機関誌『水の文化』31号
脱 水(みず)まわり

家は家族の記憶装置

江戸東京博物館分館「江戸東京たてもの園」

江戸東京博物館分館「江戸東京たてもの園」

かつては家業や食によって「何気なく」家族でいられたのに、家業も食も家族をつなぎ止められなくなった今、家族のコミュニケーション部分だけを強く意識せざるを得なくなっている、と藤原智美さん。 解決のための答えは1つではなく、家族の数だけあって、各々が答えを出さなくてはいけないところまで来ています。家があって、家族がいてこその、水まわり。まずは、家族のあり方を見直してみました。

藤原 智美さん

作家
藤原 智美(ふじわら ともみ)さん

1955年福岡市生まれ。フリーランスのライターとして活躍後、1990年「王を撃て」で文壇デビュー。1992年に『運転士』で第107回芥川賞を受賞。1997年には、住まいの空間構造と家族の社会関係を独自の視点で取材したドキュメンタリー作品『「家をつくる」ということ』(プレジデント社)がベストセラーになる。
主な著書に『家族を「する」家』(プレジデント社2003)『脳の力こぶ』(集英社2006)『検索バカ』(朝日新聞出版2008)ほか

「家をつくる」ということ

いうまでもなく人は家で育ちます。人生でどんな住空間に育ってきたのかということは、その人の考え方、性格を形成している、と思うんです。

家というのは、日々そこで暮らしているものですから、自覚というものがあまりないのが普通です。ところが小説を書くときには、その人がどういう家に住んでいるのか、どういう家で育ったかということを考えざるを得ないところがあるんですね。

例えば、あるフィクションの主人公が2階建ての家に住んでいて、彼の部屋が上階にあると想定した。そのうちに彼が交通事故にあって、脚を怪我した。とたんに階段の上り下りが問題になってしまったんですね。介添えはいるのか、どうやって階段を上り下りするのか。我々は普段あまり意識しないけれど、平屋なのか2階建てなのか、団地なのか戸建てなのかというようなことは、かなり人の内面に影響を与えているんだろうな、と思ったわけです。

それで、『「家をつくる」ということ』(プレジデント社1997)を書きました。家造りでは、ともすれば有名建築家が「これを設計しました」といって、「ここではこういう生活をしなさい」と押しつけることがあった。暖炉なんかをつくって、「ここで語らいなさい」とか、そういうある種の理想的な暮らしの設計図まで含めて建築家が設計していた時代があったのです。しかし、実際はそういうわけにはいかないんですよね。生活のリアリズムでは、そうじゃない。いろいろと疑問が出てきた。しかし、建築分野と暮らしの分野を結ぶものがなかった。そこで自分で調べて書いてみた、ということです。

リビングルーム幻想

高度経済成長期から1970年代にかけて「リビングルームというのが、日本の住宅の核になるべきだ」という漠然とした考え方の下で住宅がつくられていきました。

それで、理想としては家族が語らう、だんらんがある。たまにはホームパーティのようなことをやる。そういうことが計画されてつくられた。

しかし、実際に調べていると、そういう生活をした人はほとんどいないんです。いつの間にかそこにコタツが出てきて、家に帰ってきたお父さんが寝ているとかね。結局テレビ中心でだんらんはない、とかね。そういうことが、だんだん明らかになってきたんですよ。

その状態が今、どう変わってきたかといえば、リビングルーム幻想というのはもうないんだ、ということがわかってきたということです。リビングルームがあるから家族だんらんができる、と考える人は、少なくとも「いなくなった」ということです。それくらい、局面は進んでいるわけです。

そういう状況の中で、1970年代から90年代にかけて、ワンボックスカーというのが流行ります。

僕は「走るリビングルーム」と呼んでいるんです。失われた家族間のコミュニケーションを取り戻すための、走る強制的リビングルーム。だって、車だったら走り出したら出られないでしょう。これに、ドッといくわけです。

しばらくはこれでよかったんだけれども、その内にみんなが携帯電話を持つようになる。走る強制的リビングルームも、みんなが勝手に電話でしゃべるし、メールするし、ゲームで遊ぶし、という状態になってうまくいかなくなる。そこに、今はきている。

