編集部
消防団という組織はご存知でしょうか。消防署との違い、実際に火災が起きたときに具体的にどう動くのか、意外と知らないことばかりです。また、男性ばかりの組織というイメージがありますが、平成に入ってからは女性消防分団もつくられ始めています。
そこで、編集部では女性消防分団を有する兵庫県川西市の消防団と消防本部を訪ね、消防署・消防団・女性消防分団の活動を取材しました。
川西市は猪名川のほとりにある、人口約16万人のベッドタウンです。大阪の梅田から電車で20分、中心部にある阪急川西能勢口駅に降り立つと、北側には山肌が迫り、中腹あたりまで新興住宅地が造成されています。
消防本部の1階には、市内の119番がつながる消防指令室があり、道路を挟んだ真向かいに南消防署が建っています。道を挟んだ両側に何台ものポンプ車、はしご車が並んでいる姿は壮観です。
まず119番通報を受けると、ただちに指令書が出されます。この指令書には、通報を受けた場所、風速、温度、湿度、出動車両、付近の地図が記されています。消防士は通常は24時間勤務で、南消防署は2交代制で常時10名の消防士が詰めているそうです。彼らが指令書を受け取り出動するまでの間、わずか1分程。月に一度、消火栓や防火水槽の点検をしているため、地図はしっかりと頭の中に入っているので、番地を言われれば、場所と周辺の水利がすぐに思い浮かぶといいます。
例えば、まず最初に「南消防署のタンク車は直近せよ」といった指令が出されます。これは、「南消防署のタンク付きポンプ車は、先着隊として一番先に行きなさい」ということ。この第一次出動で、まず4台出動します。現場に到着して、予想以上に火勢が強く、煙が吹き出しているような状態だと、後続を出動させることになります。タンク付きポンプ車は、水を1〜1.5t積んでいますが、これは、1〜2分の放水でなくなってしまう量。まずは、この水で初期消火にあたります。その間、最初に到着したポンプ車は一番近い消火栓、二番目到着車はその次に近い消火栓と吸水管をつなぎ、以後、消火栓からの水を放水することになります。基本的には1台のポンプ車で4本の放水ホースをつなぐことができ、燃えている現場を囲むようにして4方向から放水するのが基本だそうです。
「消防の仕事は、国民の生命と財産を守るのが任務ですので、まず第一には人命を考えます。第一次隊が到着したら、要救助者はいないか確認するための救助活動を優先します。次は財産です。その家の財産をいかに守るか。また、延焼したら他の家にも迷惑がかかります。たまたま北風が強いということであれば、南側に戦力を厚くするなどと、現場の隊長が指示を出します」
南消防署の越知清さんは、こう説明してくれました。
現場には、消防署より消防団が先に到着することもあり、その場合は消防団が初期消火にあたり、消防署が到着したらバトンタッチします。とりあえず鎮火したら、消防署員は次の出動要請に備えてただちに署に戻ります。したがって、残火整理も地元消防団の大切な仕事となります。消防署と消防団の役割分担は各自治体により違いますが、川西市ではこのような連携をとっているということです。
平時の消防士はただ待機しているのかというと、無論、そのようなことはありません。機材の整備、事業所や職員自身の訓練はもちろんですが、管轄内の警防調査や、消火栓・防火水槽の点検も大事な仕事です。
大阪のベッドタウンとしての川西市には、高層マンションも建ち始めています。一般的に、建物が大きくなると消防用設備等も完備されていることが多くなります。大きな建物では、スプリンクラー、屋内消火栓、連結送水管、防火シャッターなどの警防調査を、月1回行なっています。これは、消防用設備等がきちんと働くかどうかを確認する意味もありますが、点検に行っておくことで消防士の記憶に残り、いざというとき現場で役立つというメリットがあります。
消防水利についても同様です。住宅地図に消火栓と防火水漕の位置がプロットされたものを見せていただきました。
「こうした消防水利が、南消防署管内だけでも1000カ所程あります。それを月に1回程度、一つひとつ蓋を開けて点検しています。いつもは水位があるのに、なぜか減っている。そんなときは内壁に印をつけておき、翌月にまた減っていれば、水漏れとわかります。減った水槽には近くの消火栓から水を入れますが、消火栓は水道ですので、一気に水を入れると近隣の水道水が濁ることがあります。住民から苦情が寄せられることもりますので、ゆっくり入れます」
