機関誌『水の文化』21号
適当な湿気(しっけ)

《湿気と乾燥》

古賀 邦雄さん

水・河川・湖沼関係文献研究会
古賀 邦雄 (こが くにお)さん

1967(昭和42)年西南学院大学卒業、水資源開発公団(現・独立行政法 人水資源機構)に入社。30年間にわたり水・河川・湖沼関係文献を収集。 2001年退職し現在、日本河川開発調査会、筑後川水問題研究会に所属。

地球温暖化の影響であろうか、今夏も暑かった。

和辻哲郎の名著『風土‐人間学的考察』(岩波書店)によると、気候、気象、地質、地形、景観などの総称を風土と呼び、その風土についてモンスーン(アジア、湿潤)、沙漠(アラビア・アフリカ、乾燥)、牧場(ヨーロッパ、湿潤と乾燥)の三つに類型に分け、その地域の人間的考察を論じる。湿潤は自然の恵みを意味し、大地のいたるところに植物の「生」を現出させる。このことから、一般的にモンスーン域の人間は、受容的、忍従的な正確をもつ。沙漠においては、ただ待つ者に水(生)の恵は与えられない。人生を生き抜くために常に他の人間と闘わねばならない。映画『アラビアのロレンス』に盗水した男が殺されるシーンがあるが、沙漠地帯の人間は対抗的、戦闘的な性格が形成される。このように風土の特殊性は人間の性格までつくりあげる。

さて、日本人は、受容的に、忍従的に高温多湿の気候と暮らしてきた。それは神崎宣武著『「湿気」の日本文化』(日本経済新聞社、1992)で、住まい‐家の造りは「夏」を旨とすべし、装い‐裸同然も無作法にあらず、食べもの‐古漬けの味は忘れがたしの項目から読み取れる。日本の家屋は木と草と紙で築き、土間と板敷き、畳、障子、襖というのが典型的であり、暑さと湿気を防ぐ通気性を第一に考えた造りである。装いでは、通気性の良い草履と足袋、下駄の効用をあげている。焼きおにぎりは病原菌も防ぐことにつながり、日本人の風呂好きは、蒸し暑さを払拭することで身も心も快適さを味わうためであろうという。中央アジアや西アジア一帯の遊牧民は温浴はもちろん水浴の風習さえみられない。

インドの人々には沐浴に功徳があると信じられている。白石凌海著『インド輪廻に生きる』(明石書店、2002)は、ガンジス河における7千万人巡礼者による宗教的な大沐浴祭が描かれている。

モンスーンアジア気候は、稲作文化の到来によって、水田適地として日本を豊葦原瑞穂の国に育て上げた。金井典美著『湿原祭祀』(法政大学出版局、1977)は、湿原聖地信仰の実態を論じる。日本の湿原地に山と神と田の神が去来するところ「神の水田」を創り、ここを湿原聖地として祭祀を行った。この湿原聖地の思想が豊葦原瑞穂の国を形成し、古代国家の政治環境や宇宙観に、そして庭園の造作にも影響を与えたという。今では、ほとんどの神宮は神田を所有し、六月にかけて田植祭が行われる。神聖視される代表的な神田は、伊雑宮(伊勢神宮の摂社)の神田である。

  • 『「湿気」の日本文化』

    『「湿気」の日本文化』

  • 『湿原祭祀』

    『湿原祭祀』

  • 『「湿気」の日本文化』
  • 『湿原祭祀』


一方、春山成子著『モンスーンアジアデルタの地形と農地防災』(文化書房博文社、1994)と藤田和子編著『モンスーン・アジアの水と社会環境』(世界思想社、2002)は、この気候といかにして共生しながら、中国、カンボジア、タイ、日本における各国の農業用水の使い方を論じる。

湿度は、気体(主として空気)中に含まれる水蒸気の割合である。稲松照子著『湿度のおはなし』(日本規格協会、1997)では、文化財の保存の場合、55%程度の湿度であれば大丈夫であるが、65%以上になるとカビが発生しやすいとある。バイオリン等の楽器は湿度によって音質が変化する。ピアノは55〜70パーセントの湿度が適性範囲で、外国の奏者は日本での演奏には気を使うという。

股野宏志著『気象と音楽と詩』(成山堂、2000)によると、「五風十雨」の気象変化が音楽を創り出すという。ショパンのピアノ曲「雨垂れ」、ヴェートーヴェンの「田園」、ヴィヴァルディの「四季」の名曲が生まれた。日本は和歌や俳句に気象が詠まれ、その根源に見えない湿気の文化が流れている。