つまり情報化社会というのか、IT化でここ10年の間に、暮らしぶりがものすごく変わってしまっている。それに合わせて、家をつくるということも、ものすごく変わってしまった。

空間の価値が低下する

もう空間の価値というのが相対的に低くなっている。つまり、家という住空間の価値がものすごく変質したんだと思います。

例えば、子供に「自分の部屋と携帯電話とどっちを取る?」と聞いたときに、「携帯電話」と答えるようになってきている。昔は、自分の部屋がものすごく欲しかったんですよ。そういう気持ちは今はない。携帯電話が持つ魅力に空間が負けてしまっている。

かつては、自分の部屋に友だちを呼ぶとか、または行って話をするとか音楽を聴くとかいったことをやっていた。今はそういう空間を行き来することは、しなくなった。むしろ携帯でつながっている。

これは、オフィスでもそうなんですよね。立派なオフィスを建てましたという時代ではなくて、情報ネットワークをいかにつくっていくかのほうが大事。立派なオフィス、イコール立派な会社、そして業績が上がる、という図式ではないんです。

そういう意味ですべての空間が価値低下を起こしているんです。その中に住空間も入ってしまったんです。だから家というものが文化的な価値を持ち、そのものさしになっていた時代は終わっていて、家をつくれば誰でも「幸せ家族が築ける」というのは幻想だ、と気づいたということです。

一緒に仕事をして飯を食う

それと家族の有限性に気づいてしまったということ。家族って永遠に続くように思ってしまうけど、せいぜい20年ぐらい。それぞれ独立したり、死んじゃったり。ましてや今は単身世帯がすごく増えている。もしくはご夫婦二人とか。そういう世帯がすごく増えている。

僕は『暴走老人』(文藝春秋2007)という本を書いたんですが、家族の絆というのが空間的に保証できなくなって、老人が孤立してしまう。そういう状況の中で暴走していく老人が意外と多いんです。

じゃあ、今家族が家に何を求めるかというときに、非常に難しい問題が出てきていると思うんですね。

では、それは何か。

かつては家の中に仕事があった時代がある。農家にしても商家にしても、家の中に仕事があったんです。仕事を通して、家の中に家族が結びつくということがあった。

もう一つ、家には食があった。早く帰らないとご飯がなくなる。それはやはり、「食卓を囲む」という生活のスタイルがあった時代なんです。今はせいぜい鍋のときぐらいですよね、家族で食卓を囲むのって。

今は個食が進んでいますから、時間差でバラバラに食べてしまう。なかなか一緒に食べることがない。むしろ一緒に食べるという行為が、イベントになってきている。日常での何気ない食卓が、コミュニケーションになりにくい世の中になったということです。

このように仕事と食によるつながりがなくなったときに、何が残るのか。残ったのが「家族」。つまり、「家族」という関係だけが残った。家族の絆がなくなったとかいわれているけれど、僕はそれは逆で、今ほど日本人が家族の絆を意識している時代はないと思っています。

なぜなら、かつては仕事や食によって何気なく家族だったのが、仕事も食もなくなってしまうと残るのは家族のコミュニケーション部分だけなんですよ。家族のコミュニケーションだけが残るとすると、家族を強く意識せざるを得ないんです。

例えばそこで会話がないとすると、「会話のない家族」ということを、すごく意識せざるを得ない。楽しい家族という理想を意識するのならば「我が家は楽しい家族なのか」ということを意識せざるを得ない。

楽しい家族であることに価値を置いていますから、コミュニケーションをすごく意識して「楽しい家族であろう」とする。昔はコミュニケーションなんて意識しなくてもよかったのに。

「土間のある家」というのを見てきたんですが、昔は土間が農作業をする場として使われていた。爺ちゃん、婆ちゃんもいて、外で雨が降っているから土間で縄をなっていたりする。

そういうシチュエーションでいきなりお母さんが「うちはコミュニケーションがないわよ!」と怒り出すことはない。黙々と縄を編んでいるはずなんです。つまり、黙々と何かをするとか、同じものを食べるとかいうことの背景には、ある種の大きなコミュニケーションがあるんです。それがないから、言葉で補強しなくちゃいけない。そこがつらいんですよ。

