機関誌『水の文化』35号
アクアツーリズム

アクアツーリズム
- 目的は美しい暮らし方

編集部

見聞を広める旅

日本人は旅好きだ。江戸時代には、お伊勢参りや熊野詣、善光寺参りやお遍路さんといった巡礼がきっかけになって旅が発達した。巡礼といっても、五体投地でチベットのラサを目指す仏教徒や、イスラム教徒のハッジ(メッカ巡礼)のように禁欲的な苦行ではない。道中の楽しみを目的とした、いわゆる「物見遊山」の旅である。

従来型のマスツーリズムでは地域住民が翻弄されるといった弊害が生じたことも事実であり、近年、物見遊山を否定的に語る人もいる。

しかし、生まれ在所を離れることが稀だった当時は、見聞を広め、蒙(もう)を啓(ひら)くチャンスだったのである。

水の力

人は、水の持つ根源的な価値を無意識に感じて、水辺に安らぎを感じるのかもしれない。

水の魅力は、そうした癒し効果を伴う自然景観以外にもたくさんある。温泉はもちろん、アクティビティの対象である海・湖・川・プール。米を筆頭とした農産物。魚介類や日本酒、豆腐、蕎麦といった食べものも、水が与えてくれた恩恵だ。

こうしてみると、水にかかわる旅-アクアツーリズムは、日本中、どこにでも成立可能。アクアツーリズムになり得る資源は、どこにでもある。

ところが、その価値に気づいていないか、わかっていても外に向けて発信していない場合がほとんどだ。熊本のように一丸となって発信しようとしているのは、先進例といえよう。

目的は美しい暮らし方

当センターでは、昨年(2009年)の交流フォーラムで「アクアツーリズム」をテーマに取り上げた。

他地域の人との交流は、地元に埋もれた宝の再発見につながり、プライドの醸成にも役立つ。人と人との交流がきっかけで、それまで気づかなかった身近な宝を発見できれば、地域が活性化できるかもしれない。

しかしそれは、交流人口を増やして観光収入を得ることだけが目的ではない。そこに生きる人たちが水資源を愛し、活用することで、生き生きとした美しい暮らし方が実現されるのを願ってのことだ。そうでなければ、外から訪れた人に安らぎや癒しを提供できるはずもない。

フォーラムに続いて、今号の特集でも「アクアツーリズム」を取り上げたのは、単なるニューツーリズムの一潮流としてではなく、そのような新たな価値観の構築に役立つのではないか、と期待したからである。

今までは、川の上流である山間地で営まれる農林業によって、結果として健全な水循環が維持されてきた。しかし、山間地の暮らしは、健全な水循環のためや景観を維持するために行なわれてきたわけではない。それらの生業が果たしてきた役割(公益的機能)は、結果として川の下流に住む人たちにも恩恵を与えてきたが、その恩恵は長らく意識されずにいたのが実状だ。

水にかかわる旅をすることで、健全な水循環を支えるたくさんのプロセスがあることを知る-。アクアツーリズムは、下流に住む人たちが、上流に住む人たちに依存してきたことや、農林業に公益的機能があることに気づくためのきっかけにもなるように思う。

阿蘇百姓村の山口力男さんは、雄牛と雌牛を群れで飼い、草原の草を自由に食べさせる、まったくの自然流畜産を行なっている。交配にも分娩にも、人は手出ししない。太らないから高値がつかないそうだが、牛はストレスもなく健康そのものだ。まさに「牛飼い」と呼ぶにふさわしいが、一般的な畜産とは大きな違いがあり、特殊なやり方とみなされている。

農作物の化学肥料や農薬には敏感になっているのに、現状では、人工的に育った食肉には無関心な人が多い。しかし、無関心でいることが、生産者の生活にも阿蘇の景観にも下流の水資源にも、影響を及ぼしてしまう。

水が取り持つ縁

熊本大学の徳野貞雄さんは、崩壊の危機にある地縁、血縁に代わる新たな暮らしの基盤づくりとして、「知り合いを増やすことは大切だ」と言う。一歩進めて「友だち」になれたらもっといい。

昨今の口蹄疫流行の影響で、宮崎県へのふるさと納税(県外在住者が税金の使い道を指定して申し込むことができる制度)が急増。5月24日現在で、2009年度1年間の約6.7倍にあたる約2670万円が納税されたという。知り合いが困っていたら放っておけない人情の現れだ。

放っておけない知り合いをつくるには、訪ねていくことが前提となる。交流のないところには出会いも学びも生まれない。

アクアツーリズムによって、未来に希望が持てる、水環考資産を増やしたい。



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