JR南千住駅南側の泪橋付近。思川(おもいがわ)の痕跡をたどりながら想像を膨らませる
地域住民と一緒に妖怪がいそうな場所を探すワークショップ「妖怪採集」が各地で開催されている。その中心人物は筑波大学助教の市川寛也さん。「人々が創造的主体性を取り戻すための試み」と語る市川さんの案内で東京の南千住界隈を巡り、「妖怪採集」を疑似体験した。すると、今まで気にも留めなかったまちの風景のそこここに、妖怪の気配を感じるようになっていた。
妖怪研究家/筑波大学 芸術系 助教
市川 寛也(いちかわ ひろや)さん
1987年茨城県生まれ。地域社会と妖怪文化との関係についてフィールドワークを行なう。各地で地域住民と一緒に妖怪がいそうな場所を探すワークショップ「妖怪採集」を実施。論文に「妖怪文化を活用したコンテンツツーリズムの開発に向けた基礎的考察―『モチーフ』から『ジャンル』への転回を見据えて―」(2015)、「地域社会における妖怪観の形成と継承―徳島県三好市山城町の事例から」(2013)などがある。
妖怪と聞けば河童や天狗といった有名な伝承を思い浮かべる。だが、それらはたまたま誰かが記録したことで、皆に知られる存在になっただけだ。本来妖怪とは、市井の人たちが身の周りの環境をよく観察し、想像力を働かせて無数につくり上げてきたもののはず。だとすれば、いつの時代でもどんな場所でも、その地域に固有の妖怪を見つけ出すことができるのではないか――。
そんな発想から、さまざまな地域で「妖怪採集」のワークショップを行なっているのが、妖怪研究家の市川寛也さんだ。
妖怪をこよなく愛する市川さんには今、危惧していることがある。
「現代は、既存の妖怪をコンテンツとして消費することがほとんどです。妖怪を資源と考えたとき、今の視点で妖怪をどんどんつくっていかなければ、このままではいずれ枯渇してしまうのではないでしょうか」
そこで、市川さんは2012年(平成24)からNPO法人千住すみだ川とともに、南千住で「隅田川妖怪絵巻」プロジェクトを実施。小学生から年配者までたくさんの参加者と150体を超える妖怪を〈発見〉してきた。
「妖怪採集とは、昔の人々が妖怪をつくり出したプロセスを追体験し、歴史も踏まえながら、平成のまなざしで地域の新しい物語を考える試みです」と市川さん。今回、編集部は市川さんの案内で、妖怪の面影を探して南千住のまちなかを歩いてみた。
市川さんとの待ち合わせは、JR南千住駅。西口を出てすぐ行きあたるコツ通りに、さっそく妖怪がいるという。夜な夜な好物の骨を掘り起こしに来る「コツ掘りヂヂイ」だ。地元の人が「コツ通りのコツは骨だよ。ここに骨が埋まっているんだ」と話すのを聞いて、小学生の参加者が考え出した。
少し歩くと、南千住仲通りの入り口に小さな稲荷神社がある。豊川稲荷だ。うっかり素通りしてしまいそうな佇まいだが、じっくり観察してみると、お社の左右にあるはずの狐の像がない。その発見から生まれたのが「戻れずの狐」の物語。なんでも2頭の狐はよく連れだって隅田川を渡り浅草界隈で遊んでいたという。ところが戻ろうとしたらお社の目の前に犬某という魚屋ができていて帰れなくなってしまった(狐は犬が苦手)。以来、この付近をウロウロして、人を道に迷わせているらしい。
「コツ掘りヂヂイ」や「戻れずの狐」のように、妖怪採集では地名やその場所の特徴、あるいは地元の人の話から発想を得ることが多い。地域の歴史や古い地形を知ることも、欠かせない要素だ。
「隅田川に近いこの付近は江戸の外れです。新吉原や刑場があったほかは、田畑や湿地ばかりのさびしい土地でした。そう考えると、今見ているまちの景色も違って見えてきませんか?」と市川さん。
古い絵図によると、刑場までの道の途中には、思川(おもいがわ)という川が流れていたとある。その思川にかかっていたのが泪橋(なみだばし)だ。今も残る泪橋という地名には、ここを渡ったら戻れない、悲しい別れの橋という意味が込められていたのだろうか。