そういう「つなぐもの」が言葉中心になってきたところに、難しさがある。

昔は通じなくとも同じものを食べて「おいしいね」って言っていれば、何となくわかりあえていた。心のつながりがあれば、少ない言葉でコミュニケーションが成立できていたんです。

家族に求められる情報処理

ここ10年ぐらいで家庭の中にも急速にIT化が進んでいます。本当はその節目節目で「パソコンは持つべきかどうか」など、確認してこなければならなかった。でも、どんどんモノのほうが先に入ってきてしまった。家族はそれについていくのが精一杯だった。

日々変わること、例えば子供が携帯を持ちたいんだ、と言い出したときに、会議をして対応を話し合うことを僕は「情報処理」と呼んだんですが、いろいろ新しい場面に遭遇したときに、ちゃんと情報処理をしなくてはならなかった。そして価値観を共有しなければいけなかった。それは、とっても難しいことですよね。みんな忙しいし。

だから僕は家という空間は、情報処理を生(なま)のコミュニケーションでやる空間になりつつある、と思っています。空間は、そういう機能を持つことを求められてきているのに、それをちゃんとやってこなかったことでいろいろな問題が起きているんだ、という気がしています。

そんな状況になった現在、なぜ、家族が一緒に暮らさなければいけないか、ということについては、ガストン・バシュラールという人が「世界に対して本能的に信頼がなければ鳥は巣をつくるだろうか」と言っているように、人間もそうなんですよね。

やはり男と女が出会って、巣としての家があったときに、子育てをするということを、家族以外の何かでやる、ということを今の人間社会はまだ持っていない。

少なくとも、子供を育てる、一緒に生活するのが家族である、という基本原理は変わらないんですが、それを取り巻く情報間環境とか空間の価値とかが変わっちゃった。

食がつくる記憶のパワー

僕は1955年(昭和30)博多の生まれなんですが、5歳か6歳のころの話で、親父がコカコーラを買って帰ってきたことがある。そのころは、まだあまりコカコーラを飲むことが当たり前じゃない時代だった。そのときのことはよく覚えている。

親父が帰ってくるなり、コカコーラのボトルをどんと置いて、みんながそれを囲むんですね。それで「まずはお父さんから」と言って、栓を抜いて一口飲むわけですよ。その瞬間親父が「いかん、これ、腐っとる」って叫んで全部捨てた。シンクに。それをまざまざと覚えている。父親が6年前に死んだんですけど、そのときに、こんなことを思い出した。

家族旅行に行ったことなんて、全然覚えてないんですよ。あのコカコーラ、どうしちゃったんだろう、ということは覚えているのにね。そういう思い出って、いっぱいありますよ。食にまつわることって、小さいころのことまで。実はそういうことって思い出の宝庫として日常にたくさんあるのに、今の人ってあんまり気がつかない。便利になっちゃったから。

なんでもあるし、すぐ手に入るし。個人個人が好きなものを手に入れる。コカコーラをどーんと置いて、みんなでわっと見る、という瞬間っていうのはもうない。

このように、家というのは家族の記憶装置である、と。それは家という空間の中で実は隅々に家族の記憶が染み込んでいる。記憶装置としての家の存在というのは、カメラやムービーなんかよりずっと大きい。実は食も同じなんです。

食ってものすごく意味が大きくて、お母さんがつくるもの、まあお父さんでもいいんですが、それがつくる料理が「マズい!」というのは子供としてつらい。やはり、家庭で食べていたいつものあの料理がおいしかった、と思い出すことが幸せな気持ちにつながるでしょう。

ともに支え合って生きていくとか、田植えを一緒にやるとか、コミュニティの中の家族とか、そういうことではなくなってきた。

結局、今の家族にとって大切なテーマは「思い出づくり」。極端に言うと「思い出づくり」のために家族がある。そのためにムービーを担いでいくようになっているんです。しかし、やはりムービーで「つくり上げられた思い出」ではなく、実は住まいとか食とかいうとても日常的なところに、その本質はあった。

