機関誌『水の文化』36号
愛知用水50年

なつかしの阿木川

現在のパルプ工場は、当時とは別の会社  下:大橋さんが住んでいた地域の阿木川の様子。

上:現在のパルプ工場は、当時とは別の会社
下:大橋さんが住んでいた地域の阿木川の様子。川を利用している人の姿は見えない。

大橋 一弘さん

大橋 一弘(おおはし かずひろ)さん

1941年岐阜県恵那郡大井町生まれ。1960年三重大学農学部農芸化学科入学。1964年中埜酢店(現・ミツカングループ)入社。2001年に定年退職し、現在、酢の里、招鶴亭文庫に非常勤勤務。

私は、現在の岐阜県恵那市大井町栄町に生まれ、太平洋戦争開始直前から、高校を卒業する1959年(昭和34)までの18年間、恵那駅のすぐそば、阿木川下流の地で育ちました。

阿木川というのは、長野県木曽谷を水源として岐阜県東濃地方を流れ、岐阜県と愛知県の県境に沿って伊勢湾に注ぎ込む木曽川の支流で、現在は全長21km。大きな川ではありませんが、最上流の小渓谷、中流には愛知用水の都市用水確保のためにつくられた阿木川ダム、下流の扇状地と河岸段丘、最下流の中規模の渓谷で構成され、意外と変化に富んだ川です。

私が住んでいた地域は、戦時中も空爆はおろか機銃掃射もなく、また敗戦後も駐留軍の影響すら受けることがありませんでした。食料の調達も、町内を抜ける蛭川街道の北方にある蛭川村(笠置山の裾野に位置する)からの出身者が多く、血縁のある農家から手に入れることができたため、あまりひもじい思いをしないで済みました。同郷の出身者が多かったせいか団結力が強く、祭りや町の行事にはまとまりがあったことを覚えています。

水のことでいうと、戦後間もないころのこの地方はまだ水道もなく、井戸と川で生活をしていました。住宅街でしたが今のようなサラリーマン家庭ではなく、30軒中9軒が和菓子屋、うどん製造業、鍛冶屋、染物屋、洋服仕立物屋、ブリキ加工屋といった、家屋を住宅兼仕事場として使う職業の人たちでした。

道路の東側の家は裏に阿木川が流れており、4〜6m下の川に直接下りていくために長い梯子をかけていて、仕事で大量の水が必要なときには、それで川に下りて川の水を利用しました。川に面していない家でも、同じように川の水を利用していました。料理屋がウナギやドジョウの泥臭さを抜くために、魚籠(びく)に入れて生簀(いけす)代わりに使ったり、漬物屋が菊ごぼうの泥を洗い流すのに、芋洗い水車を使って予備洗いをしたり。今では想像もつかないほど、人の暮らしと川とは強く結びついていたのです。

中学生になれば、子供といえども大事な労働力とみなされましたから遊んでいる暇はなかったわけですが、小学生は家業の邪魔だから、学校が終われば早々に家から追い出されました。男女別々のグループができ、10人から20人ぐらいで一緒に遊びました。川は、子供たちにとって格好の遊び場でしたが、大人たちが生活の大事な道具として川や用水を利用する姿を見て、子供たちも一種の神聖な領域と感じていたように思います。子供たちの間では「大人の仕事場には入らない」「小学校の地域内で遊ぶ」「上級生の言うことを聞く」といった暗黙のルールができていました。だから、川遊びをするときには、仕事場とは関係ない下流に行きました。

ただ残念なことに、昭和20年代後半ごろに大井町の上流にパルプ工場ができたことで、川の環境は一変してしまったのです。恵那山の豊富な木々を原料としてパルプが製造され、汚い排水が阿木川に直接流されたために、工場より下流は死の川になってしまいました。子供心に「なぜ、こんなにも汚いものを川に流せるのか。大人はなんで、こんなことを許しているのか」と不満を通り越して、怒りを感じたことを覚えています。

阿木川の汚染が進むにしたがって、大人たちの川の利用はなくなり関心が薄れていきましたが、子供たちは川への愛着を失いませんでした。遊び場はおのずとパルプ工場の上流へと移り、水泳場も子供たちで手づくりしたものです。

子供たちと川との距離が決定的に開いてしまったのは、プールができたときでした。「川や溜め池は危険だから近づかないこと」という禁止の命令よりも、子供の暮らし方が室内の遊びに取って代わられたことが大きかった。現在は下水処理が進んで、水質は改善されています。それでも子供たちが昔のように川に関心を注がなくなった今、川で歓声を上げる子供たちの姿を見ることはありません。現代の里川を見出す上で、このことが一番残念なことと思います。

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大橋一弘さんの自筆イラスト。
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