妖怪採集に参加した地元の男性は、子どものころ、このあたりで変な音が聞こえたら気をつけろ、と親からよく言われたそう。その記憶から妖怪「泪橋のことだま返し」を考えた。親しい人に最後の別れが言えぬまま処刑された罪人が妖怪となり、現世の人にこだまのような妖気を発信する。その気配に気づけない人は、耳をそがれてしまうという。
泪橋交差点から明治通りを進み、隅田川まで行きあたると、広々とした川辺の風景になる。川をはさんだ両岸には、石浜神社や真崎稲荷、隅田川神社、木母寺(もくぼじ)が並んでいる。昔はさぞ多くの人々が川を船で渡り、参拝や観光をしていたに違いない。
「たくさんの人やものが行き交う川のような場所は、物語が生まれやすい」と市川さんは言う。これまでの妖怪採集でも、いくつもの水にまつわる妖怪が生まれてきた。例えば船を川底に引きずり込む妖怪「ヒキズリダコ」は、水神様に体を真っ二つに割られ、今は赤い錨に姿を変えて隅田川神社に納められている。
隅田川の右岸をぐるりと歩き、千住大橋にたどり着く。隅田川で初めて架けられた千住大橋は古くから交通の要であり、伝承も多い。「千住大橋の大亀」(注1)や「片目の大緋鯉」(注2)は千住七不思議にも数えられているが、今は語る人も少ない。妖怪採集は、忘れ去られた伝承に、再び光を当てる役目も果たす。
「妖怪採集をやっていると、新しいものと古いもの、事実とそうでないものの境界がだんだんあいまいになってくるのです。そのダイナミズムにこそ妖怪文化の本質がある気がします」と市川さん。妖怪には嘘も真実もない。地域の人々が記憶し、語り伝えていくものは、すべて本物の妖怪になるのだ。
(注1)千住大橋の大亀
千住大橋の橋杭の間に棲み、成長しすぎて出られなくなった大きな亀。どんな洪水でも橋が流されないのは、大亀が川のなかで懸命に水をかいているからという伝承もある。
(注2)片目の大緋鯉
千住大橋付近で悠々と泳いでいた5mほどの真っ赤な鯉。江戸時代に千住大橋を工事する際、打ち込んだ杭にぶつかるため、捕えようとした職人に片目をつぶされたともいわれる。
冒頭で妖怪研究家と紹介したが、市川さんの専門は芸術学。コミュニティとアートの関係性を研究テーマにしている。近年、アーティストが地域住民と一緒に何かをつくるアートプロジェクトがよくあるが、その手法に限界を感じているという。アーティストがかかわると、できあがったものは往々にしてそのアーティストの作品でしかない。地域の人たちの創造性が十分発揮されているとはいえないからだ。
「宮沢賢治は90年も前に『職業芸術家は一度滅びねばならぬ』(農民芸術概論綱要)と言っています。かつて各地で郷土芸能や小さな祭りが盛んだったように、アーティストの力を借りなくても地域にはクリエイティブな力が本来備わっているはずです。地域に暮らす人々が物語のつくり手となり、創造的主体性を取り戻すための道具立てとして、妖怪文化は最適だと思うのです」
この日の午後、北千住にある中高一貫の男子校、足立学園を訪ねた。市川さんがアドバイザーを務めるサークルが、今年度から晴れて同好会に認定されたのだ。会の名称は「民俗研究同好会」。目的は、学園の地元である北千住の歴史や風習、文化などの調査研究。そこには当然、妖怪文化も含まれる。
市川さんは彼らと一緒に、これまで集めた妖怪の情報を整理したいと考えている。誰でもアクセスできるオープンな「千住妖怪データベース」をつくり、伝承されてきた文献上の妖怪から新しくつくられた妖怪まで載せていけたらおもしろい。
「江戸の妖怪、昭和の妖怪、平成の妖怪が一覧できれば、そこから地域の歴史や特徴が見えてくるでしょう。フォーマットをつくって全国に展開すれば、各地の妖怪文化がますます多様化していくかもしれません」と市川さんは展望を語った。
妖怪採集の疑似体験はとても新鮮だった。妖怪がいるかもしれないと思ってまちを見渡すと、見え方がまったく違ってくる。道を歩いていると、今まで気にも留めなかったものに何か大切な物語が隠れているような気がして、古い建物や電柱の表示、水路の跡などをきょろきょろと探すようになってしまった。今度はぜひ、自分の住むまちで妖怪採集をしてみたい。
(2016年4月23日取材)