昔の軍隊は早食いしなくちゃいけないんですよ。同じことですが、以前修験道の体験入門をしたときに、メシを1分で食えと言われた。それが修行なんですよ。

何でそうなるかというと、食とは快楽になるからです。快楽を禁止するのが修験道だったり軍隊なんです。

人間というのは、「おいしい」ということがものすごく好き。だからこそ、それを禁止するんですね。逆にいうと、それが日常的に家にあるということはすごいことなわけで、禁止するほどすごいこと。共有して「食べる」ことのすごさなんです。

よく子供はスパゲティを食べていて、お父さんは焼き魚、まあ現代のパターンですが、時間も違っていたりする。バラバラなものを食べる。そういうことは時代的に仕方がないかもしれませんが、一緒のものを食べることの意味というか、大切さということがあると思います。

孤立感は暴走のエネルギー

人は地縁・血縁・仕事縁に生きている。地縁というのは近年なくなってきていて、近所づき合いもしない。

今、ものすごく高齢者の万引きが増えているそうです。昔、地縁というのが生きていた時代は万引きをするとすぐに噂になった。噂は親戚にまでいっちゃう。今は地縁が薄くなっているから、万引きして帰ってきても、翌朝普通に生活ができるんです。つまり、歯止めがなくなっている。

「こんなことをやったらうちの家族はどう思うだろう」ということにも、思いが至らない。地縁だけでなく血縁もないから。まあ、血縁がないわけじゃないけど、つき合いがない。しかも定年になって仕事縁もなくなると、一人。

歯止めがないし、孤立しているから暴走するんですよ。孤立感というのは、寂しい寂しいと言っているだけじゃなくて、実は暴走のエネルギーになるんです。もう、イライラしちゃうんですよ。日々のストレスが解消できていないから。だから、ちょっとしたことで爆発してしまう。『暴走老人』の取材で得た感想は、そういうことです。

家族がいれば、その歯止めやガス抜きになる。ただ、それは暴走を防止しているから、事件化しない。ほのぼのとした良い面なんて、事件にもなりませんから表に出ませんよね。家族が問題を未然に防いでいても、表面化しないで済んでいるから評価されにくい。

だから家族は事件絡みで悪い面でばかり登場することになる。引きこもりにしたって、家族がいるから引きこもれるんですよ。人間関係がうまくつくれない子供が、社会に放り出されたらどうなるかわからない。家族がいる中で5年なり引きこもって、6年目に出てくるかもしれない。それは、家族の持っている力なんです。そういうのが家族の価値なんですよ。

暴走老人の話をすると、いろいろな経験談が返ってくるのですが、暴走するのはだいたい小学校の校長とか会社の重役とかが多い気がする。つまり、それまで部下しか知らなかった、そういう関係でしか人間関係をつくってこなかった人が暴走する。老人になったら、誰だってただのおじいちゃんですが、それが耐えられない人です。

個が確立しない日本

高齢化社会って日本だけの現象じゃない。なのに、こういう現象は日本だけのような気がする。それは個人と家族の関係が、日本と特に欧米とでは違うからです。

振り込め詐欺というのが一つの典型なんですが、あれが逆にですね、親と偽って子供に「振り込め」という詐欺はないんですよ。子供と偽って騙す。これが日本の親子関係なんです。韓国は日本と似た状況かもしれませんが、「個」が確立しているほかの諸外国では、振り込め詐欺なんてあり得ないんです。

ただ、そこが日本の良いところでもあるんですよ。親がずーっと子供のことを心配する。つまり非常に特殊な親子関係なんです。

日本以外の国では、子供が成人すると「個」となって外に出る。そして「個」として、自分で新しい関係を築いていくんです。だから仕事じゃない、家族じゃない「個」としての自分というものがあって、例えばイギリスだったらパブに行ったりサッカーチームに属していたり、といった「個」としての「私(わたくし)」のつながりがある。

住み替えていくという方法

家と家族というのは、時間とともにマッチしないようになるんです。最初は夫婦二人で始まったのが、子供ができて家族が増えたり、親と同居したり、また亡くなったり。そうやって家族のサイズがどんどん変わっていく。

変わる中で、本当は住み替えていくという選択肢があるはずなんです。日本では、それができない。できないのは、一発勝負で1回家を買っちゃったらそれでおしまいで、変えることはできない。せいぜい増改築ぐらいです。

