編集部
都市の中小河川が、高度経済成長期に下水道に転用されたことをご存知だろうか。
2012年(平成24)に行なわれた第4回里川文化塾「『春の小川』の流れをめぐるフィールドワーク」では渋谷川を例に取り、ここに至るまでのやむを得ない背景と、やり直しが難しい現状を知った。
信濃毎日新聞社の牧野容光さんは、「水は誰のものか」を考えるとき、「『水は次世代との共有財産だ』という視点を大切にすること」と言う(「「青い金」水源と地下水についての考察 」参照)。
次世代に恥ずかしくないような都市水利を引き継ぐには、これから何を変えていかなくてはならないのか、考えてみた。
チョンゲチョンは、大韓民国の李明博大統領がソウル市長時代に、総工費3867億ウォン(約540億円)と3年の歳月をかけて、約6kmの暗渠下水道を清流に変えた一大プロジェクトだ。
河川を再生させただけではなく、地上と高架の合計10車線の道路を撤去したことから、日本でも「高速道路を撤去して日本橋復元を」とか「春の小川の蓋を開けよう」という声が上がった。
しかし、清流を維持するためには、15km下流の漢江から水をポンプアップしたり、地下鉄のトンネルから出る地下水を導水するほか、汚水を高度処理して供給している。また、合流式下水道のため、雨が降って増水すると、下水道からオーバーフローした汚水まじりの雨水が直接流れ込むこともあって、川の中で遊ぶことができるだけの水質にはなっていない。
つまり、都市の中小河川を点で再生させようとしたら、多大なコストを伴う人工的なサポートなしでは不可能、ということだ。
それでも、高架道路を撤去して暗渠の蓋を開けたことは、世界中に強烈なインパクトを発信。親水空間はイメージアップに成功し、多くの人を呼び寄せて地価も高騰したから、費用対効果は高かったと評価できる。
韓国で合意されたこの方式が、今の日本で容認される可能性は低いが、どんなやり方を選ぶにしても、一足飛びは無理。短期的解決、中期的視野、長期的目標を念頭におき、できるところからチャレンジを始めるべきだ。
都市の定義にはさまざまな考え方があるだろうが、一つの考え方として、自然回復力を超えた集住が行なわれている場所、と考えることができよう。集住を効率的に維持するために、環境を人工的にしていった結果、自然回復力は一層低下する、という悪循環が起こっている。
しかも食料生産、エネルギー生産、上水供給、下水処理、ゴミ処理などなど、暮らしを維持するさまざまな場面で持続不可能な状態。
他地域を経済で支えている大都市が、他地域の支えがあって成立しているということを、正しく認識しておきたい。
水は海や川から蒸発し、雨となって再び大地に注ぐ。資源としての水の特徴は、使ったらなくなってしまうものや、循環しないで厄介な廃棄物になってしまうものと違い〈循環〉という特質を持つ。
循環に健全な、という条件をつけるならば、水質も問題だ。
小倉紀雄さんが「雑排水対策に協力すると、COD削減に貢献できるだけでなく、汚れた水を浄化するコストも節約できる」と言うように(「市民環境科学のすすめ」参照)、都市河川を汚しているのは、他ならぬ生活者である私たち。
逆にいえば、直接、自分が水質浄化にかかわれるということでもある。数多い運動の中で、自分が直接関与できることは多くはない。自分の家の台所が世界の海につながっているという実感を持って、「水をきれいにするんだ」というモチベーションを高めたい。
持続可能な社会の構築とは、国際自然保護連合(IUCN)が「持続可能な開発(Sustainable Development)」を公表したころ(1980年〈昭和55〉)から始まった概念だ。
持続可能性が取沙汰されるようになったのは、持続不可能な現実が、多くの課題を引き起こしているからに他ならない。
かつては水といえば生産のための水、農業用水を指したのに、都市住民にとってはトイレの流し水だったり飲料水を思い浮かべるようになった。しかも飲料水は水道水からボトルドウォーターへと変遷している。こういった水意識は、水資源の根源的な価値の転換が起きていることの表われでもある。
中村晋一郎さんは「人の意識というのは、時代背景によって変わる。川や水インフラの在り方も、それに応じて変えられるものであることが好ましい」と言う(「春の小川の蓋は開くか」参照)が、変化が激しく先が読めない世の中にあって、長期的な持続可能性を視野に入れることは、とても難しいことだ。
だが、難しいからといって逃げていては何も始まらない。都市水利を持続可能な仕組みに変えるために、まずは知恵を出し合うプラットホーム(場)をつくりたいものだ。