実は水防も、消防の大きな仕事の一つです。川西市は猪名川という1級河川を抱えており、水害と無縁ではありません。今でも土嚢積み訓練は欠かせないといいます。
うかがえばうかがうほど、消防士の仕事はきついものです。自分の生命を危険にさらしてでも、人を助けるということは、並大抵の決心ではできるものではありません。
まだ若い山西正晃さんは、救助隊の隊員。消防署の近くに住んでいて、子供のころから憧れていて、消防士になったそうです。ヒヤッとした経験はなかったかうかがってみると、
「山火事で煙にまかれる経験をして逃げたことがあります。テレビのニュースで見ると、山火事というのはたいしたことがなさそうに見えます。しかし現場は昼間なのに急にあたりが真っ暗になり、その途端にそこいらの木がダッと燃え出す。一斉に、爆発的に燃えるんです」
さらに、人の生死にじかに接する消防士の心構えを、こう表現してくれました。
「私も95年の阪神淡路大震災で他市に救援に行きましたが、助けようと思っても助けられないことがつらい。そういうことに、自分なりに耐えて、『次は助けてやろう』と考えることのできる人間でないと、しんどいと思います。ぼくらは、直接、人の死や不幸を目にする仕事ですので、それでくじけないで、プラスにしていける人間でないとつらいと思います」
先輩の越知さんも
「消防士というのは大変だと思いますね。小さな子供が亡くなるところに遭遇すると、つらい気持ちになります。そういう時は手を合わせて、家族の方に『力になれずすみませんでした』と一言謝って帰ってきます。できるだけのことはしますが、そういうときはつらいですね。でも、助けることに誇りを持っていますから、大変な仕事を選んだものだと思いますが、悔いはありません」
ベテランの梶尾松治さんは、そんな二人の話を聞きながら
「やはり経験が必要なんです。私も高校を出てからずっとこの仕事です。非番のとき、溺れている子供を助けたことがありますが、これも消防人生を歩んできたからできたことかもしれません」
肉体的にも精神的にもきつい、消防人生を支えているのは、人命を助けることへの誇りなのです。
それでは、自治体消防を担うもう一方の組織、消防団はどうなっているのでしょうか。話をうかがったのは団長の古谷茂樹さんと、第4分団長の坂上健二さん。古谷さんは、燃料会社の社長さん、坂上さんは地元で造園業を営んでいる若主人です。
川西市消防団は2004年時点で、404名が所属しています。ちなみに、消防職員は140名ですから、約3倍の人数です。エリアごとに第1分団から第10分団まであり、各分団の下に「加茂部」「小花部」「寺畑部」と、各集落の名前を記した部が所属しています。部の数は30。名前でも明らかなとおり、この消防団は村の時代から機能していた、安全組織としての流れを組む消防団です。団員は地元居住の男性。ちなみに坂上さんは「加茂部」に所属しています。川西市は都市型のベッドタウンでありながら、まだ里のコミュニティが生きているという、これからの消防団を考える上でまたとない好例といえます。
団員の活動について、古谷さんはこう言います。
「昔は村に青年団がありましたが、今はなくなりましたから、募集が大変です。だいたい各部に10名〜14名います。お祭りなども昔は青年団が行なっていたのですが、それも今では消防団が協力して開催しています」
すると、30歳台の坂上さんは
「加茂部は村の若い者が14名集まっています。自治会などで祭りの夜店や運動会の話題になると『おまえら若い衆で何かやってくれ』と声がかかります。消防団には歴代の先輩方がいらっしゃるんで、そのつながりは固いですね。正月に市の出初め式が終わった後、加茂の出初め式をします。OBさんが、現役の消防団をバックアップする会をつくってくれて、そこで総会とか合同訓練をします。やはり、ぼくらが地元にいないときにサポートいただける一番信頼できる先輩ですし、縦のつながりは今でもいい流れで生きています」
川西市消防団の歴史は、明治初年の私設消防組設立に端を発していて、昔からの地元密着型組織の伝統が今も残っています。
しかし、それでも最近は団員集めに苦労するといいます。団員の減少は全国的な傾向ですが、ここも例外ではありません。
「お父さんが元消防団員でも、その息子さんに断られることもあります。昔なら農家や自営業の人が大半でしたが、サラリーマンだと地元に戻れないから入らない人が多いです。団員の確保には、どこでも頭を抱えています」
消防団に入ると、自分の中で何かが変わるのでしょうか?