それに比べて欧米では家族のサイズやニーズに合わせて住み替えることが当たり前です。だから、当然家と家族はマッチしているし、可能なんですね。

本当はそういうことが必要なんだと思うんですが、日本は中古市場が無いに等しいですから。

だからいろいろ問題が出てきていて、郊外住宅地というのは1960年代、70年代にどんどんできてきたのに、今はそれが限界集落化している。ものすごく部屋が余っているんですよ。もったいないですよね。

逆に部屋がなくて困っている人もいるんだから。そういう平等性を設けていけば、住まいというのはもうちょっとどうにかなる。

家族の空間、個人の空間

『「家をつくる」ということ』を書いたときは、90年代はじめまでの話なんですよ。携帯電話も、まだあんまり普及していなかった時代。この段階では、リビングルームとそれに付随するキッチンが重要だった。今は、寝室と風呂ですよね。それらが癒しの空間として求められてきている。だから、家族というより、個人がそこで癒されるというほうに主眼が置かれるようになったんですね。

キッチンの主流は、相変わらずオープン型。小さな子供に目が届くということもあるし、「私つくる人、僕食べる人」(注1)になりたくないという、心理的な原因もあります。

でも、キッチンがオープンだと、機嫌の悪いお父さんが帰ってきて野球なんか見ていると、蛇口の水がジャーッと大きな音を立てたりすることもある。そういうリスクも負わなきゃならない。

男子厨房に入ろう、とか言ってお父さんが結構頑張っていたりする。でも、家族にとっては案外迷惑なんですよね。おいしいかもしれませんが、材料費はいったい幾らかかってるんですか。残ったものはどうするんですか。やっぱり日常的な食というのは、残りものをどうおいしくするかなんですよ。

でも、それさえ否定してしまったら、何も残らないですから。そういう人は、やはり自分の父親とは違う、新しいお父さん像をつくりたいと頑張っているんでしょう。

趣味なだけじゃなくて、奥さんのほうが稼ぎがいいから食事は旦那が全部つくっている人もいる。ものすごく手際がよくて、おいしいんです。そういうスタイルも出てきている。新しい家族像ですね。そのお父さんは子供会を組織して、きちんと地域に根差している。それって、かつてお母さんが担っていたことですが、こういう自由さがないと、うまくいかない。

こう見ていくと、家というのが家族の空間から個人の空間へと変わりつつあるといっていいのかもしれません。寝室も個室化していますし。夫婦別室というのもあるし。

LD神話というのは、ある時期に崩れちゃったんですよ。

住宅メーカーは、いろんなことをやっています。1980年代には二世帯住宅というのも流行りましたよね。今、どんどん売りに出ているんですが、まったく売れない。それはニーズがないからです。

LD神話と二世帯住宅がダメになったときに、結局、何やっていいかわからなくなった。一生懸命マーケッティングしておかしなものもつくったけれど売れなかった。それで何となく風呂と寝室に落ちついている、と。

そのときそのときで対応していったら、ここにつながった、という程度じゃないでしょうか。

(注1)「私つくる人、僕食べる人」CM放送中止問題
1975年、インスタントラーメンのCM放映開始から約1カ月後に「国際婦人年をきっかけとして行動を起こす女たちの会」のメンバー7人から「男は仕事、女は家事・育児という従来の性別役割分業をより定着させるもの」としてCM中止要請が起き、放送中止となった。

家族を「する」

1960年代から70年代に、錦鯉ブームがあったことをご存知でしょうか。

一戸建てを建てると、必ず池をつくって錦鯉を入れた。だから人間って、水が好きなんですよね。池があって、芝生があって。芝生の所でプールを出して子供を遊ばせたり。

しかし、維持するのが大変だから、その池もどんどん埋められていく。同じころに園芸ブームというのがあるんですが、庭木もその後減っていきます。当時は木を植えると大きくなることがわからなかった。手入れも大変だから、みんな切られちゃった。今、また第何次かの園芸ブームですが、植えるのはハーブとか小さいものだけです。

