災害が起こったときに「地域に水があることの大切さ」も伝えていきたいのです。
いま私が住む浦添市の一帯は、沖縄戦(注4)の激戦地でした。戦争体験のある方によると、壕に隠れて身を隠し、逃げ惑う日々のなか、どうしても水が飲みたくて危険を承知で近くの樋川や井戸に水を汲みに行ったそうです。敵の飛行機が近づいてきたので地面に伏して死んだふりをして助かった方がいる一方、逃げ場を失った人たちが「最後に水を飲みたい」と足を向けた樋川や井戸で敵兵に見つかって撃たれたことも多かったそうです。
浦添市の「仲間樋川(ナカマヒージャー)」には、今でも「戦争の時に命を救ってくれた水だから」と、手を合わせに来るご本人やご遺族がおられます。
そして、この近辺で育った人は、子どもからお年寄りまで仲間樋川に思い出をもっています。学校帰りに水を飲んだ、水浴びをしたという記憶や、ウォーキングの途中に立ち寄る休憩所になっているなど……。樋川や井戸は、住民が苦楽をともにしてきた場所でもあるのです。
普通の生活ができなくなるという点では、災害も戦争と同じです。災害時には、飲み水はもちろんですが、それ以外にも排泄時や消火のための水の確保が必要です。浦添市の18カ所の湧き水に限っていえば、飲み水には適さなくともトイレや消火用の水として十分使えることが水質調査でわかっています。
沖縄は離島ですので、万が一なんらかの災害が起きた場合、近隣の県からすぐに救援物資が届くとは限りません。最悪の場合、1〜2週間はかかってしまうかもしれないのです。水道が普及してから樋川や井戸などの湧き水は、普通に暮らす分にはほとんど必要なくなりましたが、日ごろから地域にある湧き水の場所を把握すること、またその水を汚さずきれいな状態を保つことは、防災に重要な役割を果たします。
(注4)沖縄戦
太平洋戦争末期の1945年、南西諸島に上陸したアメリカ軍を主体とする連合軍と日本軍との間で行なわれた戦争。
「湧き水fun倶楽部」の活動によって、最近は年配の方だけではなく学生や子どもたちとのかかわりも多くなってきました。先日は大学生数人が湧き水の話を聞きたいと足を運んでくれましたし、去年は防災イベントに声をかけていただき、子どもたちに昔の水汲みの方法や運び方をゲーム感覚で体験してもらったりしました。
これはしかたないことですが、やはり年配の方と若い人では水の重要性に対する意識の差に開きがあります。また、年齢に限らず、沖縄の人たちは「来るときは来るさ〜」といった様子で、防災意識はあまり高くはないようです。
先ほどお話ししたような戦争時の話などは、戦争体験者が亡くなってしまうと途絶えてしまいます。そうならないためにも、私たちが若い世代に伝え残していくべきだと思うので、講座やイベントでは戦争時の話も交えながら湧き水の大切さを伝えるようにしています。
「湧き水fun倶楽部」としての活動は今年で7年目になりますが、これまで行なってきた活動が少しずつ実を結んでいる実感もあります。配布物を手にとってくれた方から実際に湧き水に行ってみたという報告をいただくことがあるのですが、そうした声を聞くとうれしいですね。
数年前にバスツアーを企画した際に一般参加者を募ったことがあります。水がザーッと流れている水量の多い湧き水に行くと、皆さんとても喜んでくださいました。きれいな水を目の前にすると気持ちがいいですよね。「湧き水fun倶楽部」の会員と一緒にいても感じるのですが、大人も子どももみんな、「万物の根源」である水がやはり好きなのでしょう。そもそも、私たちは水によって生かされているのですから。だからこそ、これからも根気強く、防災はもちろん、湧き水の大切さを発信していきたいと思っています。
(取材日 2017年7月16日)