「入って1、2年は先輩団員の補助などをしながら、いろいろな経験を積みます。サイレンの音で夜中に叩き起こされる、冬は凍りつく中で震え上がる。こうした経験が、意識を変えるもとですね。『我々がやらなくては、地元は守れない』という意識が芽生えてきたら、その人は長続きします。それに尽きるでしょう」
と古谷さん。坂上さんも
「最初はしんどいですよ。夜中でも、本部から電話がかかってきますから。電話がなくてもサイレンが鳴ったら、自分で電話して『地元で火事か?』と確認します。不思議なもので消防に携わる前は、寝ているとサイレンの音も聞こえません。ところが消防団に入ると、自然に目が覚めてしまう。冬に風呂で頭を洗っていて、サイレンが聞こえるのでとにかく飛び出したら、頭がかちんかちんに凍っていたこともあります。火事の怖さ、大変さを体験すると、『行かなアカン』と思うようになりますね」
こうした気持ちは普段のつきあいにも表れるようで、「消防団活動をしていてよかったことは」という質問に、坂上さんは
「人のつながりです。何かあったときの助け合いというのは、団に入ってから生まれました。消防以外でも『ちょっと困っているねん』というと、みんな相談に乗ってくれる。そういうことが大切かなと思います」
消防団員を支えているのは「自分たちが守らねば、地域で安心して暮らすことはできない」という助け合いの意識なのでしょう。
川西市消防団には10分団とは別に、地域に縛られず、全市から一般募集された女性消防団員がつくられています。これが第11分団、愛称「チェリーファイアー」です。お話をうかがったのは、普段は看護師をしている分団長の木村君代さん、会社員で副分団長の岡佐知子さんと職場の同僚である団員の藪まゆみさんです。
このチェリーファイアーは、1993年(平成5)に市が募集して30人で発足しました。それから12年。草創期のメンバーで残っているのは4人で木村さんもその一人です。
「まず、女性消防団員の目的は消防意識の普及啓発で、実際に現場の最前線で筒先を持つということはありません。ただ、現場では雑踏整理などを行ないます。あとはポンプ操法の訓練をしたり、全員が応急手当普及員の資格をとり、CPR(心肺蘇生法:Cardio-Pulmonary Resuscitation)の指導をしています」
なぜ女性消防団員に応募したのでしょう。
「消防団に入る前、看護師として受けた消防本部の研修で、いざ火事になると自分の名前も住所もパニックになって言えない人がいるということを聞き、私に何かできることないかなと思ったんです。それに消防団は男性ばかりと思っていたのに、女性も参加できるのは面白そうだと思って」
と、木村さん。岡さんは、
「5年前、職場の上司から『入ってみないか』と勧められました。それまで、消防団の存在すら知らなかった。でも面白そうだと思ったのと、これなら私にもできそうだと思ったし、みんな和気あいあいだったので。
ポンプ操法、紙芝居、主婦に消火器の使用方法を教えたりします。友達からは、ユニフォーム姿を見て『すごいなぁ』と言われましたよ」
藪さんは、
「私は、職場の同じ部署の人が女性消防団員になっていて、会社だけでなく地域の人とも交流できて幅も広がるから一回入ってみたら、と誘われました」と、その動機を語ってくれました。
ただ、消防団はその市に住んでいないと所属できないので、結婚して市外に転出してしまうと辞めざるをえません。このため、メンバーの入れ替わりがかなりあるそうです。
チェリーファイアーの団員に現在のところ専業主婦はいません。ほとんどが何らかの仕事に就きながら、消防団の活動は夜にしています。活動を続けてこられたのには、何か秘訣はありますか? という問いに、若い藪さんがさらっと言いました。
「楽しいということもあるのですが、それだけでは続きません。やはり消防団活動はチームワークが大切ですから、和が一番です」
やはり、楽しさと仲間意識は大事なことなのです。
「心肺蘇生法を覚えられて本当に良かった」と口をそろえて言うように、チェリーファイアーに入らなければ得られない経験もたくさんあるようです。チェリーファイアーは、消防団として位置づけられてはいますが、どちらかというと、災害ボランティアに近い印象を受けました。
現代の消防は、「プロ」としての消防職員、「地域密着型・ボランティア」としての消防団という、性格の異なる組織がうまく協力して機能しています。
一般に「そこに住んでいる人」が中心になることで、地元の文化は継承されます。そういう意味では消防団に限らず、地域密着型組織というのは、実は文化を伝える大きな役割を果たしているのです。
川西市のように、都市型ベッドタウンの性格が強くなりつつある地域でも、幸いなことにまだ地域社会の結びつきが残っています。この特性を生かして、消防団が消防以外の分野でもリーダーシップを発揮していけば、暮し手も安心できるのではないか。そんな可能性を感じさせる川西市でした。