もともと水まわりといったら炊事です。火の周りに囲いができて、屋根ができて、家になった。だから竃は家の中心です。煮炊きが最大のテーマですから、そこには当然水もあった。竃が家の中心であるのと同様、水も家の中心だったわけです。それって、食べることが変わらない限りは普遍じゃないですか。

「キッチン不要論」というのもある。若い子たちにとって、コンビニと自動販売機があればキッチンはいらないと思っている人がいるわけです。その前段階として、包丁がない。俎板も当然ない。これでは食の記憶も家族の記憶も継承なんかされないですよね。

家族って、同じものを一緒に食べる集団なんですよ。それが別なものを食べてもいい、別々に食べてもいい、という風になってきたときに、実は壊れてくるんですよ。

では、これから家とか家族はどうなっていくんだろうか。おそらくその「解」というのは統一した一つの答えがあるんじゃなくて、各々の家族が出していくものだと思うんですよね。

100の家族がいたときに100の答えが、おそらくあるだろうと。ただ、確実なのは答えを出さなくてはいけないということなんですよ。流されたらダメなんです。

だから「家族を『する』」と言っているんですが、「家族を『する』」という自覚というか自意識が問われるんだと思うんです。単に流されていくと、家族をしていく意義まで疑わざるを得ないところまできている。そうすると肝心なときに家族がいない、という状況に陥ってしまうかもしれない。そんな家族は意味がない。

まったく考えなしに自然に任せるということが、許されなくなっているということです。

個別の状況を受け入れて、咀嚼して判断を下す。家族間で話し合って結論を出す。そうして出てきた答えは、オールマイティなものではなくその家族にとっての「解」なんです。

僕らが子供のころっていうのは、一緒に飯を食うとか風呂に入るということが、みんな習慣として自然に行なわれていたんですよ。だからわざわざ考えて「解」を出す必要はなかった。

しかし経済要因もありますが、僕は外食や個食は既に一段落したと思っています。やっぱり家でつくって食べたほうが安いし、うまいし。そういう兆候が徐々に出てきたと思いますよ。

自分でつくれば安心できる良い素材を選んでいくこともできる。そういうものって、案外安くないですから、粗末に捨てたり食べ残したりできないでしょう。そういう雰囲気っていうものが、多少出てきている。

働き方にしても、一時在宅でネットワーキングがもてはやされた時代もあるけれど、「ちょっとこれはね」っていう感じでしょ。人間って「生(なま)」なんですもん、「生」を大事にする雰囲気に変わってきているんですよ。

空間の価値がどんどん低下して0になるかというと、そんなことはないんです。空間は必要ない、と言っていた時代にテレビ会議とかが奨励されましたが、ごく例外的にしか行なわれていないでしょ。だから会って話すというのは、なくならないんですよ。

携帯電話のCMで犬のお父さんが流行っていますけど、実はあれはよくできていて、犬と外国人の青年が家族の中にいるということは「言葉が通じない」ことの象徴。パロディですよ。「通じてないよ、うちも。お父さん、犬みたいだし」と感じている子もいるんじゃないかな。実はブラックユーモアだったのに、犬がやたら可愛くて人気になっちゃって、当初の意味とは違ってきたりしてね。

リビングだって人なんか呼ばないんだから、こんなに広い必要ないんじゃないか、とかね。

ある日本の有名な映画監督の話なんですが、お母さんが豆腐を手のひらに載せて包丁で切るのを見て、痛々しくて目が離せなかったと言うんです。そういう記憶がないというのはね、大きな損失だと思います。お母さんが電子レンジでチンしてくれた、コンビニの思い出、っていうんじゃあねえ。

まあ、料理が下手なお母さんだったとしても、人前で食の記憶を語れるっていうことを財産だと思える気づきが大切ですよね。

「チッチーのチ」の掛け声とともに、ベーゴマが唸る。江戸東京たてもの園の下町中通りには、ほかにも竹馬、ゴム段飛び、メンコで遊ぶ面々が集まる。ここでは、小学生もリタイヤした悠々自適組も一緒。日本の象徴的な風景の中に、新しい「個」のクラブが生まれている。撮影協力:江戸東京博物館分館「江戸東京たてもの園」(>>参照ページ



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