水と風土が織りなす食文化の今を訪ねる「食の風土記」。今回は、青森県八戸市の郷土料理「いちご煮」です。ウニとアワビだけでつくるシンプルなお吸い物は、豊かな海が身近にあるからこそ楽しめる贅沢な一品です。
青森県八戸市
「いちご煮」はスイーツにあらず
八戸市の東部、太平洋に臨む鮫町(さめまち)で、三陸海岸北部の名物といわれる「いちご煮」を初めて食べてみた。その名前から、甘いものを想像してはいけない。湯気の上がるお椀からは、磯の香りが立ちのぼる。ほんのりと白濁した汁のなかに、具材はウニとアワビだけ。薄い塩味と青じそが、海鮮の風味をいっそう引き立て、味わい深い。これほどシンプルで贅沢な吸い物があるだろうか。
それにしても、なぜ「いちご煮」なのか。もともとは、漁師が海で獲ってきたウニやアワビを、その場で豪快に煮て食べた浜料理が始まり。それがやがてまちなかでごちそうとして振る舞われるようになった。海沿いのこの付近は、朝もやがかかることが多く、白い吸い地に浮かぶウニの身が、ちょうど朝もやに霞む野生の木いちごのように見えたことから「いちご煮」と名づけられたというのが定説だ。
大正時代になって地元の老舗割烹旅館・石田屋の二代目亭主が、これを郷土料理の一つとして客に提供したことから、八戸の名物料理として広まったとされている。
鮫町の八戸市南浜漁協を訪ね、副組合長の風張(かざはり)兼一さんに話を聞いた。取材は7月半ばで、まさにウニ、アワビ漁の最盛期だった。
「ここらで獲れるウニは、白ウニ(キタムラサキウニ)と赤ウニ(バフンウニ)。いちご煮にはどちらも使いますが、いちごにより近いのは赤ウニの方かな」と風張さん。
ウニの漁期はとても短い。漁協をあげて一斉に獲るのは、6~7月のうちのわずか5~6日間だ。暑くなる8月にはウニは産卵期に入り、身が溶けて食べられなくなってしまう。一方アワビは、収穫量こそ少ないものの漁期は長い。
風張さんは十代のころから船に乗り、ほぼ半世紀の間、漁師としてこの海を見守り続けてきた。しかしここ10~20年で、豊かだった海が変わってきたと感じている。顕著なのは、海藻が激減したことだ。
「このあたりも開拓が進み、山を切り開いて畑や住宅ができました。さらに太陽光パネル設置が急激に増え、大量の木が伐採されています。昔は、山に降った雨が湧水となって、土壌の有機物を海まで運んでくれました。今、そんな自然本来の水の循環が失われ、海まで栄養が届かなくなったことが、海藻が減った原因ではないでしょうか」
海藻が減ると、それをエサや棲み家にしているウニ、アワビも減ってしまう。そのため南浜漁協では、豊かな海を取り戻そうと、数年前から昆布の養殖に力を入れている。
種菌を植えつけた糸を長いロープに巻いて、養殖場の漁礁に結わいつけていく。やがて芽を出した昆布がロープに根を張って成長する。
「今年は、養殖場から種菌が流されて、養殖場よりも周りの岸の方にたくさん昆布が育っています。まあ、根づいてくれればどこでもいいんですよ。これも海が豊かになってきた証拠でしょう」と笑う風張さん。
昆布の養殖は手がかかるうえ、1年で終わるものではない。昔のように海藻が豊かに自生するまでの道のりは長いが、磯の様子を見ながら、できる限り続けていきたいと語る。
南浜漁協を出て、近くの種差(たねさし)漁港まで風張さんに連れて行ってもらった。東日本大震災のときは、このあたりにも津波が到来し、漁船はすべて流されたそうだ。
もうこの日の漁は終わったのだろうか。港には人影も少なく、静かだった。ふと見ると、岸に係留された漁船のなかで、漁師の人たちが何か作業をしている。
「ウニを獲る仕掛けをつくっているんだよ」と、一人が教えてくれた。船床には、ずっしりと重そうな昆布が山積みされている。養殖で育った昆布の二次利用だ。この太い昆布をグルグル巻いて藁(わら)で縛り、網に載せて海に沈めておくと、腹を空かせたウニやアワビが集まってくる。一度に数百個も仕掛けるというから大変な作業だ。藁は近くの農家に分けてもらい、お礼にウニをおすそ分けする。海と畑は、お互い助け合って暮らしている。
せっかくだから食べてみて、と風張さんが今朝獲ってきたばかりのウニを目の前で割ってくれた。海水でさっと洗って身を口に入れる。海の豊かさを凝縮したような甘みに、なんとも幸せな気持ちになった。
種差海岸は、海辺としては全国でも珍しい天然芝に覆われた景勝地だ。ここで磯料理店「芝亭(しばてい)」を営む女将、丹波貴子さんに「いちご煮」について聞いてみた。
「この辺では、お正月やお盆などお客さまが集まるときには、今も家庭でいちご煮を食べています。いつごろから八戸の郷土料理として認知されたのか、たしかなことは言えませんが、先代の父は観光協会の会長も務め、いちご煮の普及に熱心でした。おかげで今でもうちの店の人気メニューです」と貴子さん。
貴子さんの兄で板長の丹波俊昭さんに、いちご煮のつくり方を教えてもらった。芝亭では、素材のうまみを邪魔しないよう、ごく薄い昆布だしを吸い地に使う。ウニとアワビの身を殻から取り出して、切ったアワビをあらかじめ椀に入れておき、吸い地を煮立てて、さっとウニに火を通し、椀に注げばできあがりだ。
「簡単でしょう?豊かな海の幸に恵まれた土地だからこそ、あまり凝った調理法が発達しなかったんだと思います。素材がよければ、それをそのまま活かすのが一番おいしいですから」と俊昭さんは言う。
「ウニやアワビは、今では全国どこでも手に入るけど、やはり地元で味わってほしいですね」
そう語る俊昭さんは小学生のころ、友だちと目の前の海によく潜ってウニなどを獲ったという。焚火で冷えた体を温めながら、空き缶に海水を沸かして、今、自分たちが獲ってきたばかりのウニを煮て食べるのが、何より楽しみだったそうだ。そんな素朴な味こそ、「いちご煮」の原点なのだろう。
取材協力:芝亭
青森県八戸市鮫町字棚久保14 Tel. 0178-39-3311
(11:00~18:30/第1・3火曜休[7~8月は無休])
(2018年7月23日取材)