湿度の計測について、上田政文著『湿度と蒸発』(コロナ社、2000)、湿度計測・センサ研究会編『湿度計測・センサのマニュアル』(学献社、1989)、日本機械学会編『湿度・水分計測と環境モニタ』(技報堂、1992)の自然科学書がある。

中国では、乾燥化を防ぎ、緑を取り戻す「退耕還林」政策を奨めている。小長谷有記、シンジルト、中尾正義編『中国の環境政策生態移民』(昭和堂、2005)に、緑の大地であった内モンゴルが牧畜の拡大に伴い荒廃が進み、その緑を回復させ、貧困化を脱却させるために、遊牧民一家を他へ移住させる政策について、その実態を論じる。中国政府からの補助金はあるものの、成功する人、失敗する人の例をあげている。この中国の「生態移民」という環境政策には驚嘆する。

  • 『湿度のおはなし』

    『湿度のおはなし』

  • 『湿度のおはなし』

    『湿度のおはなし』

  • 『湿度のおはなし』
  • 『湿度のおはなし』


さらに勉誠出版編・発行『アジア遊学75 黄河は流れず』(2005)は、過開発による黄河の断流をとりあげる。1997年断流の規模は最大河口から開封市付近までの700キロメートルにわたる。その原因は流域における統一管理体制が無く、水のむだ使いにある。日本の緑の地球ネットワークは、この断流を防ぐため、黄土高原の農村にアンズを植え続け、アンズによる農家の収入増と水土流失の減災を図っている。

沙漠地帯で人間は水がなくなった場合、どうなるのであろうか。水が無ければ、人間は5日間で幻覚症状を起こし、その2日後には人間は乾き死にする。小堀巌著『サハラ沙漠』(中央公論社、1962)は、地中海の都市アルジェーを根拠地として、サワラ沙漠の地下水道「フォガラ」について、紀行文でまとめている。同著『沙漠‐遺された乾燥の世界』(日本放送出版協会、1973)は、年間雨量20〜100mmに過ぎない中央アジア、アラビア半島、アフリカ、北アメリカの沙漠地帯を踏査し、沙漠の最大の課題は水開発であると論じる。極乾燥地帯のもとで、カナートという地下水道方式によるオアシスの創出、それを維持管理する人たちの苦難を描き出す。まさしく沙漠の開発は水を得ることにある。

  • 『アジア遊学75 黄河は流れず』

    『アジア遊学75 黄河は流れず』

  • 『沙漠‐遺された乾燥の世界』

    『沙漠‐遺された乾燥の世界』

  • 『アジア遊学75 黄河は流れず』
  • 『沙漠‐遺された乾燥の世界』


日本を振り返ると、都市はコンクリートジャングルと呼ばれ、砂漠化が進んでいる。これらの都市に潤いを求めて、雨水を活用しようとする考え方が普及してきた。北斗出版の発行による日本建築学会編『雨の建築学』(2000)、同編『雨の建築術』(2005)は、屋根に降った雨水を貯留し、庭の散水、トイレ、ビオトープ、人工河川に使用し、使用済の水を地下水に浸透させる方法をわかりやすく説いている。雨水をかり、活かし、返す術を現代建築の中に取り入れ「都市に泉を」という発想である。

前掲書『風土』に、「ローマの水道は自然の拘束を打ち破り、ローマは水道によって大都市に発展することができた」とある。竹山博英著『ローマの泉の物語』(集英社新書、2004)によると、古代ローマ時代から、水道の終点地広場に記念碑として泉が設けられ、その後、領主や教皇の権威の象徴として、個性豊かなバルチャの泉、トレービィの泉、松笠の泉が造られた。教会、社交場とが有機的に一体となって都市文化が発展していく過程に、泉を位置づける。

  • 『雨の建築術』

    『雨の建築術』

  • 『ローマの泉の物語』

    『ローマの泉の物語』

  • 『雨の建築術』
  • 『ローマの泉の物語』


フランスの南西部カトリックの聖地ルルドの泉は宗教的な泉であるが、その姿は竹下節子著『奇跡の泉ルルドへ』(NTT出版、1996)に描写されている。

以上、湿気と乾燥をめぐり水を求める書を挙げてきた。「水なくして人生なし」という言葉をあらためて感じる。水は、生活、都市、宗教など、すべての基盤をなしており、水を得る方法そのものが水の文化を形成している。そして、その水文化に占める「湿気」の領分は意外